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脱力。

2015/01/28 22:43
重くのしかかっていた荷物がひとつ片付く。


今日はもう仕事を切り上げて、
お風呂に入って本でも読む。読む。読む。


気がつけば明日はもう木曜日。
今週はまだまだデッドヒート。


あひー。



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誰かの家で本を読むことを想像する。

2015/01/26 13:16
先週土曜日は旅行中に毎日、家に来てくれる友人が
家に遊びに来てくれた。


家のどこを開けられても気にならない友というのは
なんだか心強いものだなあ。


留守宅を誰かに任せるということで思い浮かんだのが
村上春樹の『レキシントンの幽霊』。


犬を飼っているジャズレコードのコレクターの家に住み込んで、
暮らすように留守を預かるという短編作品だ。


主人公は犬が好きで、
加えてレコードコレクションに魅力を感じているから、
単なる留守番というより
彼にとってもちょっとした楽しみの時間になっている。


うちも同様に、友人に留守中に猫の世話をお願いする。
そして、うちで好きに過ごしてもらう。


うちには本とCDとちょっとしたアンプとスピーカーがある。
というかそれしかない。


ちょっとしたアンプとスピーカーは、
リサイクルショップに持っていけば二束三文の
商品価値としては語る数値のないものだが、
ある種の音楽を好む人にはお金では手に入らないものだろう。


と相方は言う。
なんとなくうなづける。
それぐらい丁寧に聞き込まれている。
スピーカーもアンプも音を鳴らすことで変化する。
機械なのに生きている。不思議だ。



というわけで「ちょっとした」というのは、
うちで好んで聴く音楽は、
うちのこの環境以上のものはないだろう。
そう思えるような個人的な価値なのであるが。



友人は、音楽も好むがそれ以上に本が好きだ。
わたし以上に本を読む時間を愛する彼女なので、
うちの本棚がすこしは楽しみになってくれるかもしれない。


本好きな人のたいていがそうであるように、
人が何を読んでいるのか興味深いものである。
ましてや親しい人間であればなおさら。


彼女には自分の家で過ごすように寛いでもらいたいし、
なにより日常と切り離された空間と時間のなかで
彼女がもっとも幸せな読む時間を過ごしてもらいたい。


わたしの暮らす空間で、
彼女が何を感じてどんなふうに過ごすのだろう。
想像すると、なんだか不思議な気持ちで、
そしてちょっとわくわくする。


なんにせよ、ほんとうにありがたい。












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課題を一生懸命に読む理由。

2015/01/23 12:39
ひとまず長期休暇までの撮影・取材が終わり、
今日から一気に原稿を仕上げて、
入稿まで進めていく。



併行して編集・ライター講座の講義に先立ち
提出してもらった課題の添削。



これまでにも何度も添削をしてきたが、
心がけているのは必ず良いところも伝えること。
直すべきことがある人はそれが中心になるけれど、
少しでもその人の「ここは伸ばすといいな」と
感じたことについて書き添えるようにしている。



この添削はたぶん受講生が思っているより
わたしには力のいる仕事です。
どんな文章であれ、その人のリズムにぐっと入りこんで
彼・彼女が何が言いたいかを全力で感じようと心がけます。



けっこう疲れる。赤ペンを持つ手も痛くなるので
一度に5〜6名分しかかかれない。
時間もかかる。



それでも、こうして真剣に文章に向き合ったことを
読み手から伝えられる経験は、
書き手としてとても大切なものになると信じている。



そして、書き手には読み手がちゃんと読んでくれたことほど
励みになることもないと私自身の経験で知っている。



というわけで、午後も原稿の合間に文章添削。
人の文章を読むのは大好きなので楽しみだけど、
少し緊張する。
それぐらい真剣に読んでることが
少しでも伝わりますように。





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Like A Rolling Stone.

2015/01/21 22:52
転がる石のような毎日で気づけば明日は木曜日。



圧倒的に時間が足りぬ。ぐぬぬ。




そして軽く喉が痛い。



明日は久しぶりにお店の取材。大好きな行きつけの二軒。



楽しみつつも、たぶん必死のぱっちで頑張ります。




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流れを感じる睦月デッドヒート。

2015/01/20 11:07
残り10日ほどの2015年睦月デッドヒート開始。



仕事の段取りが見えてきたと思ったら(段取り通りに進むかは不明だが)
身内の入院などが決まる。
ちょうどMacbook Airが届いたので、
そちらがあれば病院での時間もうまく使えそうだし
付き添いもなんとかなりそう。



ばたばたは否めないが、なんとなく回る感じがさい先良い。



日常でこぼこや、ささいなことに意味をもたせるよりも、
大きな流れのなかでどう動くか、動けるかと考える方が
結局は良いような気がしている。



あ、合気道もそうなのか。なるほど。









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ハードデイズナイト。

2015/01/20 00:50
日曜日は、がががっと仕事して
夕方から新開地の丸萬さんへ。


ラッキーにもちょうどご主人さん担当の
焼きもの前の席が空いていたので、
久しぶりにあれこれお話させてもらって、
相方もわたしも嬉しくなって
いつものように飲み過ぎる。


弾みがつきすぎて、
帰りにそこから大通りへ出たところのスーパーで
日用品の補足に紛れてまぐろなどを買い込み
帰宅してさらに熱燗連打。


もれなくお酒が残った状態で迎えた月曜の朝。
早い時間から撮影のため移動する脳みそふわふわ。
朝イチ撮影のホテルの名バーで
撮影につくっていただいたカクテルを味見だけと
グラスにクチをつけると泣きそうに美味しくて
ぐびってしまい迎え酒。


