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いや、ほんのちょっとだけ。
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青山ゆみこのメモ版ブログです。

改めて「書く」ための、日々感じたことの断片日記帳にしています。
校正推敲無しの一気書きなので、誤字脱字、表現の重複は気にせずどうぞ。
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金継ぎWS「海運堂」×「くるくる」コラボ開催のお知らせ

2018/06/01 20:00
気がつけばもう6月。は、はやい…。

そしてこちらも早いもので、年頭に思い立って立ち上げた寄合場「くるくる」での、「暮らしを考えるシリーズ」金継ぎワークショップも6回目になります。

 
先だってお伝えしたように、第6回はいつものトアロード「バール コラソン」から場所を移して、神戸の住吉駅からほど近いセミパブリック空間「海運堂」(主宰は砂田沙紀さん)さんとのコラボ開催です。


日時:6月17日(日)14時〜16時半頃
場所:個人宅でもあるため、ご予約頂いた方に直接お伝えします

詳細は添付のフライヤーをご参照ください。
(コメントができない場合は
aoyama★140b.jp の★を@に変えてメールください)

 
現在5名ほどのご予約があります。


アットホームな(というかまさに個人宅の一軒家)空間ですし、10名ほどでのんびりお喋りしながらできたらと思いますので、ご興味ある方はお早めにどうぞ〜。

 
フライヤー以外の写真は、これまでのコラソンさんでの開催時のものです。

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第五回寄合場くるくる金継ぎワークショップの告知とあれこれ。

2018/04/24 10:11
先週末の第四回寄合場「くるくる」金継ぎワークショップも、おかげさまでじんわりいい時間となりました。
 

なんとなく、小田亮太さんのバールコラソンだと、「くるくる」はこういう「場」になるのだなと回を重ねるごとに感じられるのが面白いです。
 

次回は5月20日(日)14時〜です。
 

気づけばこの金継ぎワークショップは、もう第五回になります。何度も参加くださる方もいたり、そういう人がてきぱき進行をサポートくださるのもありがたいです(めちゃ助けられています)。感謝。
 
 

寄合場「くるくる」はもともと「地域の寄合場」をつくりたいという私の思いつきで、そのまた一つの思いつきの形として「金継ぎワークショップ」を始めました。
 

【今の暮らしの延長で、できるだけ今までどおりに地域で長く暮らすことができたら】
 

個人的に両親をはじめ家族のことで感じたそんな願いから、これからもどんどん増えるご高齢の方&ご高齢の家族を持つひとに、閉じられたプライベート空間ではない開かれた場で、できるだけ世代を固定しないようにしたい。
 

そこから、バールコラソンの小田さんに相談して、コラソンを寄合の「場」として開いていただくようになりました。
 

回を重ねるごとに気づかされること、考えさせられること、「くるくる」の課題が生まれています。
 

最近は、同じようにご高齢のご家族を抱える世代の方に参加していただけば、そこでお互いに普段はオープンに話さない家族のことを話せる「場」になるだけで意味があるのだとわかってきたり。
 

たまたま選んだ「金継ぎ」ですが、ご家族やご本人の時間が詰まった「器」を通して、自然と「語る場」になるワークショップになるのだと、興味深く感じています。
 

そんな面白さに共感してくれた前回の参加者のお一人から、「出張くるくる」依頼を受けました。
 

そもそも寄合場「くるくる」は何ができるのか、何をしたいのかもまだ定まっていないので、「場」も固定していません(「くるくる」的に「暮らしを考える」ことが第一目的で、もちろん金継ぎワークショップにもこだわっていません)
 

わたしが寄合場「くるくる」を始めようと思ったとき、「三カ年計画」を考えていました(大層!笑)。
 

初年度はまず「そういう寄合場の形がある」と知ってもらうこと。金継ぎワークショップはそのための一つの形となってくれています。自分にとって大きな目標として「月に1度は開催すること」でした。
 

2年度は、「場」をいろんな意味で広げること。開催の会場もそうだし、内容も。「固定しない」ことを目標に、でも「くるくる」でやる意味があることを探す。
 

3年度は、2年掛けて少し認知されてきた(そうなるはず、という願望のもと)「くるくる」で、より実践的に突っ込んだアプローチをすること。
 

そのための一つとして、この4月から社会福祉の勉強を始めています。2年後の国家試験をゴールに想定して、ゆくゆくは専門として「相談援助」ができたらと考えているからです。
 

寄合場「くるくる」が「地域の駆け込み寺」になったらいいな。という今は壮大すぎる風景を想像して、これからも毎月こつこつ「場」を開いていきたいです。
 

6月か7月は住吉の海運堂での「出張くるくる」金継ぎワークショップを予定しています。日程は相談中ですので、なるべく早めにお知らせしたいと思います。
 

住吉の海運堂さんも、個人のお宅(一軒家)でありながら、半分は地域に開放された「場」でもあります。海運堂とくるくるのコラボ開催、どんな感じになるか楽しみです。
また、コラソンでも、いろんな技術を持つ方が講師となって開かれる「場」がこれからいろいろと出てきそうにお聞きしています。とても楽しみです。
 

5回目を前に、なんだか思っていることをだらだら書いてしまいました。
 

そして、重要なことは次回開催が5月20日(日)14時〜ということ(笑)。
 

欠けたり割れたりしても捨てられずにいる器をお持ちの方、そんな思いとともにぜひ遊びにいらしてください。
第4回参加の皆さんで、「初めて意識して」記念撮影しました(一枚目/笑)。
あー楽しかった。
 

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第四回寄合場くるくる主催、金継ぎワークショップのお誘い。

2018/04/18 23:25
またまた寄合場「くるくる」主催「金継ぎワークショップ」のお知らせです。


次回は初の土曜日開催で、いよいよ今週末に迫りました。

4月21日の14時〜16時半頃。
トアロードのバールコラソンにて開催です。


今回は少人数でゆったりになりそうですので、迷っている方も、今からでも全然大丈夫ですので、気兼ねなくご参加くださいませ。


集中して器を磨いたり、金を塗ったりする作業、結構ハマります。笑


そしてやっぱり自分で金継ぎした器を目にすると、すごく嬉しいです。


小田 亮太さんのつくるバールコラソンという居心地の良い場に遊びにくるような気軽さでぜひ。


私も今回は自分のお皿を二つ金継ぎします。
一つはぱっかーんと真っ二つに割れたのを、瞬間接着剤でくっつけたものです。


ご興味ある方はぜひこちらにコメントください。
(あるいは aoyama★140b.jp の★を@に変えてメールください)

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介護職員初任者研修の修了と、社会福祉の勉強のこと。

2018/04/05 10:28
今週の火曜日のことですが、所用のついでに先日修了試験に合格した介護職員初任者研修の修了証をいただいてきました。


認知症の進んでいる父との関係のなかで、混乱したり不安になったり、あまりに自分がわからないことだらけで(車椅子の畳み方さえわからなかった)、知識があれば少しはそゆのがマシになるのかと、ふとした思いつきで通い始めた研修でした。


昨年11月から約3か月、毎週火曜日の朝から晩までのスケジュール確保(及びレポート提出など)がけっこう大変でしたが、たまたまキャンペーンで費用が安かったのと、自転車で通えるからと選んだ未来ケアカレッジ三宮校が、介護現場の超プロである講師陣の皆さんの現場での話や実習指導が素晴らしすぎて、毎回前日の夜にわくわくしながら寝るほど熱心に通うことができました。


ほんの少しの知識と介助の初歩を学んだだけだけど、父と自分のためにはもちろん、周りで同じように迷ったりしている誰かのために使えたらと思います。


ほんでもって、この4月から社会福祉の勉強を始めることになりました(介護ではなく社会福祉制度を学ぶ方向です)。ライターや編集の仕事をしながらなので、通信という選択ですし、50を目前にした(かつアルコールでくたびれきった)脳みそがどこまで動いてくれるかわからないけど、ぼちぼち頑張ってみます。


