適応。

今朝ほど父から電話があり、病院で検査結果を聞いた母からの報告、の報告であった。



つまり選択肢はなくなり、開腹手術をすることになった。


という以外は詳細が分からず、母が帰宅してからもろもろ聞きますと答えて電話を切った数十分後には手術の日取りを告げる着信がまた父から入ったが、それ以外はまた要領を得ない。


とりあえず、母が帰宅する頃にこちらから連絡します。


と伝えながら、父に対して、1回で話してくれたらいいのに…ともごもご思う気持ちがあったが、その自分がこうしてここに書くのはなぜかという理由に思い当たって、父に対して申し訳なく思う。


わたしは本当に心が狭いというか、自分のことばかりで、それは父にそっくりだと改めて思う。


二度目の電話で手術や入院の日程を話す父の声が、いつもより大きくはっきりと聞こえたことにも思い当たる。


二度目の脳梗塞で左半身麻痺になって以来、どんどんと喋る言葉が弱く頼りなくなっていたのに、電話口から聞こえてきた父の声は驚くほど力強かった。


人は変わる。人によって変わる。人が変わると変わる。



そうでないと生きられないのだと思う。







選択肢が多くても少なくても、人はしんどい。

気になる影について、2月までやっぱりそのまま放っておくのはどうも…。


という電話が、病院の先生からわざわざあったのだそうだ。


母はC型肝炎ウィルスのキャリアで、それが分かったのはもう15年以上前のことだろうか。献血後に連絡があり、そのことが発覚したのだとしばらくしてから聞かされた。


「私は血も誰の役にも立たない」


そう言って、ずいぶん落ち込んでいたことを今でも覚えている。


もちろん肝炎ウィルスのキャリアには、献血ができない。それよりもわたしには、C型肝炎が進行すると肝硬変や肝臓癌になること、それは可能性というよりも予定された現実であるということにショックがあったが、母もそうだろうから、なおさらそういう反応をしたのかなと勝手に想像している。


それから月日が経ち、遠くに感じていた「予定された現実」が予定どおりやってきた。


ただし、医療の発達により状況はいろいろと変化していて、15年以上前にはかなり限られると思われた選択肢が増えていた。


昨年頃から、もろもろの数値が少し増えてきたということで、母は定期的に検査をしている。


今年に入ってからすぐの検査でみつかったのが、冒頭の小さな影。いや、影かもしれないという状態で、位置的に分かりづらいため、厳密にそれが何かを知るためには手術が必要だが、その手術をする必要があるかどうかも微妙なところという程度の影らしい。


というふうに、前任の担当医師は考えていたが、今年の中盤頃から新しく母の肝臓を診てくれている新任担当医はどうもそれが気になる。


通常でいくと次回の検査は来年2月だが、そこまで時間を空けることに不安を感じ、イレギュラーだがもっと間隔を詰めた検査を勧める電話をしてくれたというわけである。


一人の職業人として(と考えることが妥当かは分からないが)、わたしがもし彼ならと置き換えてみると、そこに真っ当で真摯な職業人の気配を感じるし、彼は自分のためにも「芽」を見逃せないのだろうと想像できる。また、患者の身内として先生に信頼や感謝を抱いている。


何かにひっかかる。現実にはまだ何もないけれど、そこに何かがあるような気がする。それをスルーすることは簡単だけど、ひっかかりを探ることは結構、面倒だ。人の手や時間も使う。それを踏まえた上で、カルテを前に先生に電話のプッシュホンを押させた何かの存在を、わたしにはすごくリアルに感じられる。職人的矜恃を感じるというか。


さておき、そういう話ではなくて、母の選択のこと。


といっても、ここからまだ何も進んでいない。


生きるということは、選択の連続だ。選択が多すぎても少なすぎても人は不幸である。


病気の場合は、「死」=選択肢がない。それ以外は迫られる選択の数が増える。死に至る病が減ったということは、つまり医療が発達して、選択を迫られる患者が増えたということでもある。

場合によっては患者本人が選択できないケースもあるが、たいていは、不調を抱えた彼・彼女自身が選択しなくてはいけない。


一番大きな選択は「治療する」か「治療しない」かだろう。その次に「治療方法」がある。患者はこれをまた選べる自由がある。これがけっこう苦しい。


現時点の母の選択肢は大まかにわけて3つ。

(1)気になる影の有無・あるいはそれが何であるかを手術でクリアにする。


(2)影があると想定すると可能性が高い「癌」に対する治療を行う。


(3)とりあえずしばらく様子を見る。つまりまた2月の検査まで放っておく。


母には選べない。選ばないと(3)になる。しかし、通常であれば(3)である状況にわざわざ医師がアクションを起こして別の選択を提示したわけだから、簡単には(3)を選べないし、どれも選ばないこともできない。


あらゆる身体の不調に対して、大なり小なりこういう状況が起こっているのだろうが、母が直面する「要選択」は大。つまり「死か生か」に関係するので、ようやく呑気なわたしももっと楽観的な母もちょっと悩んでいる。


母の気持ちは分からない。という前提がわたしにはある。きっと本人にも自分の気持ちなんて分からないだろうけど、わたしにはもっと分からないだろう。


「今回の検査はまだ選ばないで放っておけるけど、ほんまにヤバいってなったらどうするん?抗ガン治療する?手術する?」


母にも分からない。その時になってみなければ、何も分からない。


わたしには、「自分がやりたいことしかやりたくない」という母の気持ちだけが分かる。わたしもそうだし。


いくら本を読んでも、40年くらい生きても、あるいはあと20年生きても、もっと生きても、そのときにならなければ分からないことがある。



分からないよね、どうしたいかなんて。どうしたいかが見えてきたら、そうしたらとしか言えないよ。



わたしは今、母に何が言えるかって、それしか言えない。



まだ選びやすい選択肢を前にしても、そんな程度。これがもっと切迫したとき、わたしに何が言えるんだろう。何か言う、という選択しかないんだけど。






「街づくり」時代の終焉。

一昨日くらいだったか、ツイッターを眺めていると、こんなニュースがタイムラインに出現しました。

【大河ドラマ「画面が汚い」 井戸知事が苦言】 神戸新聞


 兵庫県の井戸敏三知事は10日の定例会見で、NHK大河ドラマ「平清盛」の初回視聴率が関東地区で17・3%と過去3番目に低かったことを受け「画面が汚い。あんな鮮やかさのない画面では、日曜日の憩いの時間にチャンネルを回す気になれないだろう」と苦言を呈した。
  兵庫県は清盛ゆかりの地として、神戸市などとともに観光キャンペーンを展開している。井戸知事は「時代考証を忠実に再現しようという意図があるとは聞いて いる」としながらも、「公家社会を打破したエネルギーや日宋貿易に象徴されるような日本の将来を先取りした行動を全面に据えてもらいたい」と述べ、近く NHKに意見を伝える意向を明らかにした。
 井戸知事は、番組の人気が出なければ観光キャンペーンの効果に影響が出るとの認識を示した上 で、「番組とタイアップしながら観光客誘致を進めていきたいと考えている。今後はもっと華やかで生き生きとした、清盛らしさを強調するようなドラマ展開に してほしい」と話した。
(藤原 学) 2012/01/10


昨日の朝日新聞朝刊にも同様の記事があり、私がフォローしている人のツイートの中には、「汚いのではなく演出だ」「知事が番組演出に口を出すのはどうか」という趣旨の批判も見られました。


わたしは、そうしたものとは少し違う点で、井戸知事の発言に違和感を感じました。


「画面が汚い」の正確な意味は分かりかねますが、どうやら「色合いが不鮮明」とか「色調が暗い」という方向のようです。


どんなものでもそうですが、あるビジュアルをどう見るか・感じるかは、受け止める側の主観なので、今回の井戸知事の感想は、なるほどそういう風に捉える人もいるんだなと受け止めました。ちなみにわたしには、ネガフィルムのような手触り感のある画面だなと好印象でしたが。