お昼ご飯を食べてからは満腹でやや朦朧拳になりつつ、
夕方140Bに戻って打ち合わせ×2に資料作成で
22時半に業務終了。


お腹空きすぎて北新地の黒門さかえで
鶏肝とこえびコーンのおうどんを
出汁の一滴まで余さず飲み干して、新快速で帰宅。


今ここ。


ちょと疲れたー。


旅行まではこのままノンストップで
ミッションインポッシブル。



お風呂に入るです。











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向いてないことはしない方がいい。

2015/01/17 22:47
旅行前にインフルエンザに伝染るとやばいということで、
昨夜思いついて行きつけの内科にネット予約。


今日の午前中、病院できりっとした女医さんに
プシュッと打ってもらう。
いや、厳密には看護師さんが刺してくれた。


ダッシュで買い物して帰宅。
したらすぐに、ちょうど待っていたMacbook Airが到着。


嬉しくてすぐにあれこれデータを入れようとしたら…。
書くのも嫌なほど悪戦苦闘して夜になっていた。


買い物にも行けず仕事もできず。
落ち込む。


相方が大阪の帰りにひょうたんの餃子を買ってきてくれた。
ビールを飲んで平らげてちょと落ち着く。


パソコンいじるのは向いてない。
向いてないことはしない方がいい。
そんな暇があれば、
誰かが苦手だけど自分が得意なことをしたほうが
よっほど自分にも誰かにもためになる。


月曜日は取材なので、火曜日あたりに
140Bに持ちこんで専門の業者に丸投げしようと決意。


明日は今日の遅れを取り戻すべく、仕事やなあ。
かなし。







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西加奈子さんと地元の本屋。直木賞、おめでとうございます。

2015/01/16 11:54
西加奈子さんが直木賞を受賞された昨夜、
ツイッターでそのことに触れるツイートを読んでは涙ぐんでいた。
彼女のファンである読者はもとより、
こんなに日本中の本屋さんから愛されている作家も珍しいだろう。



受賞のインタビューで最後にひと言。というところで、
彼女は小説と、小説に出会える本屋さんについて言葉をつくした。
彼女自身が、作家としてのその前に一人の読者として
小説に勇気づけられ、めっちゃ面白いと驚き感激する。
本屋さんに行けばそういう出会いが待っている。
だから本屋さんで本を買って欲しいと。
涙が出た。



昨年の夏、西加奈子さんの小説『円卓』が映画化された。
それにあわせて、『西加奈子と大阪の本屋』という小冊子が発行された。



大阪アメリカ村にあるスタンダードブックストアの中川さんが、
せっかくなので西加奈子さんを応援しようと声を上げて、
それに大阪の本屋さんたちが次々と賛同して誕生したものだった。
このあたりはミシマ社のミシマガジンで新居さんがレポートしてくれている。
http://www.mishimaga.com/hon-kobore/032.html



リンク先の写真の奥の方で青いシャツを着てわたしも映り込んでいるが、
なんとなくのご縁があって『西加奈子と大阪の本屋』の編集を担当した。



出版社に勤めていた頃も、編集担当として本屋さんとは接していたが、
編集というのは、販売担当と本屋さんほどの密さは持っておらず、
わたしにとっては、初めて本屋さんとじっくり話すといういい機会ともなった。
何度も皆さんと顔を合わせるうちに、或いは、校正のやり取りをしながら
もっとも感じたことは「街の本屋さんは、とにかく忙しい」ということだった。



仕事の拘束時間も長いし、
現場でやらねばならないことは山が崩れるほどある。
引越などで感じたことがあるように、本というのは重い。
扱う商品が重い現場は、肉体労働の現場でもある。
これは別の場所で耳にしたが、
本屋さんの賃金条件は一般的に低いのだそうだ。
なぜなら「好きなものに触れる仕事だから」というエクスキューズが
経営者側にあるらしい。
だから、給料が安くてもいいだろう。と経営者は考える。
給料が安いのも仕方がない。と雇われる側は受け入れる。
でも、本屋さんの仕事は本当に大変で、
好きだからできる仕事ではない。
やっぱり仕事だと割り切っているから、できるはずだ。



それでも、本屋さんで働くほとんどの人は、
仕事と割り切る部分と割り切れない部分を抱えながら
やっぱり本が好きで働いている。



そんな本屋さんたちが、なぜ西加奈子さんを愛しているのか。
それは西加奈子さんが本と本屋を愛しているからだ。
受賞のスピーチの最後にひと言で、彼女が語ったのは、
いま小説の書き手が本当に充実している。
自分も読者として小説を読んで励まされたりしている。
小説を読む面白さを知って欲しい。
その小説(本)と出会う本屋さんで、本を買って欲しい。
どうぞ本屋さんに行ってください。
というようなことだった。


作家の言葉ではあるが、
なにより小説(本)を愛する読者の言葉として
びりびりと胸を奮わせた。


本当はマイ西加奈子ベストについて書くつもりだったが、
長くなったのでまた改めます。


『西加奈子と大阪の本屋』(大阪の本屋発行委員会編/140B発行)は、
西加奈子さんの入門書としても面白いです。
http://140b.jp/blog3/2014/06/p1078/
西さんと、芥川賞作家の大阪人である津村記久子さんとの対談や、
津村さんの全作品コンプリレビューもあるので、そちらもぜひ。


画像








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桐野夏生『アンボス・ムンドス』を読む。

2015/01/15 11:27
キューバでは、
ハバナとサンチアゴデクーバという2つの街に滞在する。
ハバナで予定しているホテルは、
ヘミングウェイが邸宅を構えるまで定宿にしており、
「誰がために鐘は鳴る」を執筆したというホテルアンボスムンド。
彼が宿泊していた部屋はささやかな博物館になっていて、
ホテルそのものが観光スポットのひとつになっているそうだ。



