自宅改装報告(その3)2日目午前。

リビングに隣接する和室との境目に、段差ができるため、それを自然にならしていただきます。
そのために、和室の敷居よ、さらば。べりべり。
http://twitter.com/#!/shirasakasatoru/status/60156179682312192


デザイナーの白坂さんが震える職人仕事。あたしも現場を見たいなあ。
http://twitter.com/#!/shirasakasatoru/status/60167712126672896


今日はお天気が不安定ですが、嫌な感じに雨も降らず、工事も順調とのこと。


現場の皆さん、ありがとうございまーす。



自宅改装報告(その2)初日の午後の作業。

リビングの床の作業
http://twitter.com/#!/shirasakasatoru/status/59843193675591680



電気屋さん、リビングの配線作業
http://twitter.com/#!/shirasakasatoru/status/59873774484467712



ギャランドゥ、じゃなくて、がらんどうになったリビング
http://twitter.com/#!/shirasakasatoru/status/59901129726767104


初日の作業は終了です。


夜は、会社帰りに親分と北新地でお鮨を食べて帰宅。すると、地震のときを思い出すような状況だったので、とっとと寝たのでありました(笑)。




自宅改装報告(その1)。初日の午前中。

大地震以降、ぼんやりしていたのもあり、ツイッターにはりついていたのもあり、またこちらにご無沙汰していました。


いろいろと書きたいことはありますが、まずは自宅の改装について。


本日、4月18日(月)~27日(水)で、自宅の台所&居間を改装することになりました。


何年か前に浴室やトイレなどを改装したときのように、ビフォー&アフターをしようと思っていたのに、片付けにあたふたしていたら「ビフォー写真」を撮り忘れてしまいました(ががーん)。


が、しかし、デザイナーの白坂悟さんが実況中継的にツイッターで写真をしてくれているので、それをときどきまとめて報告したいと思います。

白坂悟さんのHPです。
http://s-shirasaka.com/


でも、その報告って誰のため?


はい、あたしのためです(笑)。


白坂悟さんは、親分のお知り合いということもあり、デザインのみならず、改装中は家の鍵も預けておまかせさせてもらっているので、私も朝の挨拶が済んだらとっとこハム太郎で仕事に出かけています。


なので、ツイッターの実況は、仕事の合間に私も楽しみにしているのです。


まとめ方などは、まずはとりあえずツイッターのリンクを貼り付けますが、もっといい編集方法があるはずなのでまた考えます。


本日は、『大阪人』の担当編集ページの入稿真っ最中なので、ちょっと駆け足の、ひとまずご挨拶まで。


4月18日(月) 午前中の部
http://twitter.com/#!/shirasakasatoru/status/59784152517582848



http://twitter.com/#!/shirasakasatoru/status/59804300511162368



http://twitter.com/#!/shirasakasatoru/status/59813104728555521


あっという間に、むしられまくってます(笑)。仕事が早いですねー。


白坂さんのツイッターアイコン写真は「いかにもデザイナーさん」というアンニュイな感じですが、笑顔の素敵なご機嫌なデザイナーさんです。




内田樹邸/新道場のこと。

えっと、頑張ってます(泣笑)。



さて、ツイッターでの内田樹先生の投稿です。
内田邸/道場のことです。


コンセプトも、すごい、かっこいいーです。


夏にミサワホームが主宰してやったAプロジェクトの講演録が公開されました。

光嶋くんと五十嵐太郎さんと三人で建築についての鼎談してます。

読んでね~

http://www.a-proj.jp/event_r20100911_01.html
 》

※ツイッターは改行無しなので、勝手に改行












駆け込み訴え。

驚くほど、はたからそうとは見えないそうですが、自分的には今世紀最大にてんぱっています。



口を押さえておかないと、無意識に「あーーーー」などと叫んでしまいそうな日々であります。



そんな訳で、食べ物をむしゃくしゃかっくらっても、慌てて口をつむいでいたせいか、どうやら歯に虫を育ててしまっているようです。



10日ほど前から、冷たい水がしみるわいな、と独りごちていたら、急速にその虫さんがお育ちになったようで、3日ほど前からは、ぬくぬくとミルクティで暖を取ろうとごくりと口に含むと、耳から頭に抜ける激痛。



なんなんでしょう。あの傷みは。小さな歯の上に仁王立ちしたちっぽけな虫さんは、そのみすぼらしい姿形からは想像ができないほど迫力のある悪魔のような笑い声をあげながら、体の倍ほどもあるハンマーで、あたしの歯を打ち付けるのです。


「いひひひひひひひ…」



その嫌らしい笑い顔は、誰あろう、あたしの顔じゃないですか。根性の悪いあたしが、悪意満載で衝撃的な打撃を与える、打撃力たっぷりの決定打の、と重複する「打」をキーボードに打ち続け、そのことに打ちのめされ我に返る心の余裕もなく、信じがたい非人間的な一言を投げつける時のような、あの、おぞましい顔…。ああ、あたしが悪かったのです。



そういえば、この数カ月で、あたしはドルチェの誘惑、チョコの魅惑に取り憑かれ、原稿がはかどるからなどと、書いてるふりしてツイッターをだらだら眺めてるだけなのに、「補給、補給」とプチ・フールをこの卑しい口に放り投げていたではありませんか。



あのすべてが、虫さんの素晴らしいフルコースになっていたのですね。



痛い。



そのような理由で、この八方ふさがり、四面楚歌、呉越同舟、人生万事塞翁が馬、人間五十年下天の内をくらぶれば、あなたは神を信じますかのこの最中に、歯医者に駆け込み訴えであります。



6年ぶりでしょうか。あの懐かしい金属音。ラジオから流れる歌謡曲のように、素敵なメモリーを回想させてくれたらいいなあ…。そんな一抹の期待を抱いて、本日夕刻、出兵であります。


欲しがりません、虫さんに勝つまでは。









弱音。

当初の予定どおりで仕事Aを来週半ばで10ページくらい入稿というのは余裕なんですが…。



少しお話しが変わってしまった仕事Bを、来月半ばまでで、原稿用紙300枚くらい…というのと、同時期の締切で仕事Cのインタビュー50本くらいの起稿という事態になっちゃいました。



あまりに想像がつかなくて、念のためにリスト化して、スケジュールの余白を目を皿にして命がけで探してみて、あらゆる可能性を検討しましたが…無理ですよね(皿にした目から血)。



でも、無理です、と言うだけでは前に進まないので、とにかく今月中にできるだけ進めてみたいと思います。



まずは、10ページ。その後すぐにインタビュー。の合間にデザイン編集仕事もあるんだけど。ていうか、新規取材もか…(遠い目)。



やっぱり、どう考えてもたぶん無理だけど、できちゃったら自分に感動するかもしれません。したいなあ、感動。そして感動をありがとうとか言いたい(嘘)。



さてと。






真面目であること。

人に「ええ話」と言われる話は、たいていどこがいい話なのかわからないのです。



でも、もし分かって書いてしまっていたら、話は良くても、書いてるあたしはイヤなヤツのような気がします。



狙って書くことはどうかと思うけど、意図して書くのはありかもしれません。



でも、その両者の違いは書き手には明確ですが、読み手には曖昧です。



だからこそ、書き手は真面目であるべきだと思います。



あたしにとって、今現在書いているなかで、もっとも真面目な小説家のひとりは町田康さんです。



人は真面目を突き詰めると滑稽である。



彼の書く小説の登場人物も、彼自身も、それを地でいってる気がします。



切なくて泣きそうで、心が震えます。



さて、鬼のように仕事を片付けます。死ぬ気を通り越して、死んだつもりすらなって仕事しますっっ。きー。







厄神さんの日。

撮影帰りに、駅までを歩いていると、ぽつりぽつりと屋台が目に入り、今日が厄神代大祭だとふと思い出しました。



参道にずらりと並ぶたこ焼きやら唐揚げやらリンゴ飴の屋台たちに誘導されて、ふらふらと人の後をついていくと、細い住宅街への道となり、抜けた先を見上げると、そこには門戸厄神の本殿がそびえていました。



そして、その向こうには岡田山の上に建っている学舎の一部が目に入り、あたしはいつもそばで、厄神さんに守っていただいていたのだなと、岡田山通い3年目にして、今さらのようにしみじみありがたく感じたのであります。



あたしも家人も大厄の年という訳ではありませんが、せっかくなので二人分の御護摩の木札をさせていただき、お線香とロウソクもさせていただきました。



自分のろうそくを点けるためには、他の方のろうそくから火をいただかないといけません。



「お借りします」



あたしは無意識にそう呟きながら、火をお借りし、自分のろうそくを立て、その火でお線香をつけました。



一連の動作を何気なく当たり前にしているあたしは、そうしたことを体が知っていることにはっとして、そういえば、21日は須磨寺さんのお大師さんに、月に一度は清荒神さんへ、三日と開けずご近所である塩屋のお不動さんへと通う母についていろんな神さん仏さんにお参りに行っていたことを思い出しました。