それよりも、強く驚いたことは、兵庫県の井戸敏三知事が、人を呼び寄せることができるのはクリアで色鮮やかな明るいイメージや、清盛の持つ「華やかで生き生きとした」イメージの側面である。井戸知事はそう想定しているような点です。もちろん、それはひとつの大きな魅力ではあるかもしれません。


1980年代のポートピア博以降、観光都市・神戸としてアピールし、都市計画されてきた街の、当然の見解ではあるでしょう。けれども、本当に神戸は「華やかで生き生きとした」街なのでしょうか。それが神戸の誇るべき街の魅力なのでしょうか。


神戸が開港したのは140年ほど前。それまでは畑ばかりだったごくごく普通の地方の村は、港から流れ込む異文化をどん欲なまでに吸収しながら、近代化する日本を象徴するように近代都市としてハイカラな港町を形成してきました。


平安末期に平清盛により修築され貿易の拠点となった大輪田泊は、現在の兵庫区から中央区西部にかけての一帯に位置し、明治維新に至るまでは兵庫津として、京・大坂の外港として栄えたようです。幻に終わったけれど福原京として、日本の首都が建造されかけたという歴史もあります



しかし現在、大輪田泊とされる界隈を歩いても、その名残を感じることは難しいでしょう。「華やかで生き生きとした」港の残像がそこにないという以上に、あらゆるモノと人が流れ込む本来の港たる雑多な風景がもう残っていないからだとわたしは感じます。


港には、美しいものも汚いものも、有益なものも有害なものも、憧れも嫌悪も、好むと好まざるにかかわらずあらゆる物事の表と裏が流れ込みます。それらが重層的に複雑に絡み合い、生み出されるのが何者でもない港町の風景です。


華やかさといかがわしさ。それが港町の最大の魅力だとわたしは考えています。


たとえば今でも、元町の浜側の栄町界隈を歩くと、ふっと迷い込んだ路地に酒場のネオンを見つけたり、現存する近代建築の美しい煉瓦の建物の裏側のどぶが妙にじっとり濡れていることに気づいたり、酔って外に出ると肌にあたる風が気持ちが良い季節に、その風のなかにどこか磯臭さを感じたり。


街というのは、いろんな側面があり、その面が多ければ多いほどそれが奥行きとなり、理屈では語れない魅力として感じられるものなのです。


発言の対象となった2013年度NHK大河ドラマ『平清盛』の初回放映を観ましたが、清盛の出生の秘密にもかかわる、「悪」の重鎮・白河法皇の怪しげな存在感がとりわけ際だって、エンタテインメントとしても見応えのあるドラマ展開に、わたしはどきをムネムネさせています。


雅を尊ぶ平安貴族たち。流される血の匂いを自らに土にまみれて都を守る武士たち。光と影。陰と陽。それはまさに、平安末期を象徴するイメージであり、港町神戸そのものであるようにも感じます。


80年代、「株式会社神戸」と揶揄された神戸市は、バブル景気の泡が弾けて以降、急速にその経済力を失いました。95年の阪神・淡路大震災の前から、神戸はある意味、破綻していたのです。そして震災から18年目を迎える今、すっかりぐったりくたびれてしまっています。


「華やかで生き生きとした」街は、現実には神戸にはありません。


でも、それでいいじゃないですか。ぼこぼこに殴られてぐったり疲弊はしているけれど、諦めてはいません。派手にはいかないけれど、青い海があって緑の山が背後にそびえていて、なだらかな斜面に私たちの生活がある。古くからこの港町に暮らしてきた異文化を持つ人たちも街を一緒につくっている。


そうした普通の生活から生まれる、今現在の神戸の街には、間違いなくここにしかない風景がある。それこそが、もし他府県から興味を持って訪れる人たちがいるとしたら、彼らの心に響くのではないでしょうか。


私たちは、誰かの心を震わせ魅了する街を、人間の手でつくることができると勘違いしていました。


井戸知事の発言にも同じ「勘違い」を感じます。もうそろそろはっきりと気がつかないといけないでしょうし、たぶん本当は気がついているはず。そうでないなら、それこそ問題ですよね。


街を創る時代は終わった。神戸住民ならほとんどの人が、実体験として感じているんじゃないでしょうか。









仕事始め。

ややフライング気味に昨日もぼちぼちメールや原稿にかかっていましたが、正式には本日が仕事始めです。



正式には、って言ってもわたしはフリーランスなので、自分が決めただけなのですが(笑)。



チーム仕事をしている140Bは、こちらは正式な仕事始めで、今日は会議もあるのでそれに準じています。



さて、早速、来週からの撮影ラフや企画書など。今週末の締め切り原稿などさくっとかかっていきたいと思います。



今日はお天気も良くて、気持ちいいですね。



いつの頃からでしょうか。仕事があって人生がある。というか、仕事も生活も区切らずに自分のなかで咀嚼できるようになったのは。



「主婦」が職業か立場か考えてみればよく分かりませんが、主婦ってその最たるものだと思うんです。



仕事って、社会に出て労働に対して報酬を得ることだと言われますが、家庭も社会の一部なのだから、主婦も仕事ですよね。



単なる仕事じゃなくて、もっと複雑で範囲が多岐にわたる仕事なんて簡単に言えない仕事です。



年末年始、これもそうと言うならば「家庭」で主婦してみると、わたしは終始頭のなかで自問自答を繰り返し、自分の作業を正当化したり意味を見出そうとしたりしていて、ふっと気がつけば、それは主婦仕事を「社会化」させるための行為だったのですが、家庭のもろもろを社会化して考える必要性があるのか、それってどうなの?と思い当たります。



「社会」っていったいなんなんでしょう。なんでも「社会」を基準に考えることってどうなんでしょう。




今年は、そんなこともじっくり考えていきます。











ラテン歌謡バンド、ワンドロップ新年練習会。

私はどちらかといえば裏方なのですが、昨年、ワンドロップというバンドのメンバーになりました。




齢40にして、生まれて初めての「バンド」です(興奮)。




名前から察せられるように、もともとレゲエバンドとして結成されたのですが、紆余曲折ありラテン歌謡バンドとして落ち着きました。


そもそもは内田樹先生の「凱風館」完成記念パーティーで、お祝いの歌を贈るという目的で集まったのが最初。


内田先生好みの選曲でユーミンやはっぴいえんどを中心に演ることになり、メインボーカルはイーダ先生。ギターはほりのさんと光安さん。パーカッションはドクター佐藤、コンガはこうさん。ボーカル兼パーカッションに西さん。


というメンツで始まったのですが、せっかくなので一回こっきりのお遊びバンドにするのは大人としてどーかという喧々囂々の反省会(ただの飲み会)の末、将来は、誰かに喜んでもらえるように活動するという使命を自分たちに課すことになったのです。具体的には「慰問」であります。キリッ。



今年はその具体的な活動を始めたいし、いつか「ツアーに出たい」という壮大すぎる夢もあります。


わたしも、音楽はまるきり無縁ですが、生まれて初めてのバンド経験に興奮して前のめりでシェイカーという楽器を練習し、なんとかメンバーに入れてもらえることになりました。


シェイカーというのは、お酒のシェイカーのように振ると音がでます。

しゃかしゃかしゃかしゃか。

大阪の福島にある川端楽器商会さんでは、他にもたくさん種類があって果物や卵と楽しいデザインもたくさん。
http://item.rakuten.co.jp/kawabatagakki/c/0000000289/


うちのはLPというラテンパーカッションのプロ用(←強調)ブランドのものです。
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いえ、相方が買ってきたのでわたしはその存在も知らなかったのですが、これが鳴らしてみると楽しい。