こちらは2年の長丁場。国家試験をゴールにしたコースなので、早速そろそろ教科書がどっさり届く頃です。


2年の間に、約1か月の現場での相談援助の実習もあります(それが時間的にもいろんな意味でも最大の難問になってくるはず)。


母が一人で背負いこんでいた長年の介護生活や、その後の父のことなどもあり、母の死後、一緒に迷って進んできた兄や弟にも背中を押された部分もありますし、幸いというか相方も応援してくれているので、これもタイミングかと決めた次第。


介護に興味を持ったり、社会福祉の勉強をしたりするなんて、2年前の自分に教えたら、誰よりも私自身が驚くことでしょう。うげげげ。


人生って行きがかり上ですなあ(それか)。


寄合場「くるくる」も実践的に連動していけたらええなんと、いろいろ楽しみです。皆さん、どうぞお力添えください。ぺこぺこり。

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第4回寄合場くるくる主催「金継ぎワークショップ」の告知

2018/03/26 14:43
昨日は第3回寄合場「くるくる」主催「金継ぎワークショップ」でした。

◎次回は4月21日(土)14時〜16時半頃 開催予定です


たくさんの方にご参加いただき、とても楽しい時間を過ごさせていただきました。

毎回、自己紹介のかわりに、お持ちいただいた欠けた器について、皆さんからお話をいただくのですが、お子さんが小さかった頃に使われていて、何年も捨てられずに置いていたもの、お母さまやお祖母様の世代から受け継いで、欠けたけれど捨てられなかった器、また阪神大震災で辛うじて欠けだけで残った器など。


それぞれの方の生きて来られた時間や、抱えているものや、大切にされていることなど、いろんなものが垣間見えて、いつも胸がいっぱいになります。そういう時間を共有できることも金継ぎの良さだなあと感じます。

最初はわいわいと賑やかだったりしても、作業が進むと次第に、蟹を食べるとき以上に毎回場が静まりかえります(笑)。集中して器を磨いたり、金を塗ったりする作業は、どこか普段とは異なる時間を生むようです。

小田 亮太さんが大切にされている、バールコラソンという居心地の良い、親密な空気感の場のせいもあるのか、皆さんすぐに距離が縮まり、前からの知り合いのような雰囲気になるのも、見ていて嬉しいことのひとつです。

次回もぜひ皆さんのご参加をお待ちしております。
※コメントできない場合は
 aoyama★140b.jp
 の★を@に変えて直接メールください。

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高齢者の住環境ってどうなんだろう。

2018/03/02 09:28
昨日は、以前に風邪で休んで振り替えてもらった、介護初任者研修の残りの座学デイでした。

住環境を整えることについては、現在の介護現場の正論があって、例えばバリアフリーで、できるだけ段差のないフラットな空間で障害物をなくすというものなど。

私はときどき大阪池田市にある認知症高齢者のグループホーム「むつみ庵」にお邪魔しているのだが、古民家を利用したむつみ庵は、介護理論でいう正論の対極にある。

と思われているんだけど、昨日の授業を聞きながら、対極にあると同時に、正しく踏襲しているのではないかとも。


というのは、「高齢者にハードルが高い」と思われる住環境は、介護の基本である「自立の支援」に基づいた「残存能力の保持」にもっとも効果的だからだ。


バリアフリーにしたり高齢者の負担を減らす目的は、「安全」である。転倒などの事故をとにかく防ぐ。介護の現場でなによりも優先される重要事項だ。

でも、同じくらい重要なのが、高齢者の残存能力を活かすこと。


同時に成りたたせるのが理想の介護環境でもある。ある意味、むつみ庵は理想の住環境なのだが、それにはスタッフが気を配り、手間をかけて入居者の皆さんの安全を確保してるという現状がある。

大変なことだ。でもなんとかなっている。なんとかしている。どうやったらなんとかできるのか。またむつみ庵にお話をお聞きしにいってみたい。
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こりこり赤ペンで書きながら「書く」ことの意味を考える。

2018/02/28 17:19
今日の午後は、来週末に講師を担当する「宣伝会議」の課題の講評をひたすらこりこり。

編集ライター養成講座で講師を担当するのは、フリーランスになってからなので、考えてみたらもう10年以上になるのか。


10年前から変わらずに、ひとりずつ、何度か読みこんで、しっかり講評を書くことを自分に決めています。


ここをこうすれば良かったという修正提案は、できる限り具体的に書きます。


同時に、意識しているのは、どんな作品でも必ず良いところを見つけること。


というよりは、もしかすると、「値札がつく文章」には遠いかもしれないけれど、書いたその人の気持ちが伝わってこないことはほとんどない。というのが私の持論です。

思いを持って書かれたものには、かならず読み手に届く何かがある。


何かが届くと、わたしはいつも胸がちょっとあたたかくなります。


文章を書く。言葉で何かを伝えるということは、言葉そのものだけじゃないといつも思う。


この講評のお仕事は大好きなんだけど、赤ペンでこりこり書くので手首が痛くなる。


あなたが一生懸命に書いてくれたものを、私も一生懸命に読みました。


私の仕事は、それを伝えることなのだと思う。


それが伝わって、書いてくれた人がまた書こうと思ったり、次はどんなふうに書いたらいいかなと楽しみになってくれたら、それで私の仕事はたいはん終わったも同然なのです。


そういうことを、内田樹先生の『街場の文体論』を読んだときに自分も感じたし、文春文庫の文庫版では解説に書かせていただきました。


身をよじるようにして、思いを伝えること。書くことの意味はそれにつきる。

文庫解説はここでも読めます。






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そろそろ修了まで秒読みの介護職員初任者研修。

2018/02/27 21:11
今日は朝から昨年11月以来、週一で通ってる介護職員初任者研修でした。


先生方にお聞きした話、実習で感じたこと、自分の中で繋がったこと。


思いもかけず広がりを持ってきている。


受講仲間との出会いもそう。


先週は、もっとも感銘をうけた介護実習ご担当の坂本あけみ先生による実習最終日でしたが、張り切りすぎたのか、完全燃焼して帰宅してぶっ倒れました。笑


おかげでいろんな予定が狂ったけど、今日は完全復帰して締めくくりの演習その一を無事に終えました。


先週の講義後、尊敬する坂本あけみ先生と記念に撮影していただきました。
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坂本あけみ先生は、元女子プロレスラーという異色の経歴の介護のプロフェッショナル。身体構造にも造詣が深く、素晴らしい講義に毎回震えました。北斗晶さんと同期だそうで、北斗晶さんのブログにも登場。



受講の合間に、仲間たちと小燕京(しょうえんきん)で中華ランチ。通っている未来ケアカレッジから徒歩2分なんです。
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いよいよこの介護職員初任者研修もあと2回か。


11月から3月までと、始まったときは長いように感じたけど、修了するのがちょっと寂しいほど。それほどに充実した日々でした。

今週はまだ風邪で休んだときの振り替えもあるし、仕事も山積み。確定申告もそろそろお尻に火をつけないといけない。

今日は早く寝ます。笑


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寄合場くるくるは、どこでだってできるということ。

2018/02/26 17:54
昨年の秋から放置プレイになっていた件があり、仕事の合間にようやく片付けることができた。

お待たせしてすみませんでした(その方にぺこぺこり)。

というのは、元町にある1003(せんさん)という本屋さんでの用事なんだけど、それとは別で私が最近ひらいている寄合場くるくるの金継ぎワークショップの話になる。

1003でもやれたらいいですね。

でも階段がちょっと問題になるかもしれませんね。

それが実は階段がハンデにならないひとを対象にした方が、もしかすると新しく面白い試みができるかもしれないんですよ。

というやり取りをしながら、自分でもいろいろ気になっていたことを整理できたので、ここに書こうと思ったのだけれど、帰宅してメールを開いてあれこれ手帳に書き込んでいて気づいたが、今日にも確定申告の準備を終わらせてしまわないと、やることてんこ盛りで間に合わないことに気づく。