ホテルが位置する旧市街地は、
スペイン時代のコロニアル文化を色濃く残し
その一角に建つアンボスムンドスは、
ピンク色の外壁でランドマークのひとつにもなっているとか。



良いようにいうとクラシカルで雰囲気たっぷりの空間。
つまりオールドスタイルの古いホテルである。
うがった見方をすると、ヘミングウェイという遺産で食いつなぐ
観光都市ハバナのしたたかで遣り手なホテルでもあるだろう。



このホテルアンボスムンドは、
キューバ観光の日本人の多くが訪れるそうだが、
かの桐野夏生さんも立ち寄ったようである。おそらく。
桐野さんの直木賞受賞後の第一作短編集の表題は
その名も「アンボス・ムンドス」。
(Ambos Mundosなので、
日本語ではムンドかムンドスかで表記されている)
このオールドスタイルのホテルが小説に登場する。



Amazonでは、こんな内容説明がある。
<人生で一度だけ思い切ったことをしよう―キューバで夢のような時を過ごした男と女を待ち受ける悪意の嵐。直木賞受賞後の著者の変遷を示す刺激的で挑戦的な作品集。 >



自分が泊まるホテルで、どんな男女の愛憎劇が展開されるのか。
期待でドキがむねむねしながら文庫本を入手した。
7作の短編の最後に掲載されていた。早速読む。読み終わる。
相変わらず嫌な気分にさせてくれるぜ、桐野夏生。
もちろん文句を言ってるのではない。
このような仕事は彼女にしかできないという感謝の気持ちである。



物語は、ある女が小説家に自身の過去を告白する
モノローグの形式になっている。
彼女はかつて小学校で教師をしており、そこで上司である教頭と不倫し、
その不倫旅行中に担当していた学級の生徒にトラブルがある。
そのことで不倫の事実が世間に露呈し、追い込まれる。
彼女と不倫相手の窮地を辛辣な筆で描きながら、
彼女の学級が抱えていたあれこれをあぶり出す。



作家というのは冷酷な一面を持っており、
それがなければ人間について書けないだろうが、
桐野さんの鋭利な筆は、とりわけ計算する女に対して非常に厳しい。
ほとんど容赦がない。
そしてほとんどの女は計算しながら生きている。
いや、女に限らず男も含めて人間誰しも。
意識的に、無意識に、利己的に、自虐的に、ありとあらゆる方向で
何かしら計算することで人は前に進むのではないだろうか。



「計算高い女」といった表現などで
「計算」にはどちらかといえばネガティブなイメージがあるが、
必ずしもそうとは限らない、とわたしは思う。
わたし個人でいうと、
計算なしの無邪気さで人を傷つける人間がもっとも苦手だ。



桐野さんは、つまり人間が計算せず生きていられない様に
これ以上なく冷静なまなざしを向けている。



そこまではたいていの作家がすることなのだが、
桐野さんのすさまじいところは、
「決着のつけ方」容赦がないところだろうとわたしは思う。



人生は計算どおりにもなるし、
計算間違いも起こる。
面白いし哀しいのは、
そもそもの計算式を間違えていることもあるし、
計算間違いが嬉しい誤算となることもある。
人が想定して行う計算は、
その人の可能な範囲の計算でしかない。
そして神様がときどきいたずらをする。



そのどのパターンにおいても
計算が行き詰まったときに人はそこで決着をつけねばならない。
それもまた、それぞれが計算していくしかない。


そんなふうに
人はいろんな性質と容姿と生育環境と事情を持ち、
好むと好まざるにかかわらず人生の選択を迫られる。



どうしようもない選択であっても、
桐野さんは「それは自分が選んだこと」だと、
目を逸らすことをゆるさない。
選択した答えの是非を問うのではなく、
人はそれを「引き受け」ねばならないのだと。



ものすごく後味が悪くても(ということが多い)、
彼女の小説がいつも身体のどこかにずぽりとおさまるのは、
「引き受ける」ことをしても、善悪を決定しないからだと思う。
いろんなものを抱えながら曖昧に生きているわたしには、
くっきりしたものよりぼんやり不確かなものの方が収まりが良い。
後味は悪いのに収まりが良い作品は、
いつまでも身体に残る。



さて、翻ってホテルアンボスムンドである。
その名が登場するくだりは10行ほど。
「アンボスムンド」というホテルの名前のもつ
「両方の世界」「ふたつの世界」という意味についてがほとんど。
具体的なホテル描写は「古いホテル」だけであった。
なるほど(笑)。



とはいえ、このアンボスムンドス(両方の世界)こそが
この短編の軸となっており、
単なる元教師の独白ではない広がりを与えている。
だからこそ、このホテルの名をタイトルにしたのだろう。
すごいなあ。








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キューバの合気道見学のこと。

2015/01/14 11:19
先日家に遊びに来てくれた佐藤さんに
キューバで合気道を見学するという話をすると、
いろいろとアドバイスをいただいた。



物見遊山でふらりと道場を見てみたい。
そんな気軽なノリで考えていたのだが、
佐藤さんのお話を聞くうちに、温度差があるように思えて
現地の合気道見学が少し重たいものに感じられてきた。



今回のキューバ旅をアレンジしてくれている旅行代理店は
トラベルボデギーダという東京青山にオフィスのある
こぢんまりとした会社だ。
図書館で借りた数年前の『地球の歩き方』の小さな広告が目について、
なんとなく気になって連絡をしてみたのがご縁となった。



HPもあり、なかなか面白い。
キューバをはじめカリブ海を中心に扱っているようだが、
豪華クルーズの旅というノリでもなく、
そのほとんどがキューバ関連であるように思える。