中に砂みたいなものがたくさん入ってるようで、マラカスと同じでそれを当てて音を出すんだけど、振り方によって音が変わります。


ばらばらに当てるといくつもの音が鳴るし、力を入れて揃えて鳴らすと、シャッっというキレのいい音が小気味がいい音が鳴る。単純な分だけ面白いのが、いいですね~。


そんなわけで、昨日のワンドロップ(一部)新年会では飲んで鳴らして歌ってと大騒ぎでした。



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(後ろ姿のほりのさん、コンガのこうさん、シェイカーのわたし)


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(逆光で思わせぶりな写真になりましたが…アコギのほりのさん、携帯コンガのドクター佐藤、コンガのこうさん)


ひたすらどんちゃんやってると、夜がどっぷり更けました(うちは普通のマンションなので、お隣さんには申し訳ありません・汗)。


昨日の新年練習会にはメンバーの一部参加でしたが、昨日は急遽ベーシストのオーディションも行われることになりました。



わたしにはよくわからないのですが、みんなが「ベースが欲しい」「ベースがいれば」とよく嘆いていたのですが、ドクター佐藤が「良い青年がおる!」と叫んで電話をかけて呼び出したのです。


それが、新メンバーにして最年少のトーザワ青年です。ベースのオーディションなのにベースを弾くこともなく太鼓を叩かされて、こうさんの「これでベースもいけたな」と意味不明の呟きが合図となり、トーザワ青年は無事ワンドロップに入ることになりました。、今後はさらに音の幅がでること(なの)でしょう。


というわけで、お祝いのセッション。

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(左から2番目がトーザワ青年。バンド初の「アート系」ビジュアルです)


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良い鳴らし初めとなったお正月3日でありました。







読めない漢字だからこそ、どんどん読みたいな。

元旦の朝日新聞で、新潮社の新年挨拶があり、「日本人よ、勇気を持ちましょう」と題したドナルド・キーンによるメッセージでした。



ばくっと説明すると、川端康成がノーベル文学賞を受賞したとき、多くの日本人が、川端作品はあまりに日本的過ぎて西洋人には理解できないのに「お情け」で評価されたのではないかと言った。それと同じような「日本人の、日本的なものへの自信のなさ」をドナルド・キーンは70年にわたる日本文学研究のなかで感じていて、でも、実はその「日本人的なもの」がいいのだという。



今年の6月で90歳になるというドナルド・キーンは、昨年、帰化申請をしているそうだ。文面からはまだその許可が下りてないのか、今後もし正式に日本国籍がもらえたら…と書いていた。



内容もシンプルでよく伝わってきたんだけど、印象に残ったことがありました。



漢字です。


ドナルド・キーンは、戦後日本があの焼け跡から復興したように、昨年の大震災からも立ち直っていくだろうと確信しています。



「日本的な勁さ」というものを、心にしみて知っているからだと言います。



実は、この「勁(つよ)」いという漢字を私はほとんど使ったことがありません。同文中に「勁健なるみなさん」という呼びかけがあり、そこでも同じ字が使われています。



「勁健」(けいけん)とは強くすこやかであることと、手元の国語辞典には記されています。



「字統」があればもう少し調べられると思うのですが(すっかり辞書離れしてしまったせいですね…)、どうやら、たとえば「強い」が真っ直ぐな固くて強い棒のようなイメージだとすると、「勁い」は柔らかだけれど強くしなってけして折れないようなイメージのようです。


ドナルド・キーンはだからあえて「強い」ではなく「勁い」と日本人を激励したんですね。


さて、この「勁健」をネットでぐぐるとgoo辞書では(2)のような例文が出てきます。

けい‐けん【×勁健】
1. [名・形動]強くすこやかであること。また、そのさま。
2. 「兵卒を―にし常に之を戦争に用うるに備えんが為なり」〈杉亨二・明六雑誌三〉
<デジタル大辞泉>


他には、櫻井よしこさんが、「日本人よ、勁く堂々たれ」という論旨でお話をされていた動画も出てきました。


http://nicoviewer.net/sm976984
ー説明ー
【日本人よ、勁く堂々たれ - 櫻井よしこ氏に聞く(フル版)報道ワイド日本 「フライデー」 -平成19年08月31日号ゲスト:櫻井よしこ(ジャーナリスト)キャスター:城内実・児玉千洋筋の通った気品ある論説で知られる櫻井よしこ氏をお迎え し、日本にとって最大の懸念である中国の対日戦略と、それに対峙するための備えとして重要な「防衛力」と「心の闘い」、そしてその象徴たる靖國神社をめぐ る政治家の動向や、グローバリズムの中で政府と財界が心掛けるべきだったことなど、日本に必要な「勁さ」について お話を伺います。】


偶然なのか、どちらも国家力の強度に使用されているのが印象的です。というより、そういう背景を櫻井さんが踏まえているのかなとも想像しましたが…。



さて、話がずいぶんと広がってしまったけど、「漢字」です。



昨年くらいから新聞をまた読むようになって一番驚いたのが、毎朝新聞を開けると紙面がゆるゆるしていることでした。級数が大きく読みやすくなったこともあります。そして、字画の多い漢字がそろって「開かれている」ことに気づきました。


例えば、蔓延は「まん延」。界隈は「界わい」。



いえ、画数が基準でもないようで、緩むは「ゆるむ」だし、辛いは「つらい」。



確かにひらがなに開いた方が、すっと心に届く言葉もある。でも、ふっと気がつけば、わたしはそれらのひらがなを一度漢字でイメージして読んでいる。



言葉は覚えようと意識して頭に残るのではなく、目で見たときの残像がどこかで小さく積み重なり、それがいつの間にか交差してグルーピングされることで、それぞれの言葉の意味を重層的にわたしの中に残してくれる。



とにかく、「目に触れる」ことが、その言葉を知り、その言葉から広がるイメージや意味をつかむことに繋がると感じる。


「強い」と「勁い」が異なると感じられる人もいれば、読むこともできない人もいる(私もそうだった)。読めないわたしは、その言葉を知ったとき、興奮に似た強い興味を抱くが、そのときに国家について強い論説を見聞きしたら、同様にその論説にも強い興奮を感じるかもしれない。


言葉とは、強い道具だ。使える人、使えない人、使おうとしない人、使う必要のない人…いろんな人がいる。だからこそ、新聞のような大きな公的メディアは、届く先を想定せず言葉を使って欲しい。


目にすると、それが自分に未知数なのかどうかが初めて分かるが、目にしないものはその土俵にもあがらない。


漢字の持つイメージの無限、言葉の面白さは、分からないからこそまず感じられるはず。「読めない人が多いから使わない」のではなく、「読めない人が多いから、イメージを広げるために使う」新聞が出てくれないかと願います。


わたしはまだ新聞にとても希望を感じているんだと気づいた元旦でした。











謹賀新年。

明けましたね、おめでとうございます!



何もおめでたいことなんてない、という方もいるかもしれませんが、良いことなくても何がなんでも「新しい一年のはじまり」に強引に初期化されるというのは、とりあえず「もう一回やり直してみるか」という言い訳になる気がします。



もちろん、人生のお荷物や抱え込んだ手荷物なんかは、新年ゲートで「はい。これあなたのでしょ?」と手渡されるわけですが、その重さや大きさも、2年越し、3年越し…と考えてみればどこか手にずしりときても離すわけにもいかず、捨てるわけにもいかず、どうしようもないほどに自分の握った手のなかでなじんでいることに気づいたり。