というわけで、近いうちに時間を見つけて更新したいと思います−。あたふた。









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父との関係。

2018/02/25 16:11
兄と弟と相談して、父のところには毎週1度必ず誰かが顔を出すことにしている。

昨日はその当番の日だった。もちろんそれ以外にも用事があると足を運ぶ。父のところには、週に2度リハビリの先生が、週に1度はマッサージの先生が来てくれるので、家族に限らずいえば、だいたい毎日誰かが父のところに行く段取りになっている。


父は今年の1月からロングと呼ばれる施設入所をしている。ショートステイというのは在宅介護からの短期入所で、いわば短期間限定の仮住まいとすれば、ロングというのは、完全に居を移すという感じで、父はこの先の人生をロングの入所先で暮らすことになる。

昨年2月、母が亡くなったとき、父は母の入院中だけのショートステイで実家近くのホームにお世話になっていたが、母がいなくなったことで、実家に戻っても一人では生活ができないため、ケアマネージャーさんと相談して、特例的にショートの継続を繰り返して、結局約1年をそこで過ごすことになった。ふらついてよく転倒する父は、24時間誰かがすぐに駆けつけられる状態と、基本的な生活の補助が必要だ。

不甲斐ないことに、うちは誰も父を引き取ることができず、また、母が生前、自分がいなくなっても父を引き取るなと繰り返していたのもある。私たち3人きょうだいもみんな、父と同居できる自信はまったくなかった。脳梗塞の後遺症による半身麻痺という障害だけではなく、父はいろんな意味でなかなかの難物だからだ。むしろ、身体の障害ではなくその性格で、みんなが父との暮らしに怯んだという方が正しいだろう。

私も今もってまったく父と一緒に暮らせるとは思えない。そもそも、母も兄や弟も、家族で一つ屋根の下で暮らしていた頃から、父のことが重かった。異常なまでの支配欲というか、すべてを自分が決めたい、行動を把握したいという束縛ぶりで、子どもを伸び伸び育てるという方向の対極にあるような教育方針だった。

子どもたちは大人になり、家を離れてある程度自由になれた。母はその後も父に縛られ続け、そのうちに半身麻痺の障害を持ってからは、母はもう父を捨てることはできなくなってしまった。

その数年前から、母は父と別れたがっていた。もともと性格がまるで合わない。母も少し変わったところがあるが、無邪気で朗らかな正義感に満ちたよい人だ。父も根本的には悪い人ではないし、面倒見がよく、お調子もののところがあり、外ではそれなりに人望もあったように思う。しかし家のなかに入ると、自分のルールを押しつける非常に面倒な人だった。大雑把な母のやることのほとんどが気に入らず、だからといって昭和の男感満載で家のことを手伝うでもない。

と、私もいつまでも愚痴っぽいなと自分で呆れるが、とにかく素敵なお父さんでもおおらかで安心できる優しいパパとかいうのでは、まったくなかった。

また追々書くつもりだが、母のこと、母の亡くなった後のことで、いろんなことがありすぎた。当初は、父のことをもう親として特別に思えないのではないかと苦しかったこともある。

母の1周忌が過ぎたいま、私が父と接している様子を1年前の自分が目にしたら信じられないかもしれない。親はやっぱり大切というきれいごとを言うつもりもない。1年経って好きになったわけでもない。今も複雑な思いがある。疎ましい気持ちもある。でも、この人は私の親なのだ。それは変わらないのだということを、受け入れられるようにもなっている。

ドラマのように劇的な出来事があったなんてこともない。一度だけ、父に黄疸が出て、胆管がんの可能性が出て手術をすることになったとき、母の死後半年もたっていないのに父まで失うのか、このままでは自分は後悔すると思ったことがあった。あのことがなかったら、もしかしたら、父へのその後の思いは違ったのかも、とは思う。

父を失うかもしれないと思ったとき、自分は父を愛していることを知った。とか、父を初めてかけがえのない大切な存在だと思った。ということもない。ひどい話だが。

ただ、私はまだこの人ときちんと向き合ったことがない。それをしないままに果たして自分はこの先の人生をしっかりと歩くことができるのだろうか。できない。

そう感じた。

抽象的なことばかりの投稿になってしまいました。このあたりのことは、簡潔に書くことはまだできません。そして、今後、繰り返し書くことにもなると思います。

曇天は苦手だ。また晴れた日に父について書いてみようと思います。

父とは結構仲良くやっています。母が生きている間にこうしていれば、彼女の負担を減らして、もう少し楽にできたはずなのに。そのことの後悔ばかりです。
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「本気で眠りましょう」と女医さんは言った。

2018/02/24 12:14
最近になって、自分のメンタルの弱さを自覚するようになった。

我が強いし気も強いので自分に騙されていたけど、そういうのと心の強さは違うのね…(今さらすぎる)。


昨年秋頃から中途覚醒が頻繁に起きて、うまく眠ることができなくなった。並行して目眩も頻発するようになった。

寝つきは悪くないのだが、1時間半ほどで目が覚めて、そこから再び眠りに入るのが難しくなったのだ。

目眩はどうやら睡眠不足によるものだったらしく、ひょんなことで通い始めたレディースクリニックで処方されたレンドルミンを飲み、安定して寝られるようになったらほどなく消えた。

薬効もあるだろうが、この当時は食生活も意識して変えた。藤田紘一郎先生の提唱する「腸活」に基づいて、腸内を整える食事を基本にするようにした。

腸内環境が自律神経の安定に大きく関係するということも知ったからだ。

睡眠というのは、体の問題ではない。脳の問題だろう。その脳に影響を与えるのが腸なのだ。なんてことを知り、試したくなったというわけ。

功を奏したのか、前述した投薬の効果なのか、食生活を意識して薬を飲んでいればある程度の睡眠が確保される。そのことでわたしは安心した。

今年に入って、徐々に薬を減らしたり、飲まない日も増えた。うまく眠られる夜もあれば、不完全燃焼の入眠にいらいらした朝を迎える日もあった。

レンドルミンを処方してもらっていたレディースクリニックは、そもそも中途覚醒が更年期障害の症状ではないかと疑って通いはじめたのだけれど、シャープな女医さんからは、更年期はまだ先であること、睡眠障害だけが通院の目的なら心療内科を推奨することを聞かされていた。

それもあり、前回薬が切れた際に、初めて心療内科の扉を開けてみたのだ。

心療内科で処方されたのは、メイラックスとマイスリー。中度の抗不安薬と寝つきが良くなる睡眠導入剤だ。

レディースクリニックと、この心療内科についてはまた詳細を改めて書くつもりだけど、心療内科の女医さんからもらった言葉がずっと引っかかっている。

「大変な病気ではないから、大丈夫ですよ」

なんていうか、この言葉を耳にしたとき驚いた。「大変な病気」だなんて思いもしなかったから、非常に場違いな言葉を受けたような違和感を持ったのだ。

同時に気がついた。不眠に悩んで心療内科に通う人の中には、「大変な病気」の人もいるということだろう。だから女医さんはごく当たり前のように発したのだ。

もう一つある。

「体に不調を出さないように、本気で眠りましょう」

女医さんの言葉が示唆することは2つ。
私が本気で寝られていないこと。
中途半端な睡眠が体の不調を招いていること。

今週の始めに腸炎らしきもので倒れた日は、ひどい睡眠不足で日中もうろうとしていた。ただ、その日は介護職員初任者研修の実習最終日で、それは私がとても大切に感じて楽しみにしていた実習だったので、通常よりも張り切って参加した。その実習からの帰り道、猛烈な吐き気に襲われた。