「お借りします」も、母が教えてくれたのでしょう。



いろいろなことに信心深すぎるのではないかと思うほど、母親はたくさんの神さんや仏さんにすがっていたのを、ほどほど大人になってきた頃になると、なんだかどうだかとあたしは思うようになっていました。



そんな会ったこともない、だいたい、本当にいるのかどうかも分からないおっちゃんやおばちゃんたちが、目の前の時間に必死のぱっちのあたしには、さほど重要ではないと感じ始めたのかもしれません。



そして、そんな彼らに振り回されさえしている母が、愚かにも見えてきました。



もう20年近く前ですが、あたしが二十歳前後の頃、バブルで儲けたお金もあったのか、あたしんちは家を一から新築しました。



建築士の方に図面をひいてもらい、土台にもコンクリも予算も時間もつぎ込んで、地下室と屋根裏もある、なかなかの大きな家でした。お風呂はジェットバスにしてもらい、水道管も通常より太くして水もじゃぶじゃぶ使えます。台所のガスは中華料理屋さんのような特別な火力の設定にしてもらい、実際に住んでみると、なかなか面白い家となりました。



そんな家の設計は、いえ、そもそもその土地に決めたのも、すべて母が地相やら家相やら風水やら、もちろん父をはじめ家族全員の年回りまで徹底的に調べた上で行われていたのです。



最高の家、のはずでした。



しかし、時代の移ろいとともに、我が家の経済状態も変化をみせます。



当時、父は、小さな駅前に遊技場を経営していたのですが、パチンコ業界そのものががわりと様変わりし始めて、パンチパーマの店員がいるような昭和のパチンコ店は姿を消しつつあり、カフェ店員のような可愛いコンパニオンのお姉ちゃんがいる郊外型のお洒落パチンコ店が興隆。ご多分にもれず、父の店もその余波をもろに受け、銀行さんがよく自宅にも商談に訪れるようになり、両親が何かを頼む姿をよく見かけるようになりました。



さらに、張り切りまくって建てた一軒家は、水道代にガス代電気代と、普通に暮らしているだけでも異様なまでにランニングコストが高くつきまくる恐ろしい家だったことにも気がつき始めました。ささいにも思えるそんな出費が家計に響くほど、我が家の経済状態は悪化していたように思います。



そんなある日、父は二度目の脳梗塞で左半身が麻痺し、店を畳みました。母が占いに占いを重ねたその家は、店の銀行ローンの担保になっていました。知らない家族が我が家を見学しにきて、あたしの部屋をその家族の娘が気に入って作り付けの家具をそのまま置いていって欲しいと言って来たとき、あたしは入りもしないのに、地震で少しずれて妙な具合になっていたのが気にいらなかったのに、「うーん」と言葉を濁して返事をしませんでした。そして、捨てました。



引っ越しの日、がらんとなったリビングで引っ越し作業を邪魔しながら杖をついてふらふら立っていた父は、何も言わずに涙を流していました。



あたしは無性にそれに腹が立ち、母に言いました。



あんなに占いで調べて、神さんや仏さんにお願いして、お参りに通って、命がけでやってたけど、誰も助けてくれへんね。家相とか運勢とか信じたから、何もなくなったんじゃないのかと。



今日、厄神さんの境内で、他の方のろうそくから火をいただきながら、「お借りします」と呟いたとき、あたしは母に投げつけたその酷い言葉をまた思い出しました。



あたしが放った言葉は、一理あるかもしれないけれど、その一理は口に出す必要のなかったものかもしれない。



そう思えるのには、あたしにも時間が必要でした。神さんや仏さんに自然と手を合わせられるような心持ちになるために、あたし自身が経験したり迷ったり感謝したりすることが必要でした。



神さんや仏さんにお願いではなくて、御礼を言えるようになった頃、父や母にもありがとうと素直に言えるようになった気がします。



厄神さんのお線香の匂いはあたしが今日着ていたダウンジャケットからまだ漂っていて、そのダウンジャケットがあるこの家には父や母もおらず、あたしがここに暮らしているということが、ふと、不思議で奇妙な気持ちにもなりました。



あたしは実家のその家が、知らない家族に売却されたときから、「家」というものに固執しなくなりました。



「家」とは単にその時々の「場」でしかない。固執し所有することにあまり意味はないと。



お線香の匂いを感じながら、また自分の人生を所在なく感じています。














バカと呼ばれると、なぜ寂しいのか。

バカの多い人生を送ってきました。


最近、その影響なのか、よく「は!」と我に返らされて、哀しい気持ちになります。



バカなあたしが最も「バカ」と思うのが、自分が分かってないことを分かっていないことです。



と書いて、あれ、何だかこの話、何度もしてるよな…と思い出アルバムをめくってみると、やっぱりありました。



2003年11月に書いたもの。懐かしいー、と同時に、読んでみて、まるで自分の脳味噌が進化してないことに愕然となりました…。こうしてまたバカを重ねながら生きていくのでしょうか。ふぅ。



凹んだので、貼り付け逃げします。そもそも、そろそろ撮影に向かう準備であります。皆さんもバカじゃない、良い週末をお迎えください。


「のぞみ」HP内《バカと呼ばれると、人はなぜ寂しいのか》より
http://www.onozomi.com/baka/0311ans_aoyama.html






ゆみこ号という名の電車に乗って。

「人生」というものを、確かに生きているのだという実感は、あと一カ月で四十路という現在も、まるでありません。



ただ、なんとなくイメージしているのは…ゆみこ号という電車に乗って(欲望も天こ盛り)、うねうねと曲がった一本のレールの上を、ただただ前に前に進んでいるような感じでしょうか。それも、後ろに戻れないから、前に進むしかないという風に。



あたしはゆみこ号の固定客で、電車は必要以上に小さな駅にも停車し、時には、降りてはいけない街を徘徊し傷つき傷つけ、泣きながらまた次の駅を目指すのです。



ときおり新しい乗客が電車に乗り込んできたり、長く旅をともにした、もはや友と呼びたい彼、彼女が突然下車してしまったり、気の合う人むかつく人、おじいさん、小さな子どもと、脈絡なくいろんな人たちが、ゆみこ号を通過していくのです。



駅から駅へと進む間、あたしは車窓からの景色を眺めるのが大好きです。いろんな街の風景が目の前をとび去って、あたしはその景色を心に少しずつためてゆきます。



例えば、ひとりで酒場で過ごす時間も、そんな感じの気持ちがいつもします。



目の前の光景は、あたしの人生であるというよりも、その酒場でグラスを上げ下げしたり、騒いだり、踊ったりする誰かの人生の一コマで、あたしはゆみこ号の車窓から、ぼんやりただそれを眺めているというような。



その時間は、あたしがゆみこ号で誰かと話をしたり、笑いあったりする時よりも、もっとあたしをあたし的に作り上げることに作用するような気さえします。



それは、とても大事な時間です。



そんな酒場のひとつである「ムーンライト」で、昨日、ジュークボックスからふと「襟裳岬」が流れてきました。



昨年末の紅白歌合戦での森進一さんの声とはまるで別人。活き活きと、寂しさと切なさと泣きたいような希望を届けてくれました。



曲が流れて歌声がカウンターを埋めていくと、あたしはいつしか目の前の景色がぼんやりとかすみ、まるで違う光景が目の前に広がっていました。



遠い昔、一緒に電車のコンパートメントで騒いだ先輩や仲間たち、ずいぶんと長い間お会いしていない、お酒が切れると指が震えてしまう美容師さんの困ったような笑顔も浮かびます。



別に襟裳岬にはなんの関係もないその風景は、その美容師さんが「襟裳岬」を唄ってくれた夜を思い出させてくれたのですが、それはなんというか、漫画なら「妄想コマ」のように、あたしという人生の物語から外れたコマのような気がしました。



ゆみこ号はその間、レールの上を走っていません。果たして妄想コマは、そういう時間の枠の中にはない時間、なのではないでしょうか。



あたしには、そういう特別な力が、いくつかの歌謡曲にはあるのではないかと常々思えてなりません。



だから、「ムーンライト」のジュークボックスに誰かがコインを投げ入れて、カタンという音がして、レコードに針が落とされるといつも、コインを投じたその人のレールを走るその人の電車の中で、その人がその人の人生ではない妄想コマ的な光景と時間を見ているんだろうなと、あたしは車窓からの景色を眺めながら想像してしまいます。