何も変わらないけど、確かな時間だけを感じることができる。それが新しい年を迎えるということなのかなあ。



よくわかんないけど。



今年は、新しいことをやります。昨年の中頃よりずっと頭でもやもや考えていたことを、少しずつ形にできたらと思います。



またここでもぼちぼちご報告いたします。



そして、ブログも書きます。書きたい気持ちになってきました。



2012年なんですよね、今日から始まるこの新しい年は。



このブログもここ数年は放置プレイ気味ですが、もう5年越しになってました。



引き続きどうぞよろしくお願いいたします。





私たちは意図せず繋がっている。

こないだ、その人はそうとは知らないで私を穴から引っ張ってくれた。



傍からは私を邪魔してるように見えたようで、実際のところ本人もそう感じていたようなのだが。



自分が意図するように誰かに影響できるなんて傲慢でしかなく、意図しないときにこそ誰かに影響している。



良かれ悪しかれ。



人と人は未知数でしか実は繋がれない。



だから面白い。














笑福亭鶴笑さんの自伝エッセイ『世界は広くてせまくて、やっぱり広い』。

こんにちは。


あっという間に、今年も師走となりました。


本当に早いもんですねえ。しみじみ。


してる間もなくて、ここ数年の冬の風物詩的なお仕事が始まり、11月に入ってから、平日は撮影に取材にと奔走しております。


さて、そのずっと前の夏の真っ盛りの頃。お手伝いさせていただいた単行本が出版されました。


笑福亭鶴笑さんの、自伝エッセイ本『世界は広くてせまくて、やっぱり広い』です。


書店では、帯がついているのでこんな表紙です。
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鶴笑さんは、上方落語の復興の立役者であり上方落語四天王の一人である、六代目笑福亭松鶴師匠の最後のお弟子さんです。



という紹介の仕方をすると、落語もりもりの落語家エッセイ本かと想像されるかもしれませんが、ぜんぜん違います。


鶴笑さんは、落語家ですが、わたしたちが見慣れて思い浮かべるあの高座スタイルの落語ではなく、人形をつかったパペット落語の演者なのです。


というより、「パペット落語」を生んだパペット落語の創始者でもあります。



すごいです。でも、ぜんぜんすごそうじゃないというか、鶴笑さんは飄々といつでも笑顔をくしゃくしゃに汗まみれでそのパペット落語を演じます。


最初は、大阪の二丁目劇場で、そしてニューヨークで、ハンガリーで、ロンドンで…もう世界中の舞台やストリートでそのパペット落語で笑いをさそいます。



そして、いつしか、鶴笑さんは、「失われた笑い」を呼び起こす旅に出るようになります。パキスタン、イラク、ドミニカ共和国…。



国境なき医師団といNPOの活動をご存じの方は多いと思いますが、「国境なき芸能団」はあまり知られていませんよね、きっと。わたしだって、知りませんでした(きっぱり)。



でも、鶴笑さんとその仲間たちによる「国境なき芸能団」を、イラクの難民キャンプの子どもたちはきっと忘れることはないでしょう。ドミニカ共和国の日本人移住者集落の、一世であるおばあちゃんたちもそうだろうなあ。



この本は、そもそもパペット落語がどうして生まれたのか。鶴笑さんは、なぜ日本ではなく海外でパフォーマンス活動を展開してきたのか。ていうか、笑福亭鶴笑って誰やねん。そんなところから、鶴笑さんが自らの生きてきた道筋を綴ったご本です。



鶴笑さんは、ずっと「自分が何をしたいのか」分からなかった。分かったと思ったら、また分からなくなる。すぐ目の前に道がありそうなのに、見えない。その道を探して、ひたすら前に進んできた。いや、しょっちゅう足踏みをせざるをえなかった。



わたしが一番、共感し、感激し、感銘を受けたのは、その鶴笑さんの生き方です。



すぱっと格好良く生きられたらいいけど、人生ってそんな都合良くはいかない。格好悪くじたばたともがいて、もがきまくるしかない。



でも、必死のパッチでもがけば、必ずふと目の前に何かが見えてくる。



背中を押してくれるような、大丈夫だよと語りかけてくれるような、そんなあたたかい贈り物が詰まったような一冊です。


とくに20代や30代の前半の、「自分が何をやりたいのかわからない」という男子女子に読んでもらいたいなあ。



他にも書きたいことはたくさんありますが、ひとまずこのへんで。



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笑福亭鶴笑著『世界は広くてせまくて、やっぱり広い』







えっと。

そろそろ今年も冬のお仕事が始まりつつあります。


4年目となる大学案内の編集。


と同時に、2カ月に1冊のレギュラー広報誌と、2カ月に1冊の『大阪人』のお手伝い。


とくれば、例年はこれでアップアップで空いた時間はぼーっと映画観たり、本読んだりしてたんだけど、いえもちろんそれもするんだけど、もうひとつ始めたいことがあって、でもそのためには読むのが一番なので、結局は傍目では変わらないけど、実はこっそり新規案件が現在進行形なのであります。


ぐわし。





読む、聞く。

まだ2カ月弱残しているけど、今年はやたらとルポルタージュを読んだ気がしています。


3月11日の東日本大震災以降のことは、何を読んでいたのか、あまりよく覚えてない。しばらくは、本を読めなかったような気もする。テレビとツイッターにはりついていたのかも。


ただ、そんななかで、阪大で細胞の研究をしている、というと、「白い巨塔」的に偉いセンセのような気がするが、いや、実際に偉いんだろうけどちっとも偉そうではない仲野徹先生とやたらとメールのやり取りをすることとなり、そこではひたすら本の話ばかりしていたのだった。


結果、4月の中頃には、積ん読バベルの塔が、ピサの斜塔のごとく危うい状況になるほど積み上がっていて、5月の頃からせっせとそれを読み進めることとなった。


加えて、夏の真っ盛りには、単行本の構成で執筆などもお手伝いしていたため家に籠もっていたので、ストレス発散にアマゾンに日参しぽちるという日々を繰り返し、さらに積ん読の標高は高度を上げる。


秋をむかえた頃だったろうか。ツイッターで何度も目にしていた一冊の本を読んだ。


大野更紗さんの『困ってるひと』だ。


前にも書いたとおり、この一冊はわたしの心を大きく揺さぶったし、ぼんやりと動かしていた足を、少し意図的に前に勧めることになった。


見渡せば、わたしの周りにも、困ってるひとたちが溢れていたし、わたし自身、いつ困るひとになるかわからない危うさのなかでたよりなく生きていることを思い知らされた。


大きなことに気がついた。ついてしまった。というか、ついていなかった。


そのことにもががーんとショックを受けた。


それから、ずっと考えている。最近、少しずつ、ちょっとずつ、遠くにぼんやりと何か見えているような気がしてきた。


もうちょっと。待ってください、わたし。


話をしたい人もたくさんいる。話を聞きたい人はもっとたくさんいる。


今年のあいだに、ひとりめの話をきいて、年が明けたらもっともっときいてみたい。


考えてみたら、昔から変わらず好きなことと言えば、読むことと、人の話を聞くことだった。





2010年後半のムーンライトのピザ。

校正の合間に、またも思い出したようにやってきました。



2010年の残りのピザ記録を一挙公開であります。だって、2011年だってうかうかしていたら終わっちゃいそうなのに、まだ今年にも辿りついてないんですから(愕然)。



ていうか、そもそもは、もっとこまめにアップしなきゃってことです。今月もすでに何枚かご機嫌に平らげているのですが、順番というものが…。



という訳で、さてと。


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2010年8月9日のピザ。



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8月28日のピザ。



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9月13日のピザ。
あ、ちょうど1年前ですね。そうか、1年前の今日はムーンライト行ってたんだなあ。ああ、ピザ食べたくなっちゃった。
今年は一昨日が中秋の名月でしたが、去年のこの時期も満月が栄町を照らしていたんでしょうね。
でも、ムーンライトの目印看板は三日月ですよん。



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10月6日のピザ。



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11月1日のピザ。
たぶん、1カ月もムーンライトのピザ断ちができたとは思えないので、写メ撮るのを忘れているはず。


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11月29日のピザ。


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そして、12月17日。記録では2010年最後のピザ。
でも、毎年いっつももちょっとぎりぎりに宍戸さんとひさみさんに会いに行くので、また撮るのを忘れてるはず。忘年会の帰りにもよく立ち寄るし。きっと酔ってるんだな…。




てなわけで、ひとまず、さらば2010年のムーンライトのピザ!
でも、すぐに2011年のピザが始まります-。


コンガなお勤め。

ひさみ姐さん、ヤツがやってきましたっっ!