体が悲鳴を上げたのだと今なら気づく。蓄積された身体の不調は、慢性的な睡眠不足にもよったのかもしれない(レンドルミンを飲んでごまかしていても)。

心療内科の女医さんは、だから「レンドルミンではちょっとしんどいかもね。もう少しきちんと寝られるようにしましょう。最終的に薬を飲まないで寝られるようになるために」。

まずは身体を整える。その身体にこそ整った心が宿る。

しなやかで強張りのない身体のような心が、しぶとく柔らかな心なのだろう。

部分的に鍛えるのではなく、心もバランスなんだな。







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カツ丼の領収書。

2018/02/23 11:52
この二日ほど体調を崩して寝込んでいたため、1か月ほど前から予約していた大腸内視鏡の検査をキャンセルさせてもらう。

申し訳ありませんと朝イチで先生にご連絡すると、検査のために脱水気味になりますから、その方がいいですよ。落ち着いてからまた検査日を振り替えましょうと優しくご対応くださった。とても良い先生でありがたい。来週くらいにまた相談することにします。

差し迫った状況での検査ではないのですが、それについてはまた改めて。

そんなこんなで、ちょうど仕事もひと段落がついていたこともあり、懸念の確定申告にようやく取りかかっています。

組織を動かしているのは人事と経理。と以前大企業の経理課長補佐を務めていた知人から聞いたことがあるけれど、わたしのしょぼい領収書の束を見返すだけで、わたしが去年していたことが手に取るように思い浮かんでくる。数字というのは正直だ。そして揺るがない。

いちいち思い出しても意味も時間もないので、1時間ほど無心に領収書の割り振りをしていたが、とある束で心が乱れて、逃げ出すようにこのブログに逃げ込んだところ、というのが今。

それは昨年1月の束だった。

そごうでやたら惣菜を買っていたり、タクシーを頻繁に利用したり、普段はほとんど利用することのないタリーズのコーヒーを毎日飲んでいる。

母の入院時は、とにかく食の衰えた母が少しでも口にできるものがあればと、毎日お弁当箱に惣菜をつめて、美味しそうななだ万のスープを持ち込んだりしていた。

またほとんど楽しみのない病院生活のなかで、わたしと一緒にコーヒーを飲む時間を楽しみにしてくれたので、病院内のタリーズで2人分のコーヒーを買って、病室で話をしながら飲んだ。母はコーヒーの味よりも、「娘とお茶を飲む」ことに喜びを感じてくれていたようだ。あまりにささいな楽しみであることに胸が苦しくなるのだが。

1月31日、私は病院併設のレストランでカツ丼を食べている。カツ丼だぜ。ちょっと笑える。

このときのことはとてもよく覚えている。母の弟が京都から駆けつけてくれて、その叔父と二人でレストランに行ったのだ。

先生に呼ばれて、会いたい方がおられたら今のうちに、という状況で叔父がいちばん仲の良い姉である母に会いに来た日だった。

自分が死ぬとは思っていない母は、息子二人にも気を使って、私はいいから仕事に行きなさいと見舞いを断っていたが、駆けつけた弟の顔を見るなり、名前を呼んで号泣した。「わたし、こんなになってしまった」と。

兄と弟と私は、母には本当のことを伝えないと決めていた。母が治療して回復して退院したあとの暮らしだけを希望に入院生活を耐えていたからだ。母の希望を奪うことは、彼女の生きる気力を削ぐことになるだろう。そのことが怖かった。

医師や看護師も、嘘はつけないけれど、治りますよね、私頑張るから先生お願いします、という母の言葉にうんうんと頷いて、頑張りましょう、でも頑張りすぎたから、少し休めてあげましょうねと答えてくださっていた。

そういうなかで、母が本当はどんなふうに感じていたのか、私には今もわからない。ただ、叔父の顔を見た瞬間のあの悲鳴のような泣き声を思い出すと、母はどこかで予感していたのだろうとも思うのだ。その声は私の耳の奥から離れないが、叔父にはもっときつかっただろう。おじちゃん、ごめんなさい。大切なお姉さんをこんな目にあわせてしまって。

あまりに長く話すと疲れるからと、叔父と二人でレストランに行くから、少し休んだ方がいいと病室を離れて移動した。移動途中で叔父がトイレに寄り、私は先にレストランで席を確保していた。思ったより長い時間叔父は戻らず、ようやく戻ると、石が出たとテーブルの上に小さな固まりを置いた。トイレに行くと、尿道から結石が転がり落ちたそうだ。小さな固まりは叔父の苦しみ悲しみなのだな。言葉が出なかった。

母は中学1年で父を亡くし、当時叔父はまだ小学校に上がるかどうかの頃だった。祖母は西陣で帯を織って姉と弟3人という4人の子どもを育て上げたが、末っ子の叔父にとっては姉は母のような存在でもあっただろう。

まったく食欲などないまま、ウェイトレスさんから渡されたメニューを見て、同様に困惑しているような表情の叔父の顔を眺めているうちに、オーダーを聞きに来た若い可愛らしいウェイトレスさんに私はなぜか「カツ丼」と注文をしていた。

叔父は驚いたように「ゆみちゃん、カツ丼か」。少し考え込んで、「じゃあ俺もカツ丼にするわ」とメニューを畳んだ。

なんだか二人で急に可笑しくなって、私はくすっと笑った。叔父は「カツ丼か、ええな」と大きく笑った。

叔父には、長い間伝えたかった礼をのべた。そのことは。ここに書いている。私が文章を書くようになったのは、叔父のおかげでもあることを、ようやく伝えることができた。

叔父は深く黙り込んで、とても嬉しい。ほんまに嬉しいと繰り返した。

こういうところのカツ丼って美味しくないね。私が言うと、はははと叔父が笑って、そういうもんやなと、美味しいものを食べたような表情を浮かべた。

病室に戻ると母は寝ていたが、ほどなく起きて、部屋にいる私たち二人の顔を見てとても嬉しそうな笑顔を見せた。二人でご飯を食べてきたよ。そう告げると、良かったわねとまた微笑んだ。

母はその翌日、息を引き取った。


ところで、わたしはなぜ確定申告に関係のない母の入院時の領収書まで置いていたのだろう。習慣って怖い。

あと叔父の名誉のため(そないに大層なものでもないけど)に言っておくと、会計は私がわざわざ京都から駆けつけてくれた叔父からむしり取って、叔父には後からまたお茶をご馳走してもらいました。




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寄合場くるくるには、誰に集ってもらうのか問題。

2018/02/22 15:13
ふとした思いつきで始めた寄合場くるくる。

とりあえず動いてみるという当初の目標は順調にクリアできているけれど、正直、動いてみなければ自分が次に何をすべきなのか、まったくわからない。

というよりも、遠い射程であれやこれやの夢のような計画はあるけれど、今いる場所とそこの間には少なくない時間があることもわかっているし、それが真っ直ぐ一本道であるとも思っていないほどには、それなりに年を食ってきた。

結果として「やりたかったこと」に辿りついたとき、振り返ると想像もしていなかった道筋がそこにあり、そもそも「やりたかったこと」は思いもしなかったことだったりもする。

だから面白いんだけど。

なんてことを、ゆるい歩みの言い訳にもしつつ、ぼちぼちと進んでいるところ。

今日、たまたま目に入ったツイッターの投稿で、保育園に落ちたから保育園を作ることにしたというクラウドファンディングのプロジェクトを目にした。
https://twitter.com/mimimizuho/status/966513086919135233