そういうことがどこの酒場よりも多い「ムーンライト」は、あたしにとって特別という言葉ではもはや足りなさ過ぎます。なのに、そんなに大事な場所なのに、いつも結局、宍戸さんとヒサミさんにサヨウナラの挨拶をしたのかも不確かな記憶の中にしかないのです。




たまに、本当に「ムーンライト」は存在するのだろうかと、不安にすらなります。



だって夢のようにフェードアウトして、その終わりの端っこがちっとも思い出せないんですから。



もしかして、「ムーンライト」での時間は全て、ゆみこ号で人生を走るレール上で流れているものではなくて、まるで漫画の妄想の一コマなのではないだろうか。



この確かな時間がそこにあるということを確かめるために、あたしはまたこれまでと同じように、「ムーンライト」の扉を開け続けるのかもしれません。へへ。









打ち上げられた浜では…ぜいぜい。

ひとまず、壮大な起稿海を泳ぎ切りました。


しかし、打ち上げられた浜では、文脈畑を耕せコールが起こり、一息ついたらすぐに整地にかかるものであります。


4月か5月には、まとまった形(単行本)で読んでいただけるはずなので、頑張りますっ(鼻息)。


ここ二週間ほど、そうして、一人の人の声に耳を傾けていたわけですが、なんだろう、なんともいえない親密な気持ちとうか、「もしかしてわたしにしか感じ取れない心の機微」に触れたのでは…という妄想にもとらわれています。


人は、みえたままではないし、見てもらいたいままでもない。



そんなことを、10数時間のインタビューを通して教えていただきました。








さてと。

どう考えても、行けるはずがなかった。


自分の選択が正しかったと実感している土曜日の夜です。


昨年の初冬にはチケットを手配していた、人形浄瑠璃文楽の初春公演が実は今日の午後でした。清治さんの三味線聴きはじめ、となるはずでした。


が、しかし、電車を乗り換え大阪は難波までのこのこ出向くなどとんでもはっぷん。


一刻一秒を惜しんでの起稿作業にいそしんでおります。


そもそも、この作業は昨年末で終えているはずだったのですが、ずぼら極まりないあたしの体質がずるずると荷物をお正月の片隅においやり、年始からお尻がぼうぼうと燃えさかって半焼きとなりながらパソコンを叩いている次第。


その焼け具合は、締切限界焼き穴子に対して、まだ蒸し穴程度。あるいは、白焼きといった体でしょうか。


しかし、そろそろ焦げ臭い匂いが漂っております。


しかし、弱火でじっくりという余裕など皆無。直火の遠火で火力は落とさず、焦がさず崩さず。


締切業火の達人といわれたあたくし、だてに数々の切羽をくぐり抜けてきたわけではございません。


というわけで、まるで意味のないブログなど更新しつつ、実はいこり過ぎた炭をやや鎮静化させていたというわけ。


そして、再び、起稿の海へ。


おぉ、波が高く、海は荒れております。そして、遠くにはまだ陸地が見えません。


とりあえず、今夜がむしゃらに泳いだらば、そろそろ灯台の灯りが見えることでしょう。


ほなら、いてきます。


ざっぶーん。





ご自宅お仕事環境改革大臣からの報告。

自宅での校正作業で感じるのは、周辺のハイテク具合にすっかり置き去りにされた旧石器時代のような通信環境のへなちょこぶりです。


パソコンはそれなりなのですが、電話兼FAXが15年前当時は最先端だった機種のまま。ジュリアナ東京でぶいぶいいわせていたボディコンイケイケのお姉ちゃんが、渋谷の109に迷いこんだような違和感というかとほほな存在感。


いえ、本当にお世話になったんです。


イケイケのお姉ちゃんは、ぶいぶい校正を送受信してくれました。


しかし、もはやデザインやノリの問題ではない。


そもそも、校正だって、FAXをぴろぴろ流すのではなく、うーぎゃうーぎゃとスキャニングしたPDFデータなんかをメールでびゅんと送る時代なのです。


ボディコンの上に毛皮を着るなんてセンスが悪いとかいう問題でもなく、今やもっと機能的なヒートテック一枚身につければ、毛皮なんていらんということなのでしょう。毛皮がモノホンかフェイクかという議論もナンセンスなのであります。


さて、そんなあたしは、昨年末に仕事のスーパーできる女史にツイッター上で相談を持ちかけ、このようなものを勧めていただきました。
《うちは多少場所取ってもがっつり仕事で使えること重視なので、A3までコピー、スキャン、ファクス送受信できるブラザーの複合機「MFC-6490CN」 を使ってます》
橋本麻里嬢に深謝。


早速、年明けに量販店に出向いたのは前に書いたとおりです。


しかし、このMFC-6490CNは、鉄郎が目にした時間城のように巨大で堅牢な風情でそびえており、自宅職場でもあるこぢんまりとしすぎるリビングにこげなものが!と想像するだに恐れおののいてしまいました。なにせ、あたしは石の斧で猪を狩っていたようなものなんですから。まるで初めて目にした機関銃への得体のしれない不安といいましょうか。そういうもやもやが胸を支配したのです。


しかし、売り場のお兄ちゃんの話に耳を傾けていると、確かに相当頼れるスーパーできる君のようです。すっかり好きにさえなってきました。


でも、サイズが…。


お兄さんが、あなたに合いそうな男子がいますよ。そう紹介してくれたのが、できる君の従兄弟、MFC-5890CNでした。



スーパーできる君に対して、まあまあできる君のようです。



かなりサイズダウンするのに、A3コピーにA4スキャンだってこなしちゃいます。やるじゃん。
画像

http://www.brother.co.jp/product/inkmfc/info/mfc5890cn/index.htm


というわけで、サイズ的にMFC-5890CNにしようかと目論んでいます。



しかし、この複合機には通常の電話機能はありません。子機もなし。電波だけですべてを理解しこなしていく孤高の戦士なのです。


しかし、これでは、困ります。いくら携帯電話を家人もあたしも所有しているとはいえ、携帯番号ではなく自宅番号を暗記している年老いたおばあちゃんたちからの声は、行き先を見失ってしまいます。


そんな時のために、とにかく受信という目的で相棒に選んだのがパナソニックのデジタルテレフォン VE-SV08DL です。
画像

http://panasonic.jp/phone/sv08/index.html


まあまあできる君の複合機と、この電話は、一つの電話回線で強力なコンビネーションを発揮してくれるはず、と140Bのスーパーデジタルアドバイザーのスナダ君が教えてくれました。ありがとね。


あとの懸念は、経済的なタイミングのみ。そんなに大した金額ではありませんが、今年度の予算はあたし的にすべて使い果たしていたため、来年度分を回すか検討中です。そうこうしている間に新機種とか出てきてまた悩むのかしら。


なんて悶々としているバヤイではなく、そろそろ取材に行ってきます。はい。





それだけです。

人はなぜ、肩に手をそっとおかれたときに、全力疾走できないのでしょうか。


思わずにっこり振り返り、その人の笑顔に心がゆるみ立ち止まり、なんならその人にべったり甘えて、もと来た道をぼんやり戻りながら、あーでもないこーでもないと、意味のない会話に喜びを感じてしまいそうにすらなります。


しかし、同じその人が、いきなり肩をどんと後ろから突いてきたらどうでしょう。


驚いて前に飛び出すしかないのです。


狼狽えながらもつんのめりながら駆け出しつつ、ちらちらと後方に目をやると、見たことのないような恐ろしい鬼の形相をしたその人が、暗く悲しい目であたしに視線を投げているのです。


それが、締切というものでしょう。


向こうさんだって、必死なんです。その必死は、あたしがちっとも必死じゃなかったことが生んだ訳です。


追い詰められたあたしを追い詰めたのもあたし。


そんなあたしに、何か言える愚痴や弱音はあるでしょうか。


否。


そっと肩を叩いてくれたその人の笑顔を覚えているなら、それを取り戻すこと以外に、あたしにやるべきことはありません。


取り戻せ。


ただ、それだけです。










あたしんち、は、あたしんちか。

本格的に仕事初め。140Bは明日からが正式な営業開始なのですが、相方はフライング気味にとっとこハム太郎で出掛けていきました。


あー、落ち着く。


うちは相方がバツイチで、今暮らしている場所は、相方が前の奥さんと一緒に暮らしていた家です。


一人暮らしのマンションから、ちっこい荷物だけを背負ってやどかりのように移り住んだ時分は、前の奥さんのものがたくさん押入や洗面台にもあり、最初は、「あ!」と驚きました。


なんだか、ドラマみたい…。


そのような陳腐な感想に自分でも笑けつつ、ええもん嗜好であったような前の奥さん(以後、前嫁・敬称略)のフランス語で書かれたシャンプーやハンドクリームまで、「これ、さら(新品)のママやん」と意地汚く使っていたのであります。