という私的連絡にて失礼いたします。ぜいぜい。



でかいです。ビジュアルもボディも音も(ひぃー)。これが二個です。かなり自宅を圧迫しています。
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昨日のお昼に、コラソンオダさんが届けてくれはったのですが、早速、ぱかぽこぱかぽこ鳴らした音は、オダさん曰く「さすがにうちの家まできこえました」とのことでした。ちなみに、オダさんちは同じマンションの、うちから一個飛びの斜め下です。つまり、間違いなく両隣にもぱかぽこは充満していたかと…。



夜はあかん!と泣きながら止めましたが、昨日、そうそうにその掟は破られ、日付変更線時刻にも激しく叩いておりました。ほんまにどうかと思います…。今度、宍戸さんとひさみさんには、大人な説得をお願いしたいものであります。



とはいえ、さすがにちょっと気にしているようで、無理矢理敷いたバスタオルは素直に受け入れておりました。



そして、夜はあかんから朝にしな朝に、と三原じゅんこ風にお願いしていたところ、今朝も8時からぱかぽこやっておりました。まるで朝の勤行。木魚の音だと思えば、まあ、みんな我慢してくれはるかなあ…うそ。



以上、ひさみ姐と宍戸兄への緊急報告でありました。



今月末が締切で絶賛追い込まれ中なので、脱稿したら現地報告に小走りするものであります(敬礼!)。







2010年7月の「バー ムーンライト」のピザ編。

まだまだ生中継に追いついていないため、今夜は2010年7月の神戸は栄町のバームーンライトのピザをアップしますです。



それでもまだ1年以上前か…(遠い目)。



まずは、7月3日のピザ。
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この日はやけによって撮影しています。おそらく、いつもの席ではない席に座ったので、ライティングが違ったのだと推察されます。
というのも、あたしはいつもドアから入ってすぐ右手の、カウンターの一番端に座るのです。でも、もちろん誰かが座っていると違う場所に陣取ります。なので、スポットが当たる加減が異なるというわけです。



7月9日のピザ。
これはいつもの席ですね。きっと。
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そして、7月17日。この日はピザではありません。
チリビーンズ(パン付き)。
実はピザだけでなく、チリビーンズにもファンが多いのです。あたしも大好き。
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席はいつもの場所です。このアングルが、あたしには定番の風景です。
この日は、なぜピザを食べなかったか。



あたしがムーンライトでピザを食べないときというのは、大きくわけて3つのパターンが考えられます。



1)誰かとご飯を食べた後に、軽く(でもないけど)飲むためにお店にきたから。



2)あまりお腹が空いていなかったから。
例えば、取材などでどこかで食べた後、でも小腹が空いているという場合など。



3)ピザが食べられなかったから。
ムーンライトには、店主の宍戸さんとひさみさんがいて、二人ともお酒を造りますが、ピザは宍戸さんしか作りません。なので、宍戸さんが何かの用事でいない(例えば永ちゃんのライブに行っていてまだ戻っていないとか)場合は、ピザを食べることができません。



この日はどうだったのかなあ。まるで覚えていません(ががーん)。でも、(3)のような理由で意図せずチリビーンズを食べれた日は、それはそれで、新鮮な気持ちがして嬉しくなります。だって、どうしてもピザ食べちゃうから、自分だけの力ではなかなか食べられないというか(笑)。




7月21日のピザ。
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この日もいつもの席ですね。マッチ箱がかすかに写っていることでもわかります。カウンターの端にマッチ箱がおかれています。あたしも昔はタバコを吸っていたので、このマッチ箱にはずいぶんとお世話になりました。今は擦ることはないけれど、あの硫黄(?)の匂い、好きです。



そして、2010年7月最後のピザ。29日です。
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この日も定席ですね。7月のピザはけっこうみんな似てますね。私にはいつも違うように見えているのですが。味も微妙に違うのですが、それはあたしの体調にもよることが多くて、長い間、おなじものを食べるというのは面白いし美味しいです。そして、幸せが多いような気がします。












貧困ってなんだ?難民ってだれだ?

引き続き、イギリス方面が気になって、やや仕事のペースが落ちかけて…いる場合じゃなくて、ちょと焦りながらごりごり書いていたので、また休憩にやってきました。



ロンドンから地方へと暴動は飛び火しているようですが、いまだ、その動きを推し進めるものがこれだ!という原因解明にはいたっていない様子です。



日本のテレビニュースでは、社会的弱者による抵抗運動の流れを示唆し、ツイッターに流れてくる在英の信頼できる書き手の何人かは、ギャングや貧困層ではないいわばぷー太郎的な若者による理由なき騒乱だと言います。



ただ、あたしにはそのどちらとも思えない。


ただ、多くの知識人が指摘するように、階層社会であるイギリスの長年かけて培った土壌に問題があることは間違いないと。



単なる貧乏とかでは語れない、社会のなかで追いやられて、「こころの貧困」問題を抱える人たちが、怒りを発しているのだというのが、現状のあたしの印象です。



それが正しいのかわからないけど、人を暴力の衝動に駆り立てる背景に何もないわけがない。そう感じています。



ロンドンが燃える前から、このところ「貧困」に強くこころを摑まれていました。それで、いくつか読んだ本でとても興味深かったのがこの4冊。



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『絶対貧困―世界リアル貧困学講義』
石井光太著_新潮文庫)





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『ルポ 貧困大国アメリカ』
堤 未果著_岩波新書



これのシリーズ2作目もお薦めです。
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『ルポ 貧困大国アメリカ II』

堤 未果著_岩波新書


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『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』
湯浅 誠著_岩波新書



国によって、これほどまでに「貧困の形」が異なるのかということにも愕然。



「貧困」が単純に経済的な貧乏というものではなく、その共同体のおいての存在の水位の差みたいなものが、それぞれの貧困の形となりあらわれるのだとすごくショックでした。



えと、この一連の本を読むきっかけとなったのは、この本の存在でした。



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『困ってるひと』
大野更紗著_ポプラ社



表紙のイラストのとおり、病気に苦しむ大野さんのいわば闘病エッセイです。



ミャンマー難民のキャンプに訪れる難民研究者予備軍であった自分が、原因不明の難病を発症し、想像を絶する痛みのなかで病名探し、そして闘病生活を送ります。その過程で、自分がいかに社会的に脆弱な立場の人間であるか。というより、すべての人がそうなる可能性を持つことを自らが体感し、そして、その状況は、まさに「難民」じゃないかと我に返ります。


貧困は人を社会の端や闇に追い立てます。当たり前に自分がもっているはずだった希望や、生きるための手段や具体的な家や土地まで奪われて追い立てられる。



あたしは最近、家や土地を奪われるだけでなく、「持っていたものを奪われる」「持っているはずのものを奪われる」状況は、それはすべて「難民」じゃないかと考えています。



日本人には理解できないレベルでがんじがらめに築かれてきたイギリスの階層社会において、この「難民」問題も関係しているんじゃないか。そんな思いが、あたしを英国の暴動に目を向けさせるのかもしれません。



貧困本の感想なども書きたいけど、仕事にもどらなきゃやばいっすなので、このあたりで。さようなら。










ロンドン騒乱。

今朝も絶賛校正待ち中なのですが、朝からツイッターのタイムラインに流れてきた、ロンドンでの騒乱にどどーんと動揺していました。



しかも、三日も前からの異変だったなんて、まるで知らなかったです…。

 

橋本麻里さんのツイートで知ったのですが、詳細は@nofrillsさんブログがきっかけや、一連の流れの背景などがわかりやすいです。



権力への反発が発端というのは、昨年末からの中東の民主化革命への流れと同じですね。



あのときは、確か、市場で商売をしていて検挙されて市場から追い立てられて、それに抗議する意味で自身に火を点けて自死した事件が発端だったと記憶しています。



ロンドンの騒乱では、個人商店が放火されたりと、通常予測される展開とはややイレギュラーで、思想的背景などがあまり感じられず、脈絡のない暴動となりつつあるのが、とても不安に感じられます。



ツイッターでも見守り続けます。


追記:毎日jpの記事です
http://mainichi.jp/select/world/news/20110809k0000e030025000c.html









そうだ浴衣着よう!