熟読するうちに、代表である清野さんご自身が
小学生の頃から8年間をキューバで暮らした
キューバ帰国子女(?)でもあることも知る。
お父さんがマグロ漁をキューバに伝えるために
革命後のキューバに渡ったそうだ。



当時の思い出を綴った寄稿にも辿りつき、
この人なら安心だし面白そうとお願いすることになった次第。
http://www.casa-de-cuba.com/relayessay/main011015.html



普段はメールでやり取りをしているが、
東京出張の際に、青山のオフィスにお邪魔してお会いした。

感じの良い方なんだろうなと想像はしていたけれど、
清野さんは想像していたよりもっと感じが良く、
笑顔のさわやかな身にまとう空気のカラリと明るい方だった。


外国暮らしが長かったことをどこかに感じさせる
独特な空気感を持つ清野さんのお顔を見ていると、
今回の旅が面白くなることが確信できた。



日本で拾えるキューバ情報が限定されているため、
いささか細かすぎるようなことまでご相談している。



そろそろ仕事のスケジュールにも関係するので
周囲にキューバに行くことを告げているが、
決まって旅の目的を訊ねられる。



社交辞令で訊いてくれる人もいるかもしれない。
ただ、わたしには社交辞令的にでも返す理由が実はない。



今回の旅は、相方が希望したことが最初だった。
彼には目的がきちんとある。
ここ数年凝っているコンガ(太鼓)の技術向上である。



トラベルボデギーダは、現地の太鼓レッスンなども手配してくれる。
それもボデギーダでお世話になる決定打となった。
キューバはスペイン語圏で、皆目スペイン語に縁遠い私たちは
ネット上のスペイン語情報を拾えない。



加えて、そもそも現地はインターネットが普及していないので
当地サイトにアクセスという西側諸国で当たり前の方法が使えない。



キューバは未だほとんどが顔でつながっている
大きな村社会のような傾向もあり(たぶん)、
私たちは清野さんの顔で現地にアクセスし、
そこからまた現地のネットワークをたどることになる。



相方は毎日数時間コンガレッスンを受ける予定になっている。
加えて、夜はサルサなどのライブを楽しみにしている。
わたしがなにより小説を読んだり映画を観ることを好むように、
彼は暇さえあれば音楽を聞いて、どこでも踊るような人なので
キューバでの滞在中はやりたいことだらけだろう。



わたしにはキューバに対して、そうしたものはない。



20代中盤まではほんとうによく旅に出た。
その都度、出発前からやりたいことだらけで、
胸も予定もぱんぱんに詰め込んでいたので、
今回のような目的のない旅はこれまでに経験がない。


だからこそ、
強い目的がなく旅に出る(日常から離れる)ということに
次第に魅力を感じ始めている。



インターネットが使えないことも、こうなってくると魅力のひとつだ。
現代社会では、日本はおろか、世界のたいていの場所で
誰かと常につながってしまう。好むと好まざるにかかわらず。



キューバでの時間は、
そうしたつながり社会からのエクソダスなのかもしれない。



というわけで、ひたすら本を読み、書く。
という生活を旅の目的にしようと今は考えている。



そんななかで、合気道の見学は唯一に近いような、
ちょっとした旅の目的とも考えていた。




清野さんに現地道場の情報をお聞きしていたのだが、
数日前に確認が取れて、
どうやら旧市街地(宿泊予定のホテルがあるエリア)から移転し、
ハバナから車で30分ほどの郊外に道場が移ったそうだ。
車を持たない旅行者にはややアクセスが悪い。



加えて、道場を見学するには事前申請が必要だと告げられた。
目的、有段者かどうか、先生(指導する立場)なのか、
デモンストレーションは必要かなどなどに答えなくてはいけない。
つまり、見学は正式な道場来訪オファーとなる。



実は佐藤さんに現地道場見学の話をした際、
わたしが師事している内田師範に見学の許可を得た方が良いことと、
「僕なら行かないかも。まだ有段者じゃないなら」ということを
笑ってお話いただいた。



そのときは、後半の発言の言外に含まれた
あまり勧めないというアドバイスのニュアンスが
よく掴みきれなかった。



清野さんに、もっと気軽な見学ができると思っていたので
今回は正式にはやめておきますとご返信を差し上げながら、
清野さんが書かれていた
「現地道場では、日本人が来るとなるとかまえてしまうようだ」
という言葉を考えていた。



たとえば、わたしが少林寺拳法を習っている。
その道場に、ある日、
中国で少林寺拳法をやっている中国人がわざわざ来ることになった。
本場の技はどんなのだろう。
彼(或いは彼女)には、日本の少林寺拳法はどう映るのだろう。
いろんな意味での期待値が高まる。
なんなら技を見せて欲しい。せっかくなら一緒に組みたい。



そんなふうに、わたしがキューバの合気道道場で迎えられたら…。
かなり困る。
だってまだ有段者でもない初心者なのだから。
期待されても何も応えられない。
でも期待するだろう。
はるばる海を越えて道場に来た人なのだから。



或いは、ほとんど日本からの情報がない中で
わたしがうっかり漏らしたひと言で、
現地に間違った何かを残してしまったら…。
合気道に対して申し訳なく致命的でさえある。
なによりわたしが師事している内田師範にも、
所属している道場にもあまりよくないことだと感じられる。
佐藤さんはそうしたことを心配くださったのだな。
とようやくわかった。鈍い。恥ずかしい。



清野さんは、
現地に行ってしまえば温かく迎えてくれるだろう
ともキューバン気質について話してくださった。
わたしもそう思う。
でも、ツーリストで行くのと、合気道経験者で行くのは話が違う。
そこはしっかりと踏まえておきたい。