読んでいて、唐突に、寄合場くるくるで自分がしようと思っていたことで、ちょっとした軌道修正が必要なんじゃないかと気づいた。

寄合場くるくるは、高齢の方と他の世代がごく自然にないまぜになるような場になれば、と思っている。

そのために、積極的に高齢者にアプローチしていかなければならない。でも、近所の家のドアホンを鳴らして、ここにはお年寄りがおられますか、こんにちは、と声をかけるわけにもいかないし、道を歩いていてナンパするわけにもいかない。


ではどうすればいいのか。高齢者の居場所つくりをされている方にお話を聞くと、高齢の方が高い関心を持つのは一も二にも「健康」。だから自分たちも健康体操を開催したりして、そこに茶話会のようなおまけをつけるのだと。

健康体操。

たしかに良いのはわかる。でも、そういうのはあえて今さらのように私たちがやらなくても、きっとすでに皆さん積極的になさっていることだろう。うちの両親も健康公園を散歩する日課を持っていたが、何よりも切実な「健康」の必要部分は、バーチャルにしか想像できない私たちに出る幕はないのではという気持ちもある。

そうではないアプローチの仕方がきっとあるはず。

人は、自分が何を知らないかを知ることが、いちばん難しい。ご高齢の方が足りていないことに気づいていないこと。それを見つけないといけないのだな。

そうであれば、もしかすると、ご本人ではなく、周りの人の方にこそ見えているのではないだろうかということに思い当たった。

例えば、足の少し動かしにくいお母さんのそばにいる娘さん。気持ちは元気だし、年寄り扱いなんてされたくないけれど、若い人たちと同じようには過ごせないと活動範囲が狭まりがちでもてあましているお父さんのご家族。

そういった、ご高齢の方のそばにいる人に話を聞くことで、その先にいるお父さんやお母さんの困ったことや求めていることに、つながるのかもしれない。

つまり、ご本人に話を気かなきゃ、アプローチしなきゃ、と思い込んで、でも世代間の大きな溝を感じてどうしたものやらと立ちすくんでいたけれど、もっと身近にあふれている自分たち(アラフォー)世代に、ごく普通に話を聞いていけばいいのではないか。

それなら普段からしていることじゃん。

ああ、なぜ私は自分でわざわざハードルを上げていたのだろう…。がっくし。

寄合場くるくるに、ご高齢の方がおられなくても別にいい。ご家族やご近所さんなど、近しいところにご高齢の方がいる人に集まってもらって、何か困っていることはないか。それを聞いていけばいいのだ。

できることがありそうなら、一つずつ考えていけばいい。そうか。そんなシンプルなことなんだな。ずいぶん回り道をした気がするけれど、これも寄り道したから気づいたことなのだろう。たぶん。

さておき、「高齢者の方」「ご高齢の方」とかいう表現の仕方、自分ですごく違和感があるけれど、まだどう定めて書けばいいのかわからない。もどかしい。高齢者と表現した途端、顔がなくなる気がする。これについての課題、引き続き考えていきます。悶々。





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第三回 寄合場「くるくる」金継ぎワークショップのお知らせ。

2018/02/19 17:58
第三回 寄合場「くるくる」金継ぎワークショップ@トアロード「バール コラソン」のお知らせ。
●3月25日(日)14〜16時半頃 
(必要経費だけ参加料としていただくボランティアの会です)

ひょんなことから始まったこの会も、もう次で三回目になります。
月1回開催「暮らしを考える」シリーズの第3回は、前回に引き続き、好評の「古い器と暮らす」ための金継ぎワークショップです。


今回は余裕を持っての告知です〜(いつもぎりぎりですみません)。


本格的な講座ではありません。「みんなで金継ぎを楽しもう」という場です。

お義母さま&お婿さん、おばあさま&お孫さん。あるいはご近所の仲良しの方同士などなど、いろんなご関係の方とご参加ください〜。こぢんまりとした親密な空間なので、もちろんお一人の参加でも楽しんでいただけます。

65歳以上の方はお茶代のみいただいております。

回を追うごとに、皆さんとのやり取りなど味わい深くなっていて、わたしも開催がどんどん楽しみになっています。

コラソンの小田さんと一緒に、皆さんのご参加を楽しみにしております。

●15名まで/要予約 申込はこちらにコメントくださいませ
●参加費/2000円(材料費込・お茶付) 
 65歳以上は300円
 お子さんは小学生以上より(中学生までは300円)
 高校生以上は1000円

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家族オープンで参加する金継ぎワークショップ。

2018/02/15 14:37
今週末の18日(日)は、寄合場くるくる主催の「暮らしを考える 金継ぎワークショップ」の第二回@トアロード「コラソン」。
まだご予約受付けています。
ご家族でのご参加も、大歓迎です。
(家族割もあります。笑)

今のところ、今回は6〜7名ほどのゆったり講座になりそうです。そして、ご家族でのご参加が多いのが、とても楽しみです。

一組は、義理のお母さんと参加の男性。私の仲良しの50代の男性が、奥様は不参加なのに義理のお母さまと二人で参加くださるそうです。

お二人は「ぎくしゃく感」があるとのことですが、ご一緒に参加されるという時点で、十分すぎるほど良い関係ではーと突っ込んでしまいました。ゆるゆる、ぎくしゃくという関係、なんだかとてもいい感じすぎます。

また、ある一組は、お祖母さまとお孫さん(小学校高学年)でのご参加です。

金継ぎは、とても単純な作業行程なので、子どもから大人までそれぞれのペースとやり方でできます。

自分で完成を想像して器を触りながら作業を進めるので、「子ども」とか「お年寄り」とかいう世代の枠もありませんし、遊びなんだけどお遊戯的なレクリエーションではありません。

どんな世代も、それぞれのイメージする世界を愉しむことができます。

大人も子どもも同じ作業をして時間を共有しながら、それぞれの楽しさで遊ぶことができると思います。

細かい作業なので、集中する気持ち良さもあります。

何人かが集まって一つのことをするとき、「言葉」によるコミュニケーションに頼ることが多いのですが、金継ぎの場合は、器と向き合う自分が主人公なので、話をしたくない人は話をする必要もありません。仲良しごっこ的な気遣いも無用です。

なのに、器を触ったり、塗ったりというテーマを共有することで、そこには不思議なほど親密な空気が生まれる気がします。

そんなこんなで、指を使って器を触って想像力を働かせて何かを創り上げる。そんな金継ぎの時間が、例えばぎくしゃくしている関係でも、言葉がないと間が保たないような関係でも、お互いをゆるゆるとつなぎとめてくれるような気がします。

家族がオープンな場で関係を解くとき、ちょっと面白い、何かいいことが起きるような気がします。これは先日、舞踊家の砂連尾理さんと佐久間新さんの家族をひらくプロジェクトに参加したときに深く感じたことでした。

長くなるのでこの話はまた(笑)。
というか、金継ぎワークショップのお誘いでした〜。

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出張くるくる「金継ぎワークショップ」のご案内。

2018/02/02 16:18
出張くるくる「金継ぎワークショップ」のご案内。

「寄合場くるくる」主催の第1回イベント「金継ぎワークショップ」@バール コラソンは、皆さんの協力のおかげで無事に進めることができました。

ただ、初回開催にして、課題を山盛りいただいたというか、考えていかなきゃいけないことがありました。

実は、前々日あたりから、4名3組の方から欠席のご連絡がありました。

それぞれのご事情がありますが、ざっくりいうと「サポートが必要な家族がいて、自分だけの都合では動けない」という背景が、共通した理由でした。

一組はお母さまと娘さんのお二人で参加予定でした。

ご高齢のお母さまはご自身で歩けますが、歩行に補助道具と介助が必要で、外出にはどなたか付添いが必要です。お母さんご自身はお元気で、金継ぎをとても楽しみにされていたそうですが、開催日の少し前から娘さんが体調を崩してしまいました。