前嫁はかっちょいい服飾系のお仕事をしていたので、お洋服やカバンもたくさんタンスの奥から出てきました。


どう考えてもあたしの普段履いてる靴の3倍ほどしそうな革靴も、無造作に靴箱に入ったままに積まれていました。


しかも服のサイズも靴のサイズまで同じという奇遇。なんだか生々しい気がしたので、さすがにこれらには手をつけず、というか、前嫁の服や靴は、私には「相方の所有物」という気がして不可侵の領域に感じていました。


相方は「俺のんちゃうよ」とまた放置。


俺のでも、あたしのでもないモノが二人の家にあるということに違和感を感じていましたが、いつの間にか、「家のモノ」という風情で落ち着きをみせ、今ではどれが誰のものかよくわかりません。


接ぎ木して、お花が咲いたら、もうどのお花が前からで、どれが新しいお花なんて意味がないようなものかもしれません(ほんまか?)。


えと、なんでこんな話してたんでしたっけ。あ、そうそう、今住んでる家のことだ。



うちは相方とあたしがそれぞれ別のお財布で、普段からお互いの収支や懐具合について話をしたり詮索することはありません。自分で稼いだ金は自分で好きに使う。もちろん、好きに貯める(あたしは貯めてませんけど…)。


住んでいるマンションもローンがあったはずで、それが今もう終わってるのかも、よくわかっていません。


という、何もわからない状況ですので、あたしはいろいろと勝手な推測をしています。相方と前嫁が二人でローンを払っていたんじゃないか、とか。


一銭も払っていないのに図々しく住んでいるあたしは、前嫁にときどき申し訳ないようなありがたいような、不思議な気持ちがします。友達カップルがご飯を食べていて、前を通り掛かったのでパスタをご馳走になり、白ワインもぐびっと飲むだけ飲んで、ごめん先に行くわ、さようなら、というような。


つまり、そのテーブルにあたしはあくまで闖入者であり、正式なメンバーではないのです。


うちんちで、相方と暮らしている中で、ふっと同じような気持ちになることがあります。


あたしは、この家で、イレギュラーなメンバーでもある、という。もちろん、前嫁ももはやイレギュラーなメンバーであるでしょう。相方だけはレギュラーだといえるでしょう。


そんなわけで、相方と二人でうちでの時間を過ごしているとき、あたしはどこかに、お邪魔してます、と感じているのかもしれません。


ひとりになったとき、そのお邪魔してますが少しマシになります。自分の家、というよりは、一人の空間で誰に遠慮することもないというか。それは、旅先の妙に落ち着く旅館の部屋で、「あー」とか言いたくなるような気持ちでしょうか。



でも、ときどきふっと思うのです。今やあたしのモノがあちこちを占拠しているこの家で、相方も同じようにお邪魔しますと感じているのではないかと。



ずっと暮らしている空間に、突然、異物が混入し、それが空間を侵食する。自分が自分でなくなっていくような感覚に、彼は囚われてはいないかと。



まあ、つまり誰かと暮らすということは、どんなケースであれそういうものなのかもしれません。自分というベースをおくかぎり、誰かは常に侵入者であると。


お正月は「自宅でほっこり」という過ごし方が多いようですが、あたしは毎年、この下界から閉ざされた自宅の空間が「ほっこり」というより、重苦しく感じることが多いです。街に出ていると適度に風が通りますが、「家でじっと過ごす」大前提が高い壁をつくり、確かに守られているような安心感もありますが、空気の流れが遮断され、その濃密な空気の重さに心が圧迫されそうな気持ちにもなります。



今日、相方が仕事に出掛けたら、家に風が吹きました。昨日、私だけが実家の甥っこ姪っこにお年玉をばらまきに、日中外出していましたが、その間は相方がそんな風に感じたのかもしれません。


いえ、相方はこういうことをちまちまごにょごにょと考えるあたしを、いつもばっさりと一刀両断。きっと今日だって、こんなあたしに言うに違いありません。


「お前は、自分は自分はって、ヒマやのお。自分がそんなに大事か」と。


なんだか小さな器に取り放題のお菓子を詰め込んだのを見られたようで、恥ずかしいですね。そもそもヒマじゃなくて、締切過ぎたお仕事抱えてます。あ、こんな時間に…。


計画性のない自分の先行きが不安すぎますが、今年も鈞ちゃん走りでひょっとこすっとことと励みたいと思います。



さて、仕事仕事。あたふた。









お正月の過ごし方。

お正月も二日目に入ると、うちんちはややどうしたもんやらの迷走状態に突入します。



元旦は初詣など、毎年やることリストを埋めていくだけですみますが、二日目にはなにやっていいのかわからないという(苦笑)。


そもそも、あたしも相方もお正月が苦手な子どもだったようです。


うちの母親は、お正月に異様なプレッシャーを感じて主婦をしていたので、年末になると家の空気は最悪にぴりぴりし、あたしも子ども心にそのぴりぴりをびりびり受信し、いっぱいいっぱいになり大晦日には発熱嘔吐。


ただでさえ「手が回らない」母の厄介者になった思い出ばかり。


大晦日はもっともしんどい一日でした。


相方は商店街の商売人家庭に育ったため、お正月といってもせわしなく、やはりほっこりお正月という思い出はあまりないんだそうです。


お正月に見捨てられた二人。今日は昼食後(おせちとかではなく鰻玉丼を作りました)からお仕事などしています。


ふと考えてみれば、うちは普段から休みの日は昼から(といわず朝からでも)お酒を飲んで、好きなときに好きなご馳走を食べるという習慣があるため、余計にお正月が特別じゃないのかも。ありゃりゃ。


とはいえ、そろそろお互いの家のこともあるし、そういう意味でも大人のお正月を目指したいもんですが…。


とりあえず、今日はそろそろ初売りに出掛けてきます。お仕事用のFAX・スキャナーなどの複合機ですけど(笑)。


お正月、めでたくなくったって、ほっこりしなくなって、まあいつものようにぼちぼちやれたら、それが一番なのかな。


というわけで、行ってきますー。






謹賀新年。

あけましておめでとうございます。


昨年中はありがとうございました。なんだか、あっという間にまた新しい年があけちゃいましたね。昨年は後半がちょっと息切れ気味だったので、仕切り直しの2011年さん、待ってました。


元日は、例年通りに、ご近所の諏訪神社→湊川神社に初詣。湊川神社では恒例の貝のつぼ焼き。神戸人には、これがお正月の味のようにも思えます(と断定コナン)。


夕方から毛ガニを蒸してさくっと平らげつつ、牛と豚の二色しゃぶしゃぶで白鷹。


録画していた「朝まで生テレビ」は、もはやメディアの問題点ばかりで完全武装といった趣の田原総一郎の司会に大至急ブーイングの嵐だったのでとっとと切って、自宅にあった「やすきよ漫才名人集」みたいなDVDでげらげら笑う。


あたしには正月映画といえば、の『男はつらいよ』。長山藍子がマドンナの望郷編は、すごく切なくてさくらの気持ちになって初泣き。


そのまま、ジョン・カサヴェテス監督の『オープニング・ナイト』を観た。


かなりきつい映画なので反対意見も上がったが(あたしから)、「正月はこれぐらいいっとかなアカン」という意見に根拠なく納得して観たが、やっぱり気分が落ち込む。元旦なのに(笑)。


この『オープニング・ナイト』はブログがご縁でお友達になってくれたオオイシさんに教えていただいたので、この作品を観る度にオオイシさんを思い出します。


しばらくお会いしていないのですが、お元気でしょうか。


あ、というか、新年のご挨拶の途中でした。


昨年はかなり飛び石的更新で、ツイッターに夢中になってしまっていましたが、今年はもう少し落ち着いて書きたいとも思っています。


またお付き合いのほど、どうぞよろしくお願いいたします。


なんだかしまらないご挨拶ですが、正月ぼけということで、おひとつ。





持ち越しの心持ち。

師走が押し迫ったここにきて、やり直しの日々が続いている。


というより、そういう時期に入ったのかもしれない。


読み直し、仕切り直し、関係の取り直し…。


直すべきベースとなるものは、考えてみたら、どれも二十台後半からつっぱしった三十台に形作られたものだかりだ。



以前読んだときより、深くしみる。


これまでならそうとは感じなかった一言が、温かく感じる。


今までなんとも思わなかったことに、何か足りないと居心地悪く思う。



例えば、ぐちゃぐちゃに入ってる冷蔵庫を開けて眺めていたら、もっとうまく整理ができるとか、あれとこれで美味しい料理ができそうとか、これは自分では使わないけどあの人が好きそうだからあげようとか。