なので、合気道経験には触れずに、
ふらりという形でもしご縁と機会があれば、
皆さんのお稽古風景を見学してみたい。



それもなりゆき。
そういえば、旅はなりゆき。行きがかり上。
それがなによりだ。





佐藤さんへ:
清野さんがご紹介くださった道場の師範は、
佐藤さんにこないだ見ていただいたこのサイトの方でした。
Maximo Roy senseiだそうです。
http://bushindojo-cuba.blogspot.jp/2009/09/aikido.html
スペイン語でも「sensei」なんですね。

以前は街中の体育館だったのが、今は専門の武道道場のようです。
合気道を続けて、いつか機会があればまた行ってみたいと思います(笑)。


















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シャルリー・エブド襲撃事件の雑感。

2015/01/13 10:04
フランスの新聞社シャルリー・エブドが襲撃され、
パリでは160万人規模のデモが行われたり、
SNS、例えばわたしのツイッターでは30%ほどが関連ツイートで、
メディアの関心も高く、世界中に波紋が広がっている。



リツイートなんかはしているが、
わたしはどうも積極的にこの件について投稿できない。
理由のひとつは、この事件について言及するとき
「強く正解を求められる」気がするからだ。



シャルリー・エブドの風刺画をはじめ
掲載内容については賞賛されるものではないが、
言論の自由を脅かすテロリズムは絶対に許してはならない。



当たり前すぎる。



その当たり前のことが前提とならない
宗教的か思想的な大きな隔たりが双方にあるから
こんなひどい事件が起きてしまった。



双方というのは、容疑者と被害者であるが、
前述のように「宗教的か思想的」とわたしが考えるように、
容疑者を取り囲む世界と被害者を含む世界であるとされている。



まだ事件の背景に何があって誰がいるのか
確かなことはほとんどないのに。
容疑者を取り囲む世界はどんどんと広い範囲に解釈され、
もはや「イスラーム」という壮大な範囲となってきている。
同時に、被害者側の世界は「非イスラーム」という
線引きによって、新しい集団が生まれているようにも感じる。



この事件が起きてから、常に線引きが行われている。
そこにはいつも「正」と「悪」がそれぞれに烙印され、
新しいグルーピングが行われる気がして仕方がない。



なぜこんな事件が起きたのか。
そもそも、繰り返し行われてきたこの線引きのせいではないのか。



ユーラシア大陸から独立した島国である日本は、
イスラームと非イスラームのチーム分けにおいて、
非イスラームであるけれど反イスラームではないという
世界的に希有なポジションが取れている。
しかし、安倍政権が積極的に行使するであろう
集団的自衛権が実際に活用されるとき、
自動的に非イスラームであり反イスラームのチームに入ることになる。
強制的に、世界から線を引かれる。
これは想像できるほどではない変化を日本にもたらすだろう。
よくない方向で。
それでいいのだろうか。



対岸の火事に知らんふりをしろというのではない。
火事現場ではできないことがあって、
世界ではそういう役割の人が
もっとも求められているはずなのだから。
日本はそういう国になれる数少ない可能性を持つ国なのに。



安倍さんは、フランスのデモ行進で
各国の首脳と腕を組んで歩きたかっただろう。
どうして自分がそこに入れないのか。
悔しさすら感じているかもしれない。
テロリズムに対する怒りよりも、
仲間はずれになったようなもどかしさから。
というような想像をわたしはしてしまう。
そういう愚かな考えを安倍さんはする人間だと
わたしは彼に対して考えているから。



とても恐ろしい。




テロリズムはゆるされない。ゆるさない。
それ以上でも以下でもない。
被害者は拡大しても、容疑者は限定されるべきだろう。





















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赤ワインはおそろしい。

2015/01/12 23:52
あわわと仕事を片付けて、
佐藤さんが遊びにきてくれたので
お持ちいただいた赤ワインをごちそうになりながら
キューバ旅行について大変参考になるお話をお聞きする。



お帰りになってから相方と赤ワイン続行するや
睡魔に襲われ昏倒。
起きたら夜であった。



三連休の1日らしく過ごせてよかった。



二度寝に入る(二度寝なのか?)。












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鮨屋の洗練。

2015/01/11 11:47
昨日は、日中は堂島の140Bで作業。
4月に発行する落花生に関する小冊子の編集で、
デザイナーとイラストを描いてもらう人用の資料つくり。



わたしの仕事は、テキストが打てるパソコンと
メールの送受信ができるインターネット環境。
それにコピー機とスキャナあたりがあれば
どこでも基本的に仕事ができる。



なので普段は自宅で作業をすることが多いが、
(まあ、フリーランスなので基本自宅が仕事場なんだけど)
A3でプリントを出したりスキャニングデータを取りたいときは
自宅の家庭用複合機では役不足。
140Bの仕事の場合は、140Bのオフィスに入る。



32ページ分の半分ほどで結構な時間になり、
翌日(今日)に持ち越すことが決定したので、
開き直って街に出る。



先に、新聞連載の取材に出ていた相方と
堂島サンボアで合流。
ジャックダニエルのソーダ割りを飲む。
窓ガラスよりも透明度が高い気がする分厚く美しい氷が
グラスの上げ下げとともに良い音を鳴らす。
思わずはっと息をのむほど美しくおいしい。



四つ橋筋に出てタクシーを拾って阪急百貨店前に移動。
久しぶりに福喜鮨のカウンター。



いか、鯛、ぶり。鯖、トロ鉄火、もいっちょぶり。
赤だしにかんぴょう巻き。
赤だしに入る鯛のあらについて相方が「目玉」、
わたしは「唇」のわがままをこそっと告げると
「赤だしはガンとクチ!」と山中さんが声を張り上げた。
相方と唸る。