レイアウトが上がるのを待っている間に、こちらでちょっと一息。



今朝、相方が新聞を見ながら、「はじめてでんき予報でやや厳しいが出てる」というので、紙面に目を落とすと、電力使用予測は90パーセントになっていました。



というわけだからでもないのですが、夜中に点けていた冷房を切り、扇風機をがたごと回しています。



普段から、自宅で仕事をするときは、ほとんど冷暖房をつけないのですが、今年の夏のはじめに、いきなり暑いし、原発事故を受けて、真っ盛りの頃には暑さマックスがどうなるどうするとメディアがきいきい叫んでいたので、いや、これは確かに乗り切れるのかしらんと不安になってました。



そうだ、浴衣着よう!



と思い立ったのは、くまざわあかねさんの『落語的生活ことはじめ』のような、家電がほとんどない頃の暮らしの中、昔のひとは夏には浴衣を着て暑さをしのいだということが、頭に浮かんだからかもしれません。

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でも、わたしには浴衣がない(西田敏行風に)ということをツイッターで書くと、大好きな江戸の別嬪三味線弾きである寛也姐さんが、竺仙のトンボ柄の浴衣を「お稽古で着てたおさがりだけど」とくれはったのでありました。
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ゆみこ感激。



この竺仙というのは、着物や浴衣を着る方は誰でもご存じかと思いますが(あたしは知らなかった…)、《創業天保13年創業。江戸中形の独特の技術・江戸小紋の渋味・雅味を今に伝える染呉服の老舗》(HPより引用)だそうで、いろいろ興味が出て、宮下政宏著『竺仙のゆかた江戸の粋―「粋ひとがら」を発信し続ける老舗ブランドの生き方』という本も読んでしまいました。




ただ、確かに寛也姐さんがつぶやいたとおり、「浴衣って意外と涼しくないんだよね」という通り、着物用の下着をつけてはおり、お端折りをつくって、帯をまいてる間に、すでに滝汗。あじぃぃぃ…。



ただ、思いもよらず、良い面がありました。



ボービンの馬車馬状態のあたしは、今年の夏もワイハでピニャコラーダをちゅー、という予定もなく、すぐそこの海の向こうに見える淡路島にも、裏山を越えたところにある太閤の湯、有馬温泉にさえ行く予定もありません。



旅にも、映画館にも、昼下がりの居酒屋にさえなかなか足を運べない「いらいらきー!」の日々のなか、とんぼ柄の浴衣に発作的に袖を通し、半幅帯をくるくると巻いて文庫で結ぶと、なんだかそれだけで、非日常などこかうきうきと心浮き立つよな心持ちになるではありませんか。


た、た、たのしい…。



おそらく、これがコスチュームプレイヤーの快感なのでありましょう。コスプレして何か問題でも?



というわけで、さらに日常でも「着物をきて暮らす」ということにうひひえへへと妄想を抱き、それを楽しみに仕事に励む立秋の今日であります。


















ムーンライトのピザ報告。第一弾。

あたしが大学4年生のときから通い続けている、神戸は栄町にあるバー「ムーンライト」。



については、もう幾度となく書いてきたけど、最近はちゃんとブログを更新してないので、どんなことを書いていたのかあまりよくわかりません。



とにかく、もう20年近くも通ってる、あたしの人生にはなくてならない空間なのです。



学生から社会人になり一丁前にくだを巻いてみたり、転職するのだと相談してみたり、転職した先からは仕事で取材にお邪魔するようにもなったり。そして、フリーランスのライター・エディターになってからも、うっかり戸籍上では配偶者を得た今も、仕事の帰りにふとご飯を食べに行くのです。



ええ、あたしには、歴とした酒場であり、夜食駆け込み食堂でもあるのです。



扉を開けてカウンターにどかりと腰を落とすと、「今日もいつものあれ?」という顔の宍戸さん(マスター)あるいはひさみさん(奥さん)に、あたしはきまって、「いつもの定食で!」とオーダーします。



それが、このピザ+小瓶ビールなのです。



というわけで、撮り貯めていたピザ写真をアップします。といっても、データをほじくりかえして調査すると、なんと2010年の5月分からどうも放置プレイされていたようです…。



なので、今日は5月と6月分。残りは順次あげていきますね。


これまでのはここで見られます。


こうして見ると、いつも同じようでまるで違うし、でもいつも変わらず美味しい。いや、20年近く食べ続けてるあたしから、わざわざ美味しいなんて説明いらないだろうけど(笑)。


2010年5月28日のピザ。
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2010年6月1日のピザ。
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2010年6月8日のピザ。
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2010年6月11日のピザ。
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2010年6月27日のピザ。
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バー ムーンライト
神戸市中央区栄町通2-2-12 ヨーコービル1F
078-333-1067
6:00PM~翌1:00AM(土日祝 2:00PM~)
不定休












改装の報告のおまけ。

4月下旬に改装したうちんちのリビングと台所。


いろんな意味で快適で、すっかり慣れてきて、いろんな人にありがとうという気持ちを片付いてからご報告しようと思っているままにもう8月でしょ。


なのに、改装した横の部屋に山積んだ一部の荷物がまだ放置プレイって、


えええ!化石目指してますか!


自分に我に返って、せめて、と段ボールにさり気なく防虫剤を落とした今日この頃であります。


いやあ、まぢでいろいろどないしょう…。というままに、怒濤の締切月間に再び突入してしまいました。


いろんな方にごめんなさい…。






葉月つれづれ。

あ、という間に今年も8月をむかえています。


ようこそ、葉月。


今月は今年に入って3度目の原稿長距離ランナーとなる予定ですが、それが一段落する頃には、また秋から始まる半年仕事に移行することになります。


という下半期の流れを頭のなかで描きつつ、上半期に何をしていたかと思い出している…暇なんてないのですが、こういうのが人生には大切だと考えて、しばし、お仕事から逃避してここに駆け込んできました。





いろいろと反省ごともあります。


ちょっと調子に乗ってしまったんじゃないかとか、もっと粘るべきだったんじゃないかとか、具体的なポイントもあるのですが、なにより3.11以降、いろんなことが変化を見せて、あたし個人がどうとかいうよりも、もっと大きくうねるものが、あたしをそうさせたんだろうし、今年の上半期、念頭に予定していたとおりに人生を進めてきたなんて人がはたしていないであろうように、自分が決めた訳ではなく、あたしの心も挙動も決定づけられたいたような気がしています。



そんな状況から、そろそろ、落ち着いて元の生活を…とは思いません。もう、戻れません。




もとの生活に戻るという幻想。あたしが、もっとも3.11以降強く感じたのは、もう戻れないということ。そして、そもそもあたしたちの生活には、「戻る」対象となる生活があったのかという疑問です。


これは、大地震や原発事故だけではなく、たとえば、経営者が破綻する、突然、病気になる。そんな人も同じかもしれないけど、つまり、「もといた場所を追われる」ということだと思います。


生活そのものであり、心のよりどころであり、当たり前に自分がそうあったと思うような生活から、ある日、突然、理不尽に追い立てられる。


あたしは、当たり前に持っているものを、ひとつでも奪われると、それがただひとつのこととは感じられず、ものすごくたくさんのものを失った気分になりますが、実際、あたしたちが手にしているものの多くは、それぞれが個別に分かれているわけではなくて、それぞれが鎖でつながっているように、関係し合っています。