そんな感じに、自分自身が前より見渡せているような気がする。


というわけで、混沌とした2010年よさようなら。


2011年は少しずつ、人生の整理をしたい。もちろん、継続する2012年にもっとうまく使えるように、いろんなものを補充しつつ、今までのものも使いこなしつつ。


あんまりうまく更新してないこのブログですが、これも冷蔵庫の一部として大切に使っていくつもりです。


また来年もどうぞよろしくお願いします。みなさん、そして自分に。


さて、まだ年内もう少し仕事しますが、どなたさまも良いお年をお迎えくださいませ。







ケーニヒス・クローネの「アルテナ」。

びりびりくる寒さだったけど、心がじんと温まる撮影を終えて、阪急をおりてバスに乗る前にふと立ち寄り「ケーニヒス・クローネ」のザ・ダンケコレクション店(というのね)。



センター街の角の、赤鳥居の横っちょです。



ケイクショコラを物色すると、2種類あり、「アルテナ」と「チョコマドレーヌ」をげと。



この「アルテナ」はケーニヒス・クローネのどうやら定番商品のようで、基本はホールで、面白い壺入りだとかまたいろいろありました。
詳しくはHPにて。
http://konigs-krone.co.jp/goods/altena.html



そのHP画像に申し訳ないへっぽこ写真ですが、ホール八つ切りの単品買いができるのがこれです。
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脱酸素剤が袋のど真ん中にぺたりと貼られて、ちょっと色気がないパッケージですが、型崩れがしないように、ひとつひとつ丁寧に包装されています。1個180円(税抜き)。


ちょっと分かりにくいかもしれないけど、ビスケット地にチョコが敷かれていて、その上がチョコレートのスポンジになってます。そして栗。
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(今日撮ったのに、何十年前かの写真のよう…。
iPhoneのせいにしておこう)

HPには、
《フレッシュバターをふんだんに練り込んだ香味豊かなチョコケーキ。しっとりとした生地と、やわ煮の栗が絶妙の相性を誇る逸品》
と書かれています。たしかに栗はほっこりした食感で、サクッと歯ごたえがあるのに、口の中では生地のあいまってしっとりええ塩梅になじみます。


チョコレートとビスケット地の食感の妙も食べてて楽しい。で、ばくばくばく…といきかけましたが、あたしはまだまだひよっこのチョコラ食べゆえ、半分くらいで満足してしまった。逆にいうと、チョコ好きの人は満足度が高いのだろうと思います。


空きっ腹だったので、いきなり過ぎたのかもしれません。そして、四十路直前のおばはんには勢いがありすぎるのかもしれません。


今日は、ビスケット地ということもあり、ミルクたっぷりのティー・オーレに合わせてみました。だけど、もしかしたら、濃い目の珈琲の方が良かったのかも。



なんでもそうですが、「食べる」というのは、こちらの気分やタイミング、そして合わせるものにより印象が大きく左右されるので、また今度、ちょっとこってりしたご飯を食べた後のデザートにいただいてみたいと思います。


あ、ホット・バタード・ラムなんかと冬の夜長というのも良さそう。ラム酒との組み合わせを妄想すると、さらに夢が膨らみますね。へへ。










初めての生(ナマ)雀鬼・桜井章一さんを見る@朝日カルチャー大阪。

昨日の朝カルは、雀鬼・桜井章一×宗教学者・植島啓司「限界論」対談。


普段の朝カルではお見かけしないような玄人っぽい眼差しの客層も新鮮に、いつもの朝日新聞ビル5階から場所も移して、大正3年竣工の近代建築である堂島・中央電気倶楽部にて開催されました。


対談自体は軽いというかなんというか、麻雀でいうなら、植島先生がわざと振りこんでるのに、「まだまだ」という感じでさらりと流す雀鬼というか、そもそも勝負に持っていかせないように、あれやこれやと気を散らせるような。


全身に緊迫した空気を纏った勝負師を想像していたあたしは、登場の時点でいともたやすく予想を裏切られていましたが、思えばそうしていきなり先手を打たれていたのだと思う。


思ったよりも上背があり、ほっそりしていながらも強い印象は、ダブルのジャケットや大ぶりのネックレスといった素人ばなれした装いにもあるのかもしれないが、なんていうんだろう、細いけどよくしなる枝のようなシャープさが漂っている。


けれど、対談中の言動や雰囲気は、肩の力が抜けまくってて、どっちかといえばふにゃふにゃとすらしていた。


にもかかわらず、最初から最後まで、常にその場を制していたのは桜井章一さんだった。そのなんともいえない柔らかで鋭く拍子抜けすらするような場の操作術は、あまりに自然でどこにも力が入っていない、まさに神業。


あたしはコシさんが暴動を起こし気味で不安だったため、いつでも立ち上がれるようにと最後列に座っていたので、桜井さんが会場に入られた時に真横ですれ違うことができ、舞台に上がるまでの間、その後ろ姿があたしの視線の先にあった。


ゆっくりと肩をやや揺らしながら舞台に向かって歩いているときのことだった。


ちょうど会場の半分あたりの客席の端に座っていた一人の女性の荷物が、どうやら桜井さんの通行を妨げたようだ。


すると、桜井さんはすっとかがんで女性のバッグを持ち上げ、腕に提げたまま、またゆっくりと歩き出した。


女性の頭があわあわという風に揺れているのと、周りの人たちが、どうなるのかとやや緊張して見守っているのが、ちょうど会場の半分あたりから後ろの客たちには見えている。あたしも同様に少し緊張して桜井さんの背中を追っていた。


5歩くらい進んだ時だろうか。


ふっと桜井さんが振り返り、その女性を見つめて、にやり。


後ろからでも、周辺の客の緊張がゆるむのがわかるように、その笑みが会場の空気を震わせながら伝播した。


その場にすっとバッグを下ろした桜井さんは、何ごともなかったかのように、またゆっくりと舞台に歩いていった。


時間にして、3秒ほどの出来事だった。


この時点で、会場の半分くらいの人たちが、桜井さんに「持って行かれていた」のだと思う。


あたしも、そのことがいきなり、そして一番強烈で、あとはぼんやりしていたかも(笑)。麻雀してたら、もうばんばん振り込んでます、はい。


そして、対談のラストには、会場におられた日本韓氏意拳学会会長・光岡英稔導師と精神科医・名越康文さんを無理から舞台に上げてしまい、壇上は濃い四人となり、なんだかしっちゃかめっちゃかになってました。


で、そんな唐突な場とメンツになっても、またしてもゆるやかに、かつ強い磁力で常に場を支配する雀鬼・桜井章一会長。


なんていうか、たくさんの面白い話を聞きましたが、とにかく「ナマで見た」というのが、何より得難い経験に思えたのでありました。



そして、同行した平尾くんや影浦くんと、北新地の焼鳥屋さんで揃って呟いたのが、20年間無敗の男・桜井章一の印象…「そら、勝つわ」でありました(笑)。


雀メモ:「モーパイっていうのは、イカサマなんですよ」桜井章一氏。

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対談後にサインに応じていた桜井章一さん。トークで知りましたが、お孫さんもおられるとか。こんなおじいちゃんって、どんな感じなんでしょうか。いやはや。


追記:あたしにはこちらも初めてのナマ光岡英稔導師。
http://www.hsyq-j.com/
壇上でお話しになったのは一瞬に近いくらいのお時間でしたが、「とんでもなくすげー!」という強烈な印象。いえ、こちらも終始笑顔すぎるほどのゆるゆるとした気配と表情。なのに、ちがう、明らかに普通の人じゃない何かが発せられていました。口から出る言葉(桜井さんへの質問)も鋭いというかいきなり深くて、文脈を3つくらい飛ばして、なのになによりもスパッと美しいというか、あたしには、桜井さん級の衝撃の人物でありました。世の中にはまだまだすごい人がいるんだなあ。しみじみ。









フーシェの「ガトー・ショコラ」。

そろそろシバれる寒さの岡田山をとっとこハム太郎で下山して帰宅。


必殺テープ起こし人になる前に、ちょっと甘いものを…。



というわけで、今日はフーシェの「ガトー・ショコラ」であります。
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お値段は失念。150円前後だったと…(すいません)。



神戸大丸店で購入したのだが、店舗が洋菓子コーナーでも一番端のこぢんまりしたコーナーだった上、150円くらいで割にこなれた値段設定だなと感じたもんだから、実はあんまり期待していなかったのです(失礼)。


でも、これが、かなり好きな方向でした。ビンゴ!て感じっす。
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写真がこの通りまたビミョー過ぎて、まるで伝わらないの残念ですが、見るからにチョコレートの味がしっかりしそうな濃厚チョコ色。