ここの鮨を食べるといつも、
ほんとうにシンプルに美味しいものを出すというのは
驚くような手のかけ方をしているのだろうなということを思う。
すべてにおいて、過不足がない。ものすごく洗練された形で。



鮨職人たちの動きも声の出し方も
仲間同士のやり取りも同様に洗練されている。
そうした形になるまでに、彼らが費した時間、
彼らが背負っている時間にどれほどの奥行きがあるのだろうか。
彼らが並ぶカウンターに腰掛けているだけで
そこに広がる希有な光景に感激して、いつも涙ぐみそうになる。
まあ熱燗がまわっているのもあるけど。



以前にネットのどこかで福喜鮨のことを、
「何の特徴もない」と評した書き込みを見たが、
一読して、ああこの人、可哀想にと思った。



この洗練された鮨屋を、特徴がないと感じてしまうなんて。



箇条書きできるような店や味の特徴というのも楽しい。
なによりわかりやすい。
でも、文字にしてわかりやすい鮨屋ほどつまらないものはない。
わかろうとして、鮨を食べるほど、興ざめなものもない。



福喜鮨を書くのは難しい。
わたしも人に訊かれて言葉で説明するとき、
いつも足りなさすぎるのと、余計すぎるような気がして
居心地の悪さを感じてしまう。
わたしの言葉に洗練が足りない。



昨日は、相方が「ぶりは食べなあかん」と暖簾をくぐる前から
何度も繰り返していて、
おろしポン酢でいただいたぶりは、どうかと思いつつ連打してしまった。



福喜鮨で食べる鮨が、
いまこのときのいちばんの旬な素材の
抜群なネタと食べさせ方だと一片も疑いがない。



そんなふうに身をゆだねることができる鮨屋はそうそうなく、
このカウンターでの時間はほんとうにありがたい。
幸せすぎて。
昨日も素晴らしかった。



人には好みがある。
なので、わたしのこの思いは万人に共通するものではない。
当たり前だ。
だからその分店の数もある。
わかっていても、ここが一番と言いたいお店が自分にある。
それがなによりふくよかな気持ちにさせてくれる。



あまりにいい気分すぎたので
新梅田食道街に寄り道して「みやけ」で
400円のプレミアム角を連打。
帰宅して、バンドで新曲でやろうと話している曲をかけて踊る。
軽い二日酔い。
それすらふくよかな気持ちである。










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出前の卵サンド。

2015/01/10 11:28
今日の卵サンドはまたぐんと美味しかった。


これはお店で出せるレベルでは…と自画自賛しながら、
そういえばわたしが卵サンドをつくるときには
いつもケンアンの卵サンドをイメージしていることに思い当たる。


ケンアンは、神戸の三宮高架下にあった喫茶店で、
学生時代のわたしは、
道を挟んだ山側にある立体駐車場でアルバイトをしていた。



記憶があいまいだが、
おそらくアルバイトの先輩がそこの卵サンドが美味しいと
教えてくれたのだろう。


よくシフトに一緒に入っていた学友でもあるユカは
お酒は飲まないが食べるものには執着があり、
実家が料理旅館を営んでいるだけあって
彼女が美味しいというものはいつも納得させられた。
ユカはケンアンの卵サンドが大好きだった。


立体駐車場のアルバイトにすることはほとんどなく、
月極さんが来たらそのまま通して車を立体の車庫におさめる。
ビジターが来たらレジで入庫時間を記録した紙を刷りだして、
透明のファイルに挟んで客に持たせながら、
出庫時間と料金加算の注意事項などを伝える。


月極さんが車を取りに訪れれば、番号を押して出庫させ、
ビジターが戻れば、それに加えて精算する。
それくらいで、飲食店のように下ごしらえの必要もないし、
洋服屋のように客が広げたシャツをたたみ直す作業もない。
路面なので舞い込んだ落ち葉が、
回転板に挟まって機械が不調を起こさないように
簡単に掃除する程度。


駐車場というのは、目的には邪魔になる車を放置する、
あるいは、目的に必要な車を持ち去るという場所なので、
その場所そのものが目的ではない。
駐車場を目的としているのはわたしたちだけなのである。



従って暇である。



立体駐車場を思い浮かべたらわかるけど、
そこで働く人間の居場所は狭い。
わたしがいた三宮駅前パーキング(今もある)には
一畳ほどのスペースにレジやら書類やら掃除用具やらが置かれていて
アルバイトは基本的に二人一組なので、
つまり常時二人がそこで暇をもてあましていた。


男子はたいてい漫画を読んでいて、
わたしたちはひたすらどうでもいい話をしたり、
お互いに写真を撮ったり、
撮り溜めした写真を見せあいっこしたりしていた。
つまり意味なくすごす。
なので「食べる」というのはユカでなくても大きな楽しみのひとつだった。


ユカは長身のスレンダーな肢体から想像がつきにくいが
いつも口を動かしている女の子で、
前にも書いたとおりお酒は飲めないがその分甘い物に目がない。


三宮駅前パーキングはその名には微妙に駅から離れていたけれど、
その名のとおり三宮のど真ん中に位置していて(だからよく流行っていた)
そこを街の拠点とすれば徒歩5分圏内でいろんなところに行けた。


ケーキを買いに行くこともできた。
食べることだけではなく、お取り置きしていた洋服を取りに行くことも、
友人が遊びにきたら、残りの一人のスタッフに留守を頼んで
すぐ近所の喫茶店でこっそりお茶することもできた。
雇い主が何かの用事でパーキングをのぞいても、
30秒で戻ってこれるのでほとんど咎められることもなかったし。