なので、ひとつの鎖が外れると、その先に連なっていたはずの鎖もどこかへ消えて、あたしの心や生活は宙ぶらりんになってしまうのです。


だから、たくさんのものを奪われるわけでなくても、ほとんど自分の持っていた大半を失ってしまったような気になるんじゃないかと思います。



そして、追われる。


でも、自分の生活を今まで通りに取り戻したい。そんなときに、必ず、あたしはしてしまうんです。切れてしまった鎖のひとつを修復すれば、また通りに鎖が繋がると信じて、そこに命がけになっちゃう。



でも、どうなんだろう。


切れた鎖は今でに考えてみても、一度も元通りになったことがない。だから、その先は永遠に戻ってこない。




3.11以降、少しずつ、そのことが頭では理解できるようになっていたつもりでも、やっぱり動揺していました。


あたしがいまするべきことは、もちろん新しい鎖をつないでいくことで、だってほかに何ができるというんですかという感じですが、かつてあったはずの鎖を復元することではなくて、まるで新しい鎖をつくることなんだと思います。



一度、追われたあたしは、もう失ったものを取り戻そうとしてはいけない。新しいものを作るしかないのかもしれません。




そんな感じで、せっかく新しい鎖をつないでいくなら、前に似たものじゃなくて、気分も変えていこうと思っています。


人生って、こうして少しずつ進路変更とか速度調整とか前言撤回とかしながら、進んでいくのかしら。


よいしょっと(重い腰あげる)。







【メモ】なんでも埋めちゃう。高レベル放射性廃棄物も埋めちゃう。

ご無沙汰してます。


何人かのお友達がのぞいてくれてること聞いてます。
皆さん、お元気でしょうか。



えっと、高くそびえていた山をひとつ登頂したので、ちょっと一息つきにきました。



校正などがあるので、下山が今から控えている&新しい山を登るためのトレーニングを開始したという本日です。



連載コラムも昨日送稿し、今日はひさしぶりに「目の前に火急の宿題がない」状態なのです。うぅ、嬉しい。



ここひと月はちょっときつかったなあ(遠い目)。


噂に聞く主婦湿疹という水疱が手の指にできたり、2週間ほど前には、生まれて初めて救急車を呼びかけた下腹部痛に襲われました。婦人科系では問題なし、内科系では「強いていえば軽い腸炎?」という曖昧ミーな診断しか得られず、なんとなく自分のなかでは「これは腰痛とも関連しているのではないかと想定しています。下痢もなかったし。



1日目はダンゴムシ、2日目は海老の状態でロキソニンもまるで効かず、脂の汗がたらたら流れて、世の中にはまだまだ未知の痛さがあるんだなあと、また大人になりました。



でも、もう元気。ただ、気になることもあるので、時間があるときに、あちこち検査をしておくことにしました。


クルマと一緒で、人間の身体も整備が必要なんだなとしみじみ感じている40歳の夏です。



さて、今日こちらにきたのはメモの用事もあります。


最近はずっとツイッターなんだけど、140文字ではまとめておけないので、こちらに備忘録。


ツイッターにはツイログというシステム(?)もあり、こちらでは過去記事を検索したりできてちょと便利です。私も使ってます。
http://twilog.org/aoyama_kobe


今からメモすることは、原子力発電関連の燃料廃棄についてです。


ツイッターって、井戸端会議みたいなところもあって、なんとなく、そこに急に割って入って、わーっと話すにはまとまりないししんどいかなと思い、どっかり座ってお茶飲んでる喫茶店みたいなこちらでひとりごと。


というわけで、全然まとめてません。


あくまで自分のなかでまとめて覚えておこうというメモなんで、そこんとこどうぞよろしく哀愁。



さっきツイッターでこんなニュースが流れてきました。
デーリー東北新聞◆原燃社長、安全大会で意識改革呼び掛け http://goo.gl/ROPNS 「起こり得ないと考えていた外部電源喪失を2度も経験した。この事実は極めて重い」
http://twitter.com/#!/gloomynews/status/88419305728909312




原燃ってどんな会社?と調べると、こんな会社。
http://www.jnfl.co.jp/jnfl/company.html


楽しそうな図の中には、どきどきするワードが溢れています。


なかでも気になったのが、高レベル放射性廃棄物処理について。
http://www.jnfl.co.jp/business-cycle/4_haikibutsu/haikibutsu_03/_03_01.html
【高レベル放射性廃棄物って?どうするつもり?】
 使用済燃料を再処理することにより有用なウランとプルトニウムを分離した後、放射能レベルが高い核分裂生成物が残ります。この放射能レベルの高い核分裂生成物を高レベル放射性廃棄物といいます。これらは、溶融炉の中で溶かしたガラス原料と混ぜ合わせ、キャニスター(ステンレス製容器)に入れ冷やし固めます(ガラス固化体)。安定な形態に固化した後、30年から50年間冷却するための貯蔵を行い、その後、地下の深い地層中に処分することを基本的な方針としています。

↓超訳

原発とか核実験施設とか、病院などで使った使用済み燃料を再処理すると、また使える材料ができるけど、放射能レベルがめちゃ高い超いらんやばいゴミも生まれる。

それを箱にいれて、冷やして、最終は埋めてしまえ!うまくいったらいいなあーと考えています。

考え方としては、こんな感じ。
http://www.jnfl.co.jp/business-cycle/4_haikibutsu/haikibutsu_03/hakibutsu_04/_04_03.html


【今は?】
とりあえず、こんな大きな冷蔵庫に冷やしています。
http://www.jnfl.co.jp/business-cycle/4_haikibutsu/haikibutsu_03/_03_02.html


【ていうか、全体はどういうサイクルに?】
この絵をみるとわかりやすい。
http://www.jnfl.co.jp/business-cycle/6_etc/etc.html


【そんなに深く穴ほって大丈夫?】
岐阜県瑞浪市で実験施設つくって、掘り始めてます。
http://www.jaea.go.jp/04/tono/index.htm

これの元ネタ。
Wikipedia<放射性廃棄物>より
岐阜県瑞浪市のJAEA瑞浪超深層研究所では2007年11月現在、将来の高レベル放射性廃棄物の処分地を決める上で必要となる技術を研究するために、地下深く縦穴を掘っている。2本の1,000mの穴を掘り、100m毎に地下水の動きや地震の影響を記録する装置を設置する予定である。北海道幌延町でも同様の施設であるJAEAの建設が進んでいる。

もし日本が高レベル放射性廃棄物の地層処分を行なえば、今のところ他の国の実績は無く、世界初ということになるといわれていた。



というとこまでとりあえずメモ。

「ということになっていた」とあるので、もうそうじゃないのかは不明。また調べます。


ざっと見ていて、とにかく、日本のいろんな町や村が、原子力事業でがんじがらめになってるということが、まだあたしは一角しかみていないと気がつきました。


パチンコの利権なんて、原子力事業の利権にくらべたら、そんなの鼻くそみたいなものだとすぐに想像ができます。

 

いろんなところで報告書が上げられていますが、単位が全部「円」ではなくて「億円」なので、国がわっしょいと持ち上げて庶民がやんやと騒いでいる宝くじの3億円なんて、放射線ゼロ級のどうでもいい単位に思えてきました。



そして、人間は最終的に「何でも埋める生物」だということがよく分かりました。猫や犬もうんこをすると砂をかけて隠します。匂いで敵から狙われるからです。



人間も「わ、これみつかったらやべー」と思うのかもしれません。加えて、そのうんこは強烈にくさい。毒ガスも出す。だから、埋める。深く深く埋める。



おへそのごまを取りすぎるとお腹が痛くなると言われますが、そんなに穴掘って大丈夫なんでしょうか。地球にきかないとわかりません。ていうか、人間と一緒で、当の本人にはわからないものだろうし、あたしの下腹部痛がお医者さんでは原因不明のように、科学者たちにも地球の不調の原因がこれだ!とわかるとは思えません。