生地が半生手前くらいでわりにしっとりしていて、舌触りもかなりいい感じ。後口はチョコレート食べたみたいにカカオの香りがふわりと広がります。


始まったばかりのケイクショコラレポでは、いきなりの上位入賞。ちなみに現時点でのトップは、リーガロイヤルホテル内のショコラブティック「レクラ」のショコラフィナンシェ。


え、レポないやんって? はい、うっかり平らげました。ががーん。


今週末くらいには仕込みに行こうと思ってるのでまた改めて。


さておき、フーシェの「ガトー・ショコラ」はリピートすると思います。


ひとつ加えるとすると、サイズがやや小ぶり。あたし的には、ちょうどいい感じなんだけど、ガツンといきたい人にはそこが物足りないかも。


自宅にエスプレッソマシンなんてないので、粉末インスタントエスプレッソといただきました。


さて、仕事しよーっと。





元町ケーキの「ケイクショコラ」。

えっと、ばりばりの極左党でしたが、ここ最近になり、甘いものを欲するようになりました。お酒の量が減ったからでしょうか。


とはいえ、ごくたまに小さな焼き菓子を買う程度なのですが、なかでも、ショコラフィナンシェなんかが、量的にも甘もの欲求的にもちょうどいい塩梅。


というわけで、あちこちでショコラテイストのプチ・フルールをみつけるととりあえず買って食べてみる、というショコラケイク生活です。


自分へのメモ代わりにこちらに控えておきます。なので、美味しいから紹介、というよりは、自分がまた次に買うときのための覚え書きです。てか、走り書きレベルです…。そこんとこ、ご理解くださいませ(って誰に言ってんだか)。




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元町ケーキの「ケイクショコラ」200円。


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甘さ控えめで、ショコラケーキというより、ミックスフルーツケーキという感じ。


もそもそっとした食感が、なんとも素朴で心にじんわり。発酵バターを使っているそう。


ミルクたっぷりのカフェ・オレにいい感じ。打ち合わせでぐったりしつつ帰宅し、晩ご飯を作る前に軽く仕事をしながらいただきました。これ以上しっかりチョコレート味、がっつり甘め…となると、ご飯が食べられなかったかも。食事前の小腹にちょうどいい感じですね。


お値段は、どうだろう。安くはないけど、手作りの優しい味がするので、素材のこと考えたら高くもないと思ったり。です。





【元町ケーキ】
神戸洋菓子職人サイトより
http://kobe-sweets.jp/shop/chuo/motomachi/index.htm






映画『ノルウェイの森』の映画についてではない感想(苦笑)。

読書会の翌日、映画『ノルウェイの森』を観た。



事前に、内田樹先生のブログで予習( http://easyurl.jp/1d8k )していたので、原作をイメージしていくと異なる部分も多いのだなと予想できていた。けれども、予想以上にあたしには原作と映画には距離があり、衝撃かつ新鮮だった。


自分の持っているイメージは、あくまで自分のイメージでしかない。小説は、読みたいようにしか読めないし、その読まれ方に正誤はない。


トラン・アン・ユン監督による脚本、そして映像イメージは、彼が『ノルウェイの森』をこう読んだというひとつの強いイメージなのだと理解すると、自分の持つイメージとのズレがとても興味深く感じられた。


映画を観る前日に、読書会という時間を通して、同じ作品の、たくさんのまるで異なる読まれ方を耳にしたことが大きかったと、後から気が付いた。


あたしは、今までいろんな小説を読んできたけれど、はたしてあたしは「読めていた」のだろうか。


あたしの読み方は、あたしが読みたいように理解し、共感し、嫌悪し、呆れて震えてシビれたりしただけで、書き手は、あるいはあたし以外の多くの読み手の解釈は、感情は…。


書きながら、「めちゃ基本的なことやん」と我に返り、ただ、そんなあまりに当然のことに自分が背を向けていたことに愕然となり、ちょっとぼーぜんとしている。


誰かの読み方を知ることで、もっとも強く感じさせられるのは、そのズレの中から浮かび上がる自分というものだろう。


あたしは今までいったいどんな風に読みたがっていたのか、すごく気になる。何十冊、何百冊という本の中に広がっていた世界を、実は自分はどんな風に切りとろうとしていたのか。


いやね、別にこういうの知らなかったわけじゃないんです。正論としてもちろん理解していた。ただ、実感として、ががーんと衝撃を受けているというか、ああ本当にこういうことだったんだなあ…と体で感じているというか。


もしかしたら、これからのあたしの読み方か変わるかもしれない。あたしがいまそう読んだのは、なぜなのか(自問)、あたし以外の誰かはどう読んだだろうか(自問)という風に…。


あたしは少し「夢中の快感」に浸りすぎていたのかもしれない。子どもの頃から、読むという行為に夢中ばかりを求めすぎていて、必死にその快感を手当たり次第探していたのかな。性的快感を求めるサルみたいじゃないか。


と書きながら、『ノルウェイの森』の中で思い出した部分があります。
『ノルウェイの森(上)』(講談社文庫P226~227)
《引用はじめ》
「不思議な人みたいね」と直子は言った。
「不思議な人だよ」と僕は言った。
「でもその人のこと好きなの?」
「よくわからないね」と僕は言った。「でもたぶん好きというんじゃないんだろうな。あの人は好きになるとかならないとか、そういう範疇の存在じゃないんだよ。そして本人もそんなのを求めているわけじゃないんだ。そういう意味ではあの人はとても正直な人だし、胡麻化しのない人だし、非常にストイックな人だね」
「そんなに沢山女性と寝てストイックっていうのも変な話ね」と直子は笑って言った。
「何人と寝たんだって?」
「たぶんもう八十人くらいは行ってるんじゃないかな」と僕は言った。「でも彼の場合相手の女の数が増えれば増えるほど、そのひとつひとつの行為の持つ意味はどんどん薄まっていくわけだし、それがすなわちあの男の求めていることだと思うんだ」
「それがストイックなの?」と直子が訪ねた。
「彼にとってはね」
直子はしばらく僕の言ったことについて考えていた。「その人、私よりずっと頭がおかしいと思うわ」と彼女は言った。

《引用終わり》

僕と直子が語る「永沢さん」という登場人物については、あたしは最も強く惹きつけられていて、それは「好き」とかではなく、限りない「他者」に対する興味という方向で、もうひとつこの部分も何度も読み返している。


『ノルウェイの森(上)』(講談社文庫P74~75)
《引用はじめ》
 僕は三回か四回そんな風に女の子と寝たあとで、永沢さんに質問してみた。こんなことをもう七十回もつづけていて空しくならないのか、と。
「お前がこういうのを空しいと感じるなら、それはお前がまともな人間である証拠だし、それは喜ばしいことだ」と彼は言った。「知らない女と寝てまわって得るものなんて何もない。疲れて、自分が嫌になるだけだ。そりゃ俺だって同じだよ」
「じゃあどうしてあんなに一所懸命やるんですか?」
「それを説明するのはむずかしいな。ほら、ドストエフスキーが賭博について書いたものがあったろう? あれと同じだよ。つまりさ、可能性がまわりに充ちているときに、それをやりすごして通り過ぎるというのは大変にむずかしいことなんだ。それ、わかるか?」
「なんとなく」と僕は言った。
「日が暮れ、女の子が町に出てきてそのへんをうろうろして酒を飲んだりしている。彼女たちは何かを求めていて、俺はその何かを彼女たちに与えることができるんだ。それは本当に簡単なことなんだよ。水道の蛇口をひねって水を飲むのと同じくらい簡単なことなんだ。そんなのアッという間に落とせるし、向うだってそれを待ってるのさ。それが可能性というものだよ。そういう可能性が目の前に転がっていて、それをみすみすやりすごせるか? 自分に能力があって、その能力を発揮できる場があって、お前は黙って通りすぎるかい?」
「そういう立場に立ったことがないから僕にはよくわかりませんね。どういうものだか検討もつかないな」と僕は笑いながら言った。
「ある意味では幸せなんだよ、それ」と永沢さんは言った。