そんなわけで、昼ご飯の選択肢も豊富だったが、
ユカが最も好んだのが3軒隣の赤萬の餃子と
先に話したようにこのケンアンの卵サンドだった。


赤萬の餃子を選んだときは、ほっかほか亭あたりで白ご飯を買って
餃子定食にしてもりもり平らげていた。
味噌だれがご飯にもほんとによく合うのだ。
その日は、狭い空間が餃子の匂いで埋め尽くされたのだが。


ケンアンの卵サンドは、
アルバイトが歴代そうしていたせいか、
お店のおばちゃんが出前を持ってきてくれることになっていた。
パーキングとケンアンを隔てる3車線の道路を、
銀色のトレイに皿を載せたおばちゃんが横切って
パーキングに運んできてくれた卵サンドは、
分厚い卵がまだほかほかと温かく、
口に含むと柔らかなパンとマヨネーズとも混ざり合い、
するりとお腹のなかに落ちていく。


いくらでも食べられた。
あまりに食べられるので、
食べ終わるや電話してお代わりをしたこともある。
そのときは、申し訳ないので出前してもわらずにお店に取りに行くと、
おばちゃんもおじちゃんも笑っていた。


食べた後のお皿はいつもわたしたちがお店に返しに行った。
お店は流行っているのかそうでもないのかわからない客の入りだったが、
後に出前も多かったとお聞きした。


大学を卒業して新卒でアパレルに就職し、数年後に転職して
街の雑誌を編集するようになったとき、
ケンアンのサンドイッチを取材させてもらったことがある。
おばちゃんはなんとなく覚えてくれていて、
(他にもパーキングでたくさんの女の子がアルバイトしていたから)
こんな形で思い出してもらえるなんてと喜んでくれた。


サンドイッチの作り方をおそらく詳しく聞いたはずだけど、
覚えていない。
というより、ほとんど話がなかったような気がする。
パンに卵を挟むだけ。
難しいことは何もしていないわよ。
そんな感じのお話だった。
きゅうりさえない本当にシンプルなサンドイッチだった。


でも今なら、パンの選び方、どんなマヨネーズをどんな分量塗るのか。
卵の味付け、火の通し方などなど、いくらでも聞きたいことがある。
当時のわたしには何をきけばいいのか。
シンプルで美味しいものにはそれこそ理由が積み重なっていて、
聞くべきことは山ほどあったのに、それがわからなかったのだろう。


2000年には取材をしていたことがあるので、
震災後もしばらくは営業をしていたはずだが、
いつの間にか高架下のその場所は新しい店舗に入れ替わっていて、
おばちゃんたちがどうしているのかわたしにはもうわからない。


純喫茶が街からどんどんと姿を消していった時期に、
ケンアンも消えてしまった。


毎朝、試行錯誤しているわたしの卵サンドは
どんどんとシンプルで美味しかった
あのケンアンの味に近づいているはずだ。
そう思いたい。





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毎朝つくる卵サンドが今日のは美味しかったこと。

2015/01/09 10:34
このところ、朝起きたらたまごサンドをつくって食べることに凝っている。


凝ってるもなにも、
食パンに玉子を挟むだけなのだが。


こだわりといえば、
食パンを軽くトーストするくらい。



それでも毎日つくっていると、
美味しい日もあれば、微妙な日もあり、
何かしらコツのようなものがつかめてくる。



今朝のはなかなかいけた。



基本のレシピ(というほど大層なものではないが)。
量はぱぱっと食べられる一人分。
●食パン一枚(6枚切り)
●卵一個
●牛乳(卵に混ぜる・少量)

1)パンをトーストする
 〜その間に卵を準備〜
2)牛乳を少し入れた卵を混ぜて、塩少々、こしょう少々
3)テフロンの卵焼き器なら油をひかずに
  卵を半熟程度に仕上げて、余熱でふんわり火を入れる
4)トーストしたパンにマヨネーズを塗る。
  スライスした胡瓜を並べる
5)トーストを半分に切り、どちらかに卵をのせる
6)もう一枚でサンドする



料理って同時多発テロなので、
レシピを書くのって難しいな、と書きながら感じました。


さて、なかなかいけたと思った今日のサンドのポイントは、
胡瓜をいつもより厚めにスライスしたこと。


あと、マヨネーズを塗った後に、
ミルで胡椒を2、3度がりがりっとひいて加えたこと。
そして卵の塩を少し多めにしたこと。


全体的に味の輪郭がくっきりした。
美味しい洋食を食べたときのように。


一度、もうひと味…と思ってマヨネーズの量を増やしたことがあったが、
それはなんていうか、もたっ、として思ったような味の変化は生まなかった。


ひとつひとつの食材の味を引きだして、
味にメリハリを生むことがなにより大事なのかもしれない。


そして、なんでも毎日続けることが
自分好みの味をつくる秘訣なのだろう。










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キューバのインターネット環境のこと。

2015/01/08 11:27
2月頭から2週間ほど旅に出る。
そのためにすべての案件が前倒しになっていて、
余裕がない。


今朝みた夢では大量の羽虫が飛んでいた。
わたしは虫が大嫌いで、
追い込まれた心境になると、
かならず虫に逃げ惑う夢を見る。


まあ、わかりやすい。
オーケイ、わたしはいま余裕がないのだな。
きちんとわかる。



どこかで「旅先でやればいいかな。パソコンさえあれば、
今の時代、どこだって仕事場になるのだから」と思っていた。


しかし調べてみると、インターネット環境においては(も?)
キューバは完全なる陸の孤島のようだ。
社会主義国家らしく、国民はインターネット利用を制限されている。


一般国民には用事もない高級ホテルのロビーには
カードを購入すれば利用できるwifiが飛んでいるそうだが、
平均所得に対して「それはないだろう」という料金らしい。
そして、ネット接続環境はよくはない。