というところで、ひとまず。
















自宅改装(その9)。9日目午後。

堂島の140Bで、雑誌『大阪人』のリニューアル創刊号の絶賛色校正中です。


そして、自宅でも、いろんなことが佳境にさしかかっているようです。


台所も大詰め。
http://twitter.com/#!/shirasakasatoru/status/63102326583459841


ついに、水回りも使えるようです…(長かった・感涙)。
http://twitter.com/#!/shirasakasatoru/status/63127319384047616



そして、天井はこんな状態に。
http://twitter.com/#!/shirasakasatoru/status/63121755312619521
相方とデザイナー白坂さんがこだわったスポット照明がびしっときいてますね。あたしは、スポット照明の家に住むのなんて初めてで、ちょっとどきどきしています。カフェバーのイメージが強いので(笑)。


さて、明日はこの天井をペンキで塗り塗り。壁紙も貼られて、いよいよ完成です。


う、う、嬉しい…。


が、しかし、どけていた荷物をどさっと戻す作業があります。


でも、そういうのも楽しいんだろうなあきっと。


というわけで、明日はいよいよ最終日です。







自宅改装報告(その8)。8&9日目午後。

8日目となる、4月26日火曜日。


この日は工事ストップ。


天井の漏水問題で工程に変更が出たため、デザイナーの白坂さんと天井をどうするかなど、相談して決めてから、仕切り直しで工事再開とすることになりました。


というわけで、朝イチで現場にて打ち合わせ。天井はコンクリ打ちっ放しのテイストで、ペンキを塗ってかっちょよく仕上げることになりました。


耳鳴り持ちのあたしは、打ちっ放しなどの空間では、音の反響がすごく辛い時があるのですが、家具が入った状態で確認したところ、うまく音を吸収してくれて、問題なさそうです。良かった。


相方は、最初から打ちっぱなしにしたかったくらいなので、結果オーライで、ブリコラージュなノリの仕様になることに盛り上がっています。


そして、9日目の4月27日(ようやく追いつきました、ぜいぜい)の午前中。

朝イチから、リビング&台所の両方に作業の方が入られて、一気に仕上げの方向に進んでいます。


そして、懸念の天井は、いろんな配線を見せたデザインにするということで、線を金属管におさめて、天井にはわせます。
http://twitter.com/#!/shirasakasatoru/status/63100653077135360


これがあたしも相方もかなり気に入ってて、天井はペンキで塗るけど、金属の色をそのままいかしそうという話になっています。


結局、相方もあたしも「店好き」なので、店舗デザインに心を鷲づかみされてしまったのかもしれません。


そいでもって、台所もほぼ完成に(嬉)。
http://twitter.com/#!/shirasakasatoru/status/63102326583459841


今日は神戸も雨模様ですが、現場で皆さんが頑張ってくれてるようです。ありがとうございますー!



自宅改装報告(その7)7日目_4月25日。

というわけで、新しい週となりました。


リビングのオーダー家具の取り付けがはじまりました。
http://twitter.com/#!/shirasakasatoru/status/62342495157235713


台所も取り付け開始。
http://twitter.com/#!/shirasakasatoru/status/62373766726033408



http://twitter.com/#!/shirasakasatoru/status/62401642850566144



そして、夕方にはリビングの家具が仮固定されました。
http://twitter.com/#!/shirasakasatoru/status/62443728568197120


これは本棚の一部なんですが、あたし的にはやはり本棚が一番楽しみです(笑)。


このあたりのデザインは、写真ではまだわかりにくいのですが、白坂さんが面白い設計をしてくれていて、本が入ると余計にいい感じもなります。またご報告しますね(誰に?笑)。



自宅改装報告(その6)。4~6日目。

東京出張以降、案の定更新が滞ってしまいました。すいませーん。


そんなわけで、一気に駆け足。


まずは4日目(4月21日)。


台所の壁の作業です。
http://twitter.com/#!/shirasakasatoru/status/60871288566190080



パネル完了。
http://twitter.com/#!/shirasakasatoru/status/60895742780383232


5日目は画像がないのですが、各所で作業が続いた模様です。


で、6日目(4月23日)。

この日は土曜日ですが、白坂さんが一部塗装のために、作業を進めてくれました。


が、しかし、トラブル勃発(ががーん)。


なんと、作業のためにめくった天井に雨漏りが…。
http://twitter.com/#!/shirasakasatoru/status/61723415593226240


現場監督であるビームスコンストラクションの日高さんも急きょ来られて、天井をめくることに。
http://twitter.com/#!/shirasakasatoru/status/61750209734123520


というわけで、デザイナーの白坂さんの判断と相談でこういうことになりました。
http://twitter.com/#!/shirasakasatoru/status/61950420091797504


そして、天井など想定していたデザインを変更して、翌週の工事が続行されました。


続く。





自宅改装報告(その5)。3日目午後。

そもそも、今回の自宅改装は、相方の「音環境を整えたい」という願いから始まったものでした。


というわけで、こういうところにも、こだわりのセレクト。いや、これはうちにつくのかな?

https://twitter.com/#!/shirasakasatoru/status/60619019492933632


実は、音関係についてはあたしは門外漢のため、打ち合わせ時にも飽きて席を外していました(がーん・笑)。


それで、こちらは台所の床の進行形。


https://twitter.com/#!/shirasakasatoru/status/60636566833463296


実は、台所も相方がこだわっていて、あたしは「なんでもいいよ」という感じ(えええ)。


なんていうか、興味がないわけじゃないけど、相方の方が強いこだわりがあるようなので、じゃあ任せますという感じなのです。


台所は女のものでしょ。なんていう声も聞きますが、うちはそうでもなくて、相方が魚の煮付けなど上手に作ってくれます。



実は、結婚前まで料理が大好きでした。


が、しかし、相方から、あまりに料理に忌憚のない意見を発されたり、どこか美味しいお店に食べに行ったときのように「どーだ」「こーだ」と意見されるので、いつの間にか料理に積極的意欲がなくなったのです…。だって、ハードル高すぎて(笑)。


自分のために作るのはまずくても自分が我慢して食べるからいいけど、我慢せずに「ええわ」と店を後にされるような感じになると、だんだんやる気ってなくなりますよね。流行らない店の悪循環でしょうか…(違うか)。



というか、相方はお漬け物にも醤油をどぼどぼかけて、肉じゃがも甘くてこってりの濃い味派。あたしも濃い味好きだけど、悪あがきして、せめて自宅では…のにわか健康志向の薄味派。外ではそうでもないんですが、ここらへんの思い切りの悪さも敗因かも。


そんでもって、味にどうのこうのというのは、まあ、仕事柄しょうがないのかなと納得していたりします。


そういうわけで、台所にもこだわりはありません(きっぱり)。


とはいえ、もうどうでもいいというのではなくて、相方はわりに「おされ命がけ」なとこがあり、そういう感覚はすごいと思っているので、あたしがどうこういうより、きっとかっちょいいものになるんじゃないかと信じているというのもあります。


加えて、デザイナーの白坂さんがいい感じにしてくれているし、開けてびっくりのお楽しみで、かなりわくわくしています。


そんなこんなで、明日は工事が始まって4日目。


家をさわるって、普段は流してるいろんなことが露呈しますね。こういうのも結構面白いです。


さて、あたしはちょっくら江戸入り出張のため、明日と明後日は更新できないかもですが、ツイッターでおいかけて、またご報告しますね。









自宅改装報告(その4)2日目午後。

昨日の午後から、リビングの床貼りが始まりました。

http://twitter.com/#!/shirasakasatoru/status/60208324997677056


http://twitter.com/#!/shirasakasatoru/status/60341933872128002


職人さんが一枚ずつ貼ってくれます。


今朝は表面をヤスリでならしてくれるそうです。


あたしはそろそろ、内田樹先生の新道場「凱風館」の上棟式に向かいます。