《引用終わり》


また読み返したくなってきた。


引用しながらまた気がついたけど、この部分にどう惹きつけられるかも、あたしの仕方でしかない。



読むって面白いなあ。と、どうしようもなく当たり前のことをじんわりしみじみと感じている。


次回は映画の映像や俳優や脚本について書きたいと思います(苦笑)。













初めての読書会。ハジメマシテの新元良一さん。

初めての読書会は、司会の新元良一さんの雰囲気のままの、穏やかでいて力強く、そして心地よく混沌とした時間だった。


その読書会とは、こちら。
http://bit.ly/aWTGBm


課題は村上春樹の『ノルウェイの森』。


サイトにあるように、京都造形芸術大学の芸術表現・アートプロデュース学科の取り組みの一環でもあるようで、写真の学生さんたちが中心となり運営されていた。


新元さんの抜群のかじさばきで、みんなに話を振られるので、もれなくあたしにも質問を投げてくれたのに、しどろもどろと意味不明のことしか答えられずにごめんなさい。


考えてみれば、30回は通読していて、ぱらぱら読みでは、もう何度本を開いたかわからないほど読みこんでいるため、もはやどこからどこまでが小説でどこがそこから喚起されたイメージなのかもあたしには境界線がひきにくいほど、溶けこんでしみついている小説でもある。



でも、普段は作品についての話などはしない。そもそも村上春樹という作家について会話することも避けている。


だって、『ノルウェイの森』が好き。 なんて、恥ずかしいじゃない。


村上春樹について、みんなで語るって、こっぱずかしいじゃない。


もちろん、文芸誌の特集はだいたい買っている。『ユリイカ』の村上春樹特集もバックナンバー購入して揃えている。


なのに、いや、だから、あたしは村上春樹を好き、いや、好きなんていう言い方するのも違和感を感じるほど、自分に溶けこんでいるその作家なのに、他の誰かが同じように熱くなんて語っちゃったりしたら、興ざめなのだ。


あたしの語る村上春樹だけが村上春樹であって、他の誰かが熱く語る村上春樹はあたしの大切な村上春樹じゃないのだ。


と、思っていたので、村上春樹を語る読書会なんて、もっとも避けたい空間のはずだった。



でも、読書会は新鮮と刺激に満ちていて、その一番の理由は、驚くほど村上春樹の文体に拒否感を抱く人が多かったという事実だ。


こんなに嫌われていたなんて…(笑)。


たくさんの「へ~」があったのだが、最も印象に残っているのは、ある学生さんの発言。新元さんによる、作中に頻出する「完全/不完全」についての問いかけへの、その回答のひとつ。


「村上春樹はずるい。不完全さをうりにしたら、みんな共感して、そりゃ売れるでしょ」


口調や言い方は異なると思うのだが、内容のニュアンスはこんな感じだった。恋愛小説でもなく、あの時代の小説でもなく、彼女には「わたしたちの、何か欠けたものを抱えて生きているという思いへの共感を意識した」小説なのだろうか。


小説は読みたいようにしか読めない。あたしは小説のもっとも面白いところはそこにあると思う。


どう読むかには、その人がなにより顕著に表れる。


昨日のあたしの発言も、思いかえせば、何よりもあたし的で、村上春樹について語ろうとすればするほど、あたし自身を語っていた。



もちろん結論など出ずに、という素敵な結論を新元さんがほんわりと提案してくれて、Storyville読書会はなにげなくフェードアウト。会場となった、京都BAL8階ジュンク堂書店奥「Morris Cafe」の方が、ビートルズの「ノルウェイの森」をかけてくれたのもじんわりときた。


あたしには、その出会いからして大切な作品で、その最初に読んだときのことは何度か再録しているが、やっぱりまた新元良一さんとも出会わせてくれたし、助っ人的なタケモト女史(スカッとしてかっちょいい)とも再会できたし、学生さんたちにはまた会いたいと思いたい子がたくさんでわくわくした。


これが、『ノルウェイの森』、そして村上春樹との出会い。
http://yummyao.at.webry.info/200709/article_3.html


そんな幸せと興奮の記念に、そのままジュンク堂書店の文庫本コーナーに小走りしてドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を買った。少し前に新刊の『ねむり』を読んだところだったので、トルストイの『アンナ・カレーニナ』と迷ったけど、『ノルウェイの森』ならやっぱりドストエフスキーかな。


新元さんも挙げておられたが、あたしも多くの読者と同様に、スコットジェラルドの『グレート・ギャツビイ』も村上春樹さんに教わった。レイモンド・チャンドラーはもともと読んでいたけど、余計に好きになった。


ドストエフスキーもそんな作家になってくれたら…と考えるだけで興奮しちゃうぜ。


で、今朝から読み始めています。先は長い。長すぎる。ミーチャの哀しき生い立ちが始まったので、では。











青少年育成条例に関するツイッターの動き。

続けて、ツイッター上でもかなり活発な動きがみられる青少年育成条例に関して。



橋本麻里さん投稿
《おはようございます。昨夜から青少年育成条例に関する投稿(http://bit.ly/ihvYpt )の公式&非公式RTが続いています。公式RTだけで1300件に迫っている模様。拡散多謝です。打つ手はまだいろいろありますが、今後ぜひ「選挙」で都議、都知事に意志を示しましょう。》
12月10日8:30頃



9:00の段階で、RT(リツイート)がさらに増えて1500件以上になっているとか。



ツイッターは、誰かの意見に対して「賛同」の意思表示をするのがすごく簡単で、その行為を通して、賛同する相手と周辺に意思表示ができる。


そうした機能が、現在、あたしの前を行き交っている「意志」を、次回の選挙で「無効票」から「有効票」へと姿を変えさせて、水面上に一気に浮上して驚かせそうな気がして、強い期待と興奮を感じている。


本当に強い期待。不謹慎ながら、どこか画期的な実験を眺めているような気分でもある。


ツイッター上のタイムラインで見ていると、橋本さんをはじめ、みんなの動きが「レジスタンス活動」に感じてる。


というくらい、石原慎太郎都知事の独裁者ぶりには呆れているんだけど。









ゴーマンかまして…よかないよ。

橋本麻里嬢( https://twitter.com/#!/hashimoto_tokyo )のツイートを備忘録的にメモ。同時に、ツイッターしてない人に向けてもいろいろペーストしちゃいます。


《まとめて読むと呆然。「石原慎太郎の失言・問題発言集【東京都知事】」http://bit.ly/eqpQL9
12月7日22時頃の投稿


もう…。ゴーマンかましすぎじゃないすか?

さらに、
《都知事の同性愛者差別発言(http://bit.ly/gUuAk0)続報。7日、真意を確認する記者の質 問に「どこかやっぱり足りない感じがする。遺伝とかのせいでしょう。マイノリティーで気の毒ですよ」と。毎日新聞 http://bit.ly/fTg7vo
12月8日0:30頃の投稿


東京都民じゃなくて良かった…とレベルの低いこと言ってしまいそうになる今日この頃。


こんなのもあります。
https://twitter.com/#!/hashimoto_tokyo/status/12003131869110272



そして、猪瀬副知事、お前もか…。
https://twitter.com/#!/hashimoto_tokyo/status/11968550386278401


前後の文脈を読み取れていないものが仮にあったとしても、「マイノリティーで気の毒ですよ」という発言から、つまり石原ゴーマン慎太郎都知事の基本スタンスには、「マイノリティは気の毒なもの」というものがあり、その発想、いや、もはや思想だろうけれど、そこに全てが集約されているうような気がしてならない。





















手帳のこと。

ツイッター( http://twitter.com/#!/aoyama_kobe )でも書いたけれど、毎年、手帳は「紙」で「1カ月見開き」重視主義。
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(高橋サイトから拝借。使っているのは日曜日始まり。てか月曜日始まりあるんだ。そっちが良かったのに・驚)


ほとんどの予定を全てここに記入。サイズは文庫版なので、日によってはかなりぎゅうぎゅうのぎちぎち。


例えば今なら、3案件ほどが並行して進んでいる&私用の会食などもあるので、それぞれをマーカーや色ペン各色でくくっておきます。そうすると、だいたいの感触が掴める。


編集やライティングの仕事は、その時期がどの行程にあるかで、かなり仕事内容が変わるので、その流れを掴んでおくことがけっこう重要になる。


校正時期で引っ込んでいるのか、取材でずっと外出しているのか。はたまた原稿書きに追われてパソコン前にはりついているのか。例えば、原稿時期は昼夜の区切りもないし、取材時期は忙しそうにみえて、意外と夕方以降に自由に動ける余白的時間があったり。



ということを、パッと開いてザッと感じたいので、「1カ月見開き」集中記入となる。



手帳の大半をしめる「1週間メモ用」ページは、実は無用の長物だったりもして、毎年、ほとんど白紙のまま。
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ただし、取材ノートを忘れたときの代用になるという安心感があるのもいいし、とっさに書き留めたいことが思い浮かんだりすると、適当に開いて殴り書き。年に数回だけど、そういう風に使えるという「余白」が嬉しい。



なくてもいいものだからこそ、逆説的にあると嬉しい。無用の長物は言い過ぎですね。ごめんよ、余白。あなたの存在にはいろいろ考えさせられていますけん。



という訳で、ここ数年、手帳は高橋。1冊千円程。去年はピンク、今年も少し迷って結局同じこの色にしてみました。明るい色の手帳は持ってるだけで明るい気分になります。仕事ばりばりしてる雰囲気からほど遠いけど…へらへら。
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http://www.takahashishoten.co.jp/notebook/978-4-471-70324-0.html