私も父が高齢者のホームでお世話になっているので、そこを訪問するときには健康管理にとても敏感になります。父にうつすだけではなく、高齢者がたくさん暮らしている環境に菌を持ち込むことになったら…。とても恐ろしいことです。

そうしたことを考慮して、娘さんは、今回は参加を見送ることに決めました。

そんなふうに、お母さまご自身に問題はなくても、サポートする介護者の事情により、被介護者であるお母さまの行動は制限されます。

また別のある方は、まだ小さいお子さんの子育て中で、当日はご主人が子守担当として同行くださる予定でした。ただ、何にでも熱心に取り組みたい方で、子どもを連れての参加という状態で、そういう気持ちを持って金継ぎを楽しめるのか。自信がないという不安からの欠席でした。

とても楽しみにしているからこそ、気持ちに整理がつかない。母である自分と、単体の個人としての自分。どちらも大事にしたいけど、折り合いがうまくつけられない。

お二人の欠席を理由を聞いて、こういう時にこそ、何かできることがあればと「くるくる」を立ち上げたのではなかったかと思い当たり、改めて考えさせられました。

例えば、親娘でご参加予定だった方の場合。
くるくるのスタッフが、お母さまを迎えに行って、また送り届けることができたなら、娘さんは気にすることなく、お母さまご自身は金継ぎを楽しんでもらえたかもしれません。

また、くるくるのスタッフに、子どもの安全を確保しながらきちんと預かれる人がいたら、趣味に没頭したいお母さんは心配することなく参加できたかもしれません。

今わたしが通っている介護職員初任者研修でいつも言われることがあります。障害のある人や介護を必要とする人の多くは、少しだけ欠けがあって、その欠けを埋めるお手伝いを自分たちがするのだ。その欠けさえ埋まったら、他は普通にできたりするものなのだと。

人によって欠けは違います。他人から見たら、そんなことかと思うようなことも多いし、それに気づいて提案できたらいいのですが、それにはやっぱりこういう場を介して気づいたり、話を聞いて知ったりするしかないような気がします。

寄合場くるくるを始めようと思ったのは、そんなふうに、日常にちょっとした「欠け」を持っている人の、欠けの穴埋めをできたらという思いもあります。

というわけで、課題は山盛りですが、一つ方法を考えました。

前投稿で告知したような、定例の金継ぎワークショップは、誰でも参加できるように「開かれた場所」を設定しています。

ただし、逆に開かれた場所だからこそ、参加しにくい方もおられるでしょう。そういう方のために「出張くるくる」を始めようと思います。

初回に参加できなかった親娘の娘さんのご自宅は、普段からセミパブリップに開かれた寺子屋のような場になっています。娘さんのご自宅なら、今よりもっとお母さまも安心して参加できると思います。

実際に、近くまた、出張くるくるとして金継ぎワークショップを行うことになりました。

というわけで、寄合場くるくるは、ある程度固定された場所と、流動的に変化する場所の2つを両輪に動いていけたらと思います。

通常のイベントには参加できないけど、出張ならお願いしたいという方がおられたらお声掛けください。

金継ぎワークショップは、私をはじめスタッフはボランティアでやっていますので、材料費とお茶代の実費だけで開催できます。場所を提供していただけたら、人数によりますが、一人500円くらいで可能です。

ただし、何も「欠け」のない方々は出張の利用はご遠慮ください。例えば、子育て中で自宅を離れられないという、行動制限の「欠け」があるお母さんなら、何人か集まれる場があれば、くるくる出張は可能です。気軽にご相談ください。
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【第二回寄合場くるくる 金継ぎワークショップ】のお知らせ

2018/02/02 15:46
【第二回寄合場くるくる 金継ぎワークショップ】

場所:トアロード「バールコラソン」
日時:2018年2月18日(日)14時から16時半頃

寄合場[くるくる]主催の、シリーズ『暮らす』イベント、初回は皆さんのご協力のおかげでとても楽しく開催できました。


ありがとうございます。


好評をいただいたので、第二回も同じく「古い器と暮らす」と題した金継ぎワークショップを開催します。


欠けた器を捨てるのではなく、自分だけの器にして、長くともに暮らそうという趣旨です。おうちにある欠けたけれど捨てられない器が愛着のある器に生き返ります。


寄合場くるくるは、ご高齢の方にも気軽に遊びに来れる場所つくりを目指しています。


普段はなかなか親子で外出することはもうないれけど…という方は、ぜひお母さまやお父さまとご一緒にご参加ください。車椅子や杖での参加の場合は、事前にお伝えいただけたらご調整させていただきます。


もちろん親子には限りません。ご近所の大先輩のお友達を誘っていただいても大丈夫です。皆さんでのんびりとご一緒に金継ぎを楽しんでもらえたら嬉しいです。


場所:トアロード「バールコラソン」
日時:2018年2月18日(日)14時〜
※詳細は添付のフライヤーを参照ください
もちろんどこの街の方にもご参加いただけます。

参加費/2000円(材料費込・お茶付)
※ご高齢の方は300円
持ち物/欠けた器(2〜3つ)。二回目の方はもう少し増えても大丈夫です。
Facebookの友達の方は、コメントかメッセージいただけたら予約できます。

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寄合場「くるくる」の立ち上げと、イベント告知。

2017/12/10 11:13
※いろいろ追記更新しております(12月11日付け)

ご高齢の方は、参加費500円にすることにしました。

ご家族やご年配のお知り合いの方など、
お気軽にお誘いあわせの上、
ご一緒にいらしていただけたらとても嬉しいです。

前の告知文面に書くのを失念していたことでもう一つ。

父の認知症が進んでいることもあり、
11月から介護初任者研修を受けています(3月修了予定)。

基本的な介護の知識を身につけるくらいですが、
ご高齢の方を少しはサポートできるかと思います。

コラソンの小田 亮太さんも実は同様の資格をお持ちです。
そのこともあり、小田さんと一緒にできたら安心と
ご相談したのでしたー。

というわけで、この2日で
既に10名近くの方にご予約いただきました。
(まだ1カ月以上先なのに)
ありがとうございます。
初回は定員が少なめなので、気になる方はお早めにどうぞ。

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Facebook投稿の重複ですが、こちらにも。
※イベントは初回なので友人・知人限定になります。


こんにちは。

今日は催しものの告知です(趣旨を含めてちょっと長文です)。


今年はいろんなことがあって、「暮らし」について改めて考えさせられることが多かったです。自分がこれからどう生きていくのかと、初めて考えた一年でもありました(初めてかよ!)。


父や母のことでも、たくさんの方にお世話になって、自分は誰かをそんなふうに助けられるのかとも問われることばかりでした。社会のシステムをありがたいと感じることも、もどかしく感じることもありました。


結局のところ、人はひとりでは生きていけない。ゆるゆるとつながって、お互いにできることを差し出しあって、ゆるゆると助け合いながら生きていくんだなあ。


なんて思って、自分でも何かやりたくなったのです。


これは、内田樹先生の主宰される合気道の道場で学んだことでもありました。


私は基本的に人の後ろを歩くのが好きで、自分から何かしたいということがほとんどありません(まったくといっていいほど、主体性のない人間なのです)。


でも、今回はとりあえず動いちゃう?という気持ちが強くて、とりあえず動いてみます。


寄合場[くるくる]というのを立ち上げます(宣言するだけですが)。名称は、人やものやいろんなことが「くるくる」と循環するイメージです。


寄合場[くるくる]の将来的な妄想イメージはこんな感じ。
◎地域高齢者の「寄り合い場所」になる
◎地域高齢者の「暮らしやすさ」をお手伝い
◎地域住民の社会福祉の「駆け込み寺」になる
◎地域高齢者の「猫の手」になる