また、ハバナのような都市部の通りには、
こちらでいうネットカフェのような場所もあるが、
外国人であることを証明する旅券の提示を求められる。
そこにはパソコンが1台か数台並んでおり、
利用するためには根気よく順番を待たねばならない。
もちろんネットの接続環境は劣悪。
例えば、30分いくらで料金を払ったら、
×3の時間と金額を費やして
ようやく目的が一つ達成できたという程度らしい。


Googleもfacebookも使えない。アメリカだから。
という声も見たが、
絶望的にのろのろだけど繋がったという声も見た。
何がどうかよくわからない。
それがキューバのインターネット環境なのだろう。


というわけで、メールのやり取りもできない2週間を前に
必死のぱっちで仕事の山に上っている。
あひー。

















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お風呂本。

2015/01/07 09:52
ようやく脳みそのアイドリングと身体の振動が
一致してきた感じ。


昨日は久しぶりに『東京奇譚集』を読んだ…
つもりだったけど、あれ、久しぶりの感じもしないぞと
ふと本棚を確認すると、
やっぱり単行本で買いなおしていた(知人に譲渡したので)。


というわけでまだページ端のぴしっと揃った真新しい文庫だけど、
贅沢してお風呂本にさせていただく。


お風呂本はわたしにとって「群を抜いて好きな本」の意味なので
著者に対する、グラミーでいうと賛辞みたいなものなので許して欲しい。
って村上さんはそんなこと知るよしもないけど。


そうそう。村上春樹さんといえば。
1月15日よりこんなサイトが期間限定オープンします。楽しみ。
http://www.shinchosha.co.jp/murakamisannotokoro/












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共有できる人。

2015/01/06 10:34
昨日5日は世間の仕事始めとあり、
わたしも140Bオフィスに新年の挨拶などで大阪堂島へ。


液からの道すがらすれ違う人たちは、
みなどこか浮き足だった表情を浮かべていた。


何かがリセットされるって、自分のなかだけの問題だけど
すごく大きいよなあ。
負のものもトイレのレバー押して流しちゃうみたいな感じで。


帰りに堂島アバンザのジュンク堂に寄る。
『その女アレックス』を手に取ったものの、
最終的には棚に戻して、
村上春樹著『東京奇譚集』の文庫と、
朝井まかてさんの『ぬけまいる』文庫をレジに。


『東京奇譚集』は発売後すぐに単行本で買って、
東京に行く新幹線で読んだけど、
すごく面白くて東京で暮らす人に読んでもらいたいと、
平川克美さんにそのまま差し上げたことを思い出す。


そういえば、映画や小説を見たり読んだりした後、
これは絶対に観て欲しい、読んで欲しい!と思う人は
たいてい平川克美さんだったなあ。


イーストウッドの『グラン・トリノ』、
橋本治さんの昭和三部作『巡礼』『橋』『リア家の人々』、
渡辺京二さんの『逝きし世の面影』なんかもそうだった。


ひと言ではいえない感情を、作品をとおして共有できる。
と思える人がいるというのは、ありがたいことだ。











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仕事始め。

2015/01/05 10:53
4日はワンドロップの新年会。
山本通スタジオ(うちの家)に集まっていただき、
ひたすら音を聞きながら飲んで食べて踊る宴会。


5日は世間と同じくわたしも本格的に仕事始め。
2月に旅行に行くので、1月は前倒し案件が山盛り。
やることリストを書きだしてみると、少し胃が痛い。
あひー。


ともあれ今年はどんと構えてひとつずつ
丁寧に向き合いたい。










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謹賀新年。

2015/01/03 11:11
明けましておめでとうございます。


元日は、おせちをつまんで熱燗を飲み、
午後は例年通り相方と諏訪神社へ初詣。


午後の早い時間は清々しいような澄んだ空に雲が浮かび、
諏訪山の中腹にある諏訪神社からの眺望は見事な美しさで、
ありがたい気持ちに包まれました。


その後、空模様は急変。
16時頃にお参りした方によると、
吹雪の中の初詣になったとか。


穏やかな神戸では珍しく、
それもまた思い出に残りそうですが。


夜は、おせちに飽きてベシャメルソースをつくってラザニア。
ほうれん草を入れたのが正解で、彩りにも味にもアクセントに。
『男はつらいよ 夕焼け小焼け』と『スカーフェイス』を見る。


二日は、少なくなったおせちの残りを平らげつつ熱燗。
手羽先の塩焼きが食べたくなり、
相方と近所のコープに買い物。

年末に吉田ちゃんにいただいたスイートチリソースを思い出し、
相方が海老もカゴに入れて、帰宅してまず海老チリ。

手座先を焼いて、『カリートの道』。
地鶏の鳥なんばそばを相方がつくる。

相方は、酔ったのと腰が痛いというので寝室へ。

実家の父母と電話で話す。
親とは、関係性が変わることに安堵もあれば複雑な思いもある。
そしていつも反省させられる。
電話を切ったあとにじわじわ反省させられるので、伝わってないと思うが。
いつまでも良い子どもにはなれないなあ。

録画していた勘九郎と七之助の顔見世大歌舞伎「七段目」を観てから、
アキ・カウリスマキの『浮き雲』を見る。

終盤の頃に相方が起きてきて、意外に興味を持ち、
最後まで観てからもう一度頭から観る。
続けて二度観ても味わい深い。
カウリスマキの敗者ものはやっぱりいい。
『街のあかり』や『過去のない男』もまた観たくなった。


三日、起きるとまた雪景色。
こんなに降るお正月も珍しい。
今年は穏やかでありがたい。


本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

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