ちなみに、案の定、うっかりエルメス手帳にも憧れてしまったことがあったけど、アイツは気が合わなかった話はここで→ http://yummyao.at.webry.info/200810/article_24.html ていうか、ここでも今日書いたのと同じ話を書いてる(苦笑)。それ見て思い出したけど、高橋手帳の前は神戸・トアウエストの雑貨店「one way」オリジナルを愛用してた。いわゆる「ビジネス手帳」とか使ったことないなあ(遠い目)。



さて、あたしの手帳は前年11月始まりなので、すでに新しいヤツと併走し始めて1カ月。そして師走もよろしく。また来年もあっという間なんだろうな。ぎっしり書きこんであげられるように頑張ります。へい。












不在の存在の彼女。

いろんなことが進行途中だった元同僚が突然ひとりで先に逝ってしまった11月も去っていった。



いろんな思いが平常の温度に戻り、あたしの日常が始まっている。



少し離れた場所でお互いを感じながら仕事をしてたときよりも、日々、彼女が近く感じている。



死には距離も時間もない。そして今も実感がない。



ときどき、そのあまりの実感のなさが、彼女に失礼なんじゃないかとか、あたしは無神経すぎるんじゃないかとか、実感とはそもそもいったいなんだなどとも思う。



あたしが生活の中でこまごまとぐるぐると思考することや、誰かと喜びを共感したり、哀しさを共鳴させたり、怒りを同調したりするそういう中に「実感」を探そうとするも、まるで空をつかむような感触しかなく、「実感」したはずのたくさんのあれこれは、どこにも見つけられない。



一人でいても誰かといても、あたしはよく「自分」の意識や肉体の不確かさにひやりとさせられることがある。



こうして何かを書いている今も、あたしは本当にここに存在しているのだろうかと。



がむしゃらな毎日の時間の中では、もちろんそんなことを思い浮かぶ暇も余裕もないんだけれど。そして、きっとみんなもそうなんだと思うんだけど。



存在しているかもよくわからないあたしと、一応ははっきりと消えてしまったとされる彼女の肉体と、どちらに確かさがあるかと訊かれたら、彼女がいないということの方が、あたしがここにいるということより確かにも思える。



いや、それもどうだろう。やっぱりまだよくわからない。



ただ、「不在の存在」となった彼女が死者として立ち上がった今、彼女が「存在」していたことを強く感じている。



これが実感なのかな。


それにしても、いい人が早く逝くというのは本当なんですね。そういえば、あたしは今回それも実感したのかな。



死は唐突にやってきて、彼女の人生を終わらせたかもしれないけれど、彼女が終わった訳ではない。


終わっていないものが彼女自身のものなのかは分からない。ただ、あたしのものでもないだろう。じゃあ誰のものなのか。というより、生きている間はそれぞれの人間のものなのか。そうでもあるし、そうでもない。



そんな風に「死」をどうとらえていいのか分からない日々がまだしばらく続きそうだけれど、とにかくあたしには毎日やらねばならないことや生活があり、それが生きるということなんだと思う。彼女はもうそんなことがないから、生きていないのだろう。



あたしには特別な力はないので、もう実際に話をしたりはできないけれど、ミゾさんはあたしの中にもいて、でもやっぱり何も話してくれず、ただ笑ったり困ったりした顔を見せてくれている。先は長いし、そんな風に付き合ってもらえたら嬉しい。相変わらずあたしの勝手な都合だけど。きっと「あおやまさんのいいようにで、いいっちゃんね」と笑ってくれると思う。誰にも、そういう人だった。



















【再録】港町の気配。

22年ぶりに横浜の中華街を歩いて、思い出したブログ記事を再録したものです。青山の備忘メモ的に。




昨夜、自宅で原稿を書き終わってテレビを点けると、NHKの再放送で、横浜の中華街を歩くというような番組をやっていた。


横浜の中華街を舞台にミステリーを書いている、作家の山崎洋子さんが道案内をされていた。


兄が慶応に通っていたころ、横浜の中華街のすぐそばに住んでいた。慶応は1~2年と3~4年は学舎が違う場所にある。入学当初は、1~2年だけ横浜に住むつむりだったのが、東京より横浜が性にあったのか、そのまま大学4年間、横浜に住んでいた。アルバイトも中華街の有名な店でしていたようだ。レイトンハウスが目印の小さなワンルームマンションに泊まらせてもらい、時々中華街を散策したのを思いだした。

番組の中で、横浜の中華街の一角が、今もまだ、開港当時の街並みを残しているという話をしていた。街並みといっても、もちろん家や商店の話ではなく、路や区画の話である。それは、開港前の江戸時代末期に奨励、開発された横浜新田からの名残だそうだ。

中華街の周辺の道路が、南北に縦横を描くのに対し、新田名残の横浜中華街の一角は、道路が斜めに通っていて、地図で見ると、そこだけがあきらかに異なっているのがわかる。そして、その歪んだ平行四辺形のような中華街の一角は、周辺の土地よりも1M低かったのだそうだ。今もその名残があると、山崎洋子さんが、むかしの中華街よく知るご老人と街を歩く。「雨が降ると道路に水が溜まって、たらいに乗ったりしましてねぇ…」。


横浜と同時期に開港した神戸の街にも、外国人居留地があった。今でいうと、西は鯉川筋で東はフラワーロード、北は大丸の上の道あたりで、南は2号線ぐらい。現在のフラワーロードは、かつての生田川で、昭和13年の阪神大水害などの影響で埋め立てられできた道である。その生田川は、新神戸と春日野道の間へ移築され、「新生田川」となった。


私の大好きなお好み焼き屋がある[斉元]のある街が「新川(しんかわ)」と呼ばれるのは、「新生田川」の略称なのである。新川は伝説のヤクザ・ボンノさんが生まれた街で、戦後、三宮の高架下を中心とした闇市で大ギャング団として暴れた本拠地でもある。


話は戻る。フラワーロードもそうだが、鯉川筋という道も、その名の通り「鯉川」であった。つまり神戸の外国人居留地も川に挟まれた湿地帯で、雨の後は蚊がわいて往生したとオランダ人の誰かが言ったとかなんとかかんとか…と、何かで読んだことがある。


その外国人居留地には中国人や韓国人は商売をしたり住んだりすることが許されず、その結果、現在の南京町があるように、居留地外に中華街は形成される。といっても、今の立派な門があるような南京町は最近のもので、いわば中華部落であった。


元町駅から北へと続く鯉川筋の周辺に広東料理屋が多いのは、鯉川の川端が広東部落であったからで、その延長で中国料理店が出来たと、江編集長から聞いた。今はお洒落なショップの密集するトアウエスト一帯もそのドンヅバ地帯で、今だに多くの土地保有者は、中国や台湾の華僑である。


西東三鬼が『神戸・続神戸・俳愚伝 』(講談社文芸文庫)にて、戦前・戦中のトアロード界隈のカスバめいた妖しさを描いていた。そのもっと後、昭和40年代ですら、北野坂には娼婦が立つような街であったと、神戸に住んでいたレコ屋[メロディ](現・心斎橋)の森本徹さんも前におっしゃっていた。神戸・栄町の海岸ビルヂング1階のアンティークカフェ[アリアンス・グラフィック]の森下さんからは、昭和50年代でも「栄町は婦女子が行くような街じゃないと言われていた」と聞いたことがある。


神戸の中華街・南京町周辺は小さな路地で形成されている。そして、夜になると今でもちょっと妖しい。


栄町の港町酒場[ムーンライト]からの帰り道にも、スタンドのような船員バーの灯りはまだなくなっていないし、路地から猫が飛び出すとぎょっとする。どことなく街の空気が湿ったように感じなくもない。


その湿った感じはもしかして、今はシャネルやディオールが建ち並ぶ居留地の昔や、周辺よりも1M低かった頃の横浜の中華街や、川が流れていた頃の鯉川筋の路地を入ったあたりや、北野のラブホテルの裏通りの、どこにも漂っていた空気なんじゃないかと思う。神戸にはそうした湿った空気がふと感じられる場所があり、私はだから神戸に飽きないのかもしれない。


2005年5月5日(木) at 17:30アップ分
※スタンドのような、かつてギリシア人のための船員バーだった「スカイラーク」。当時まだ点いていた灯も、今は残念ながら消えてしまった。でも、美空ひばりが好きなマスター(ママ?)「しょうちゃん」は健在。時折、鯉川筋でばったりお会いします。