3年くらいかけて、少しずつできることを模索していきます。


さておき、何はともあれ「場」があってこそ。ひとまずは高齢者に限らず、いろんな人が集える「場づくり」から始めたいと思います。来年からぼちぼちゆるゆると動き始めます。


そして、ようやく本題(お待たせしました。汗)。


寄合場[くるくる]主催の、シリーズ『暮らす』イベントを開催することになりました。


初回のテーマは「古い器と暮らす」と題した金継ぎワークショップ。

欠けた器を捨てるのではなく、自分だけの器にして、長くともに暮らそうという趣旨です。

すでに、予約をいただいた方の中には、お母さまやお父さまとのご参加もお聞きしています。そんな方、とりわけ大歓迎です。

のんびりとご一緒に金継ぎを楽しんでもらえたら嬉しいです。


場所:トアロード「バールコラソン」
日時:2018年1月28日(日)14〜16時頃
※詳細は添付のフライヤーを参照ください
もちろんどこの街の方にもご参加いただけます。


金継ぎ、ほんと楽しいですよー。欠けたりしてみすぼらしくなったお皿やカップが、にわかに宝物に見えてきます。


ワークショップは、「金継ぎってこんなに簡単にできちゃうんだ!」と知っていただくこと、材料さえ揃えれば(すべてハンズで揃います)誰でも気軽に楽しめるということを、お伝えする内容です。


そしてそして、金継ぎをお教えするのは、東京の6次元を主宰しているナカムラクニオさんの金継ぎ講習を受けて、あとは自分で楽しんでいるというだけの青山が担当しますので(えええ!!)、プロになりたいとか、きっちり構成された完璧な講座を求める方はご遠慮ください。


今回の催しの開催場所であり、今後「くるくる」の拠点の一つとなるコラソンの小田 亮太さんは同じマンションの住民でもあり、個人的なお願いごとなどをするも多く、これまでも「暮らす」ことについていろいろな話をしてきました。


そんな中で同じ地域に暮らす「今後高齢者になる」住民としても「くるくる」に強く共感くださいました。


というわけで、小田さんのご厚意で、ひとまずは定期的にこの「暮らす」シリーズをコラソンにて開催する予定です。


なにぶんすべてが初めてなので、初回は少人数でゆるゆるやりたいと思います。講師もどきの不手際を笑ってゆるしてくれる人のご参加をお待ちしてます。



どうぞよろしくお願いいたしますー。うひー。


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追伸:12月10日
早々に参加のご連絡ありがとうございます!
すでに半数ほどご予約いただきました。
ご参加検討されてる方はお早めにどうぞ


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母のこと、父のこと。

2017/10/30 11:19
めっきりご無沙汰していたこちらのブログ。


橘さんのこともあり、久しぶりに立ち寄ってみたのだが、母の闘病のことなど、過去ログに目を通すと、自分ではまったく忘れていた当時の状況、感情、迷いなどが生々しくそこに残っていた。


まるで他人の話を読むような気持ちだが、共感することが多い。自分が書いたものなのだから当たり前なんだけど、やっぱり不思議な気もする。


たった今のわたしの言葉がまた数年後のわたしに響くこともあるかもしれない。


ぽつぽつ書いて行こうと思います。




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橘真さんのことで、お願いのようなもの。

2017/10/26 20:12
伝説的な名店としてかつて神戸で一時代を画したフランス料理店「レストラン・ジャン・ムーラン」のソムリエを経て、「ジャック・メイヨール」の店主となった哲学するソムリエの橘真さん。

2009年からは、淡路島に移住して、「甲南醸造所 倭文土井農園」を開いて、有機野菜の栽培、平飼いの養鶏による飼料の自給といった自給自足の農業を実践していました。

お別れのことを昨日Facebookに書きましたが、元ミーツの松尾 大さんや、元トアロードホテル支配人の永末春美さんなど、何人かの方が同じようにFacebookに橘さんについて書かれていました。

そこで訃報が届かなかった方が多かったことを知り、お別れに行きたかったという声をあちこちで拝見しました。

昨日25日がお通夜で、本日26日がお葬式でした。

喪主は奥様の樹里さんで、まだお若いのに気丈につとめておられました。小さいお子さんがおられますし、どれだけ心をいためておられるかと、想像するにあまりあります。

闘病の最後はご自宅だったそうで、そばにおられて支えてどんなお気持ちだったかと…。

橘さんは今年の5月に初の著書であり、残念ながら遺作となった『哲学するレストラトゥール - 自給自足の有機農業で実践する「贈与への責務と返礼」』を出版されています。

ご存じの方には、そのまま語り口となって聞こえてくるような、独特でかつ知的な文章で、橘さんにはもうお会いできないかもしれないけれど、本を開くとそこにおられるのだなと胸にしみます。

詳細はAmazonの紹介をご覧ください。
http://amzn.asia/1Bp2IVT

現代思想家の内田樹先生がこんな文章を寄せておられます。
http://blog.tatsuru.com/2017/10/25_0802.php

まだ読まれていない方には是非読んでいただきたいです。

橘さんを知らない方にも興味深い、この時代を生きるのに大切なことがたくさん書かれています。

お別れの挨拶ができなかった方にも、お手元に著書が届けば、橘さんが照れ笑いしながら喜ばれるような気がします。

また、勝手な気持ちですが、残された奥様やお子さんを応援する気持ちでも購入いただけたら嬉しいと思っています。

Amazonでは昨日、今日で注文が続出したのか現在品切れになっていますが、版元のブリコルールパブリッシングのサイトをのぞいていただくと、入手方法がいくつもあります(版元からの直接購入も可能です)。
http://bricoleur-p.jp/product/t_9784990880125.html

紀伊國屋書店やジュンク堂書店をはじめ、全国の書店で取り扱っていますので、もちろん書店さんで探してもらえるのが一番ですが、入手しにくいという方向けにネットの購入方法をいくつかリンク貼っておきます。

楽天ブックス
https://books.rakuten.co.jp/rb/14732222/

honto(丸善&ジュンク堂書店のwebサイト)
https://honto.jp/netstore/pd-book_28365625.html
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その仕事だけが仕事ではない。

2016/12/08 11:41
迷ったけど、ある仕事を断ってしまった。


書くことで依頼を受けることはなによりも嬉しい。


ただ、その内容が、わたしにとって「書きたい」ものであったり、「書かねばならない」と感じるものであったり、なにより「書くことで誰かに何かを伝えたい」という思いを感じるものでなければ、はたしてわたしに「書く意味」があるのだろうか。


今回の案件で得られるのはお金だけれど、断ったのはもちろんわたしにも打算があり、お金以上に失うものがあるのではないかという計算をしたうえで判断したということになる。


わたしはご飯を食べて生きていくために仕事をする。


その仕事として、幸い誰かが「書く」ことにオファーをくれて応えて、おまんまを頂戴している。


「書く」ことは「生きる」ことにも深く通じていて、書いたものはわたしの生きる軌跡ともなる。


そのことと、「書く」ことでご飯が食べられることがありがたく一致しているから、この仕事をしながら生きている。


でも、「書く」ことが単なる商売道具になって、そこに何の思い入れもなくなってしまったら、いや、お金のために作業としてこなして、感情や思いを含まない行為になってしまったら、それはわたしが生きることにも影響を与えるだろう。


