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zoom RSS シャルリー・エブド襲撃事件の雑感。

<<   作成日時 : 2015/01/13 10:04   >>

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フランスの新聞社シャルリー・エブドが襲撃され、
パリでは160万人規模のデモが行われたり、
SNS、例えばわたしのツイッターでは30%ほどが関連ツイートで、
メディアの関心も高く、世界中に波紋が広がっている。



リツイートなんかはしているが、
わたしはどうも積極的にこの件について投稿できない。
理由のひとつは、この事件について言及するとき
「強く正解を求められる」気がするからだ。



シャルリー・エブドの風刺画をはじめ
掲載内容については賞賛されるものではないが、
言論の自由を脅かすテロリズムは絶対に許してはならない。



当たり前すぎる。



その当たり前のことが前提とならない
宗教的か思想的な大きな隔たりが双方にあるから
こんなひどい事件が起きてしまった。



双方というのは、容疑者と被害者であるが、
前述のように「宗教的か思想的」とわたしが考えるように、
容疑者を取り囲む世界と被害者を含む世界であるとされている。



まだ事件の背景に何があって誰がいるのか
確かなことはほとんどないのに。
容疑者を取り囲む世界はどんどんと広い範囲に解釈され、
もはや「イスラーム」という壮大な範囲となってきている。
同時に、被害者側の世界は「非イスラーム」という
線引きによって、新しい集団が生まれているようにも感じる。



この事件が起きてから、常に線引きが行われている。
そこにはいつも「正」と「悪」がそれぞれに烙印され、
新しいグルーピングが行われる気がして仕方がない。



なぜこんな事件が起きたのか。
そもそも、繰り返し行われてきたこの線引きのせいではないのか。



ユーラシア大陸から独立した島国である日本は、
イスラームと非イスラームのチーム分けにおいて、
非イスラームであるけれど反イスラームではないという
世界的に希有なポジションが取れている。
しかし、安倍政権が積極的に行使するであろう
集団的自衛権が実際に活用されるとき、
自動的に非イスラームであり反イスラームのチームに入ることになる。
強制的に、世界から線を引かれる。
これは想像できるほどではない変化を日本にもたらすだろう。
よくない方向で。
それでいいのだろうか。



対岸の火事に知らんふりをしろというのではない。
火事現場ではできないことがあって、
世界ではそういう役割の人が
もっとも求められているはずなのだから。
日本はそういう国になれる数少ない可能性を持つ国なのに。



安倍さんは、フランスのデモ行進で
各国の首脳と腕を組んで歩きたかっただろう。
どうして自分がそこに入れないのか。
悔しさすら感じているかもしれない。
テロリズムに対する怒りよりも、
仲間はずれになったようなもどかしさから。
というような想像をわたしはしてしまう。
そういう愚かな考えを安倍さんはする人間だと
わたしは彼に対して考えているから。



とても恐ろしい。




テロリズムはゆるされない。ゆるさない。
それ以上でも以下でもない。
被害者は拡大しても、容疑者は限定されるべきだろう。





















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シャルリー・エブド襲撃事件の雑感。 いや、ほんのちょっとだけ。/BIGLOBEウェブリブログ
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