ふと考えた。そもそもご飯を食べるために、わたしには「書く」ことしか手段がないのか。


当たり前だけれど、まだまだ方法はある。


そうか、そうだよな。


長くしてきた仕事が、たまたまそれが生きる手段になっていただけで、それがすべてでもないんだよな。


どんなことをしていても書ける。


書くという行為はなんて自由なんだろう。


いきなり視界がぱあっと広がったような師走の頃。






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何かが変わるときには待ちの時間が生じる。

2016/12/06 10:17
日々いろんなことがぐるぐると動き、変化していて、この先がどうなるのかちっとも予想がつかない。


少しずつ、自分が自分の先行きについて実のところどう考えているのかが見えてきている気もする。


気がするのは願望が多いに含まれているので、ほんとうに見えているのかは実のところよくわからないのだけれど。


とにかく何かは変わっていきそうで、一歩踏み出すというか、抱えているもやもやに踏み込むというのは、拍子抜けするほど変化を生むのだと改めて。


母のこと、自身のこと、待ちの時間がしばらく続く。こういうのに耐えるタフさがこの先も強く要求されるのだろうなあ。


待つというのは、とても強く深い行為だ。


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選択すべきは先の道から示される。

2016/12/02 01:34
昨日、今日と、ほとんど吐きそうになりながら、自分のなかをまさぐって問い続けてみた。


さっきお風呂に入りながら、ふと辿りついた考えをじっくり検討してみると、にわかにぱあっともやが晴れたような心持ちになる。


たったいま迷っているのは、たったいまに対する行動の選択が決められないからではなく、少し先、もっと先のことを決め兼ねているからだ。


逆にいうと、いまから近々のことよりも、ずっと先を見据えてみれば、自ずといま選択すべき道が見えてくることにも気がついた。


なにより、自分に納得できる説明がつく。


12月はいろいろと行動に移すときになりそうだけど、それは10年先のためであり、これから10年のためでもある。


この度の母の入院は、わたしにずいぶんと大きな意味を持ったのだなあ。


初めて、ひとりで生きていくことに向き合ったような気もする。


まだまだここからが始まりなんだけど。





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否定の作法。

2016/12/01 10:04
何かを否定してばっさりと切り捨てるよりも、ごくごく小さいものであってもそれを肯定するやり方のほうが、結果的に否定したいものをそぎ落とすことができるのではないだろうか。

遠回りだし時間がかかるけれど、そうやって残って主張するものが生む力の、しなやかな力強さにやっぱりわたしは惹かれる。



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無気力。

2016/11/30 17:19
久しぶりに、どないしよかと思うほど、気力がわかない。

というより、そもそもわたしは明確な目標を持ったり、何かに向かって進んだりしたことがなく、気力なんて最初からなかったんだけど。

という自分を改めて突きつけられて、情けないというか途方にくれるというか、なんだかいたたまれない。

自分の空虚さに絶望するような気持ち。


こういう気分を抜けるには、自分が誰かにとって何かしら意味があると思われていると心底感じることしかないんだけど、今日はそんなことちっとも思えない。

つまり、暇ってことなんだよな。つまり。

自発的に行動できないわたしにとって、暇ほど怖いものはない。

取りあえず、買い物に行きまふ。






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福建省福州福清の旅、振りかえり。黄檗文化促進会編。

2016/11/30 16:52
11月中旬に4日間ほど、相方にくっついて福建省福州福清市に行っていました。


全行程のコーディネイトと通訳をしてくれたのはエイくん。日本語も普通語も福建語もペラペラの、人間的にもほんとうによくできた、大きな志を持った人で、エイくんがいたからこそ稀有な旅になったと改めて。


エイくんが最初に連れて行ってくれたのが、福清市内の住宅街の一角に建つ黄檗文化促進会でした。


明末清初、日本で黄檗宗を興した黄檗山萬福寺の隠元隆g禅師(1592〜1673)は、現在の福建省福清が出身地です。


黄檗文化促進会はその隠元禅師の足跡や仕事に改めて注目した活動を行なっています。


会長の林文清さんは、小耳に挟んだところ不動産をはじめあれこれ商売を手掛けるウルトラ商売人のお金持ちなのですが、同時に文化活動にも熱心で、この黄檗文化研究やそれに伴う日中の文化交流など活動に私財を投じています。


日本でいうと昔の旦那衆のような感じでしょうか。さらさら書かれる書も見事な風流人で、この会館もすべて林会長個人の資金で造られ、そして何より彼独自の芸術的感覚が随所にちりばめられているように感じました。


お話を聞いていると、黄檗文化を紐解くことで、歴史のなかで育まれた日中の文化交流を、もっともっと世に知らしめようという強い意志も感じました。それは隠元禅師だけではなく現在に通じて福州や福清が日本の華僑の故郷としても重要な街であることも、強く関係しているのだと思います。


黄檗煎茶や普茶料理は隠元禅師が日本に伝えたものとして日本史の時間に習った記憶がありますが、それだけではなく名前のとおりインゲン豆もそうだし、孟宗竹に西瓜、蓮根、木魚などほんとにたくさんのものが隠元禅師により日本に持ち込まれたと言われています。


という歴史や文化に触れられるちょっとした美術館ともなっているこの促進会の会館。


1階には凱風館の寺子屋や練心庵的なサロン空間もあるし、黄檗煎茶普及のための煎茶サロン空間もありそこでは地元の人たちが入れ替わり立ち替わり出入りして、自慢の茶を持ち合って飲み比べながら、延々とあれこれ語らう場ともなっています。


大人がそういうことをごく普通に楽しむ様子は、中国の文化度の高さに痺れるような風景でした。そしてみんな日本の文化や歴史にもとても関心が高かったです。


福清に行かれる方はぜひお立ち寄りください。上階にある、書にも通じた林会長のアートコレクションも腰が抜けそうに素晴らしいです。



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わたしは何者なのか。

2016/11/30 14:59
わたしはいったい何が書きたいかと考える行為は、わたしが何者であるかと問われることでもある。

ううむ。



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ひとまず走り込みをしてみようと思う。

2016/11/30 10:17
久しぶりにコラム連載を書くことになった。

そういえば、最近は長い道のりを経てゴールに到達するマラソンのような書きもの仕事が多かったので、短距離や中距離の走り方を身体が覚えているのか、少し不安を覚えている。

そうとくれば、とにもかくにも、走ってみる必要がある。

走ってみないことには、自分の走り方に何が足りないのか、あるいは余分なのかがわからないからだ。

ウォーミングアップと走り込みをしばらくここでしてみようと思います。

ぺこり。





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合気道のお稽古での変化。

2016/04/21 18:58
合気道をはじめて、そろそろ3年半。


このところ、自分のなかで、小さいけれど大きな変化があった。


心のどこかにいつも巣くっていた「お稽古でできなかったら嫌だな」「恥ずかしいな」という気持ちがほとんどなくなってきた。


もちろん、できた方が嬉しいし、できなかったら嫌ではなくなったわけではないけれど、そういうことを思いながらお稽古に行くことがなくなった。


できなくても、できても、そのことにはとらわれず、ただただお稽古を積み重ねていきたいと思っている。


こう書くと、ごくごく当たり前のことだけど、ここまで3年半かかった。


まだまだ先は長い。


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日刊ゲンダイで紹介されました。

2016/02/08 14:10
『人生最後のご馳走』のメディア掲載を、順番に紹介させていただきます。

◎10月2日(金)発行
 『日刊ゲンダイ』12月号「GRAFIC」コーナー
 編集部(ライター原田かずこさん)

見開きのセンターをまたいで、こんなに大きく扱ってもらって、とても嬉しかったです。
福森クニヒロさんの写真に注目した、グラフィックな本としての紹介。

文章はこちらで読めます。
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/164827

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