久しぶりに食事制限してみた。

ひっさしぶりに佐藤さんとの往復書簡を更新しようと思ったら、
ログインエラーが出て、
詳しい方に調査をお願いして連絡待ちなので
ふっとこちらにも。



いや、抱えているものもあるんだけど、
人間「やらなあかんことばかり」では
生きられへんちゅうことですわ。



さておき、漢方は切れたままでまだ補充に行けてないけど、
その合間にといってはなんですが、
昨年末より増加の一途をたどっていた体重に危機感を感じ、
10日ほど前から炭水化物と油とお酒を断っております。



もうここ十年ほど頼っている
安野モヨコさんが推奨してたリセットダイエットです。
こんなやつ。
http://diet.goo.ne.jp/topics/0504_no1/



年始のマックス時はいつもの体重から
4キロほどオーバーして、
服もぱつぱつになっていたのですが、
とりあえず3キロほど戻りました。



でも、体重の変化がそのまま体脂肪の減少とはなりませんので、
しばらく続けて、体重を落ち着かせつつ、
ついでだし、もうあと1~2キロ落とせたらいいなと欲張っています。


薄着の季節だし、肉襦袢もちょっとでも軽くしないと(汗)。



というわけで、またご報告をば(自分のために)。










漢方飲みはじめてひと月。

3週間目には予約を入れていた2回目通院日が訪れ、
先生にいらいらが緩和されたこと、
そういえば「意味がわからず落ち込む」ことが減ったこと、
肌の調子も安定していることをご報告。


「そういえば」
というのが、漢方では一番良いのだそうです。



意識することなく、
いつの間にか気になる症状が緩和している状態。



ほんとそういえば、そうでした(笑)。


処方されている漢方のせいなのかわからないけれど、
時折、むくみが気になった話をすると、
甘草の配合を減らし気味にして、
冷えをより改善させるための薬を足して、
改めて微調整くださった処方をもらい、
その足で薬局に行き1カ月分の漢方薬を手配。



またしばらくこれで様子を見てみます。



腰痛については、ここ最近の寒波のせいかやや活発気味。



圧倒的に運動が足りないのは分かっているので、
合気道のお稽古も定期的に通わねば。



という今日の夜に行けるか微妙なので
仕事に戻ります。



もう春が来てるけど、まだ着る毛布にまといながら。
早くこれを脱げる日がくるのを祈りつつ。






漢方7日目。飲み忘れ。

昨日は近しい後輩の結婚パーティーに出ていた。



夕方からだったので、
始まる前に漢方を飲もうと思っていたら、
案の定、忘れてお酒を飲んだり、ビュッフェにむらがってしまった。



でも、まあ、一回忘れたくらいでどうってことない。
これまで飲んでこなかったものなのだから。



それぐらいの気持ちでぼちぼちと。



ここ数日はファンデーションを塗らない生活をしていたのだけれど、
着物を着たので、薄くだけ塗ってみると、
お風呂から上がるころには、またかさかさと皮が剥けていた。



やっぱりファンデーションは基本塗らない方がいいみたい。



どちらかといえば、もう塗らずに生きていけたらすごく楽だろう。
という気持ちが半分、
ファンデーションごときに影響されない肌になりたい。
というのも半分。



肌は表面的なものなので、
その奥の体を整えていくしかないような気がしている。



それが基本だけど、今朝、知人からこんな記事を教えてもらった。
日本経済新聞の記事。
「医師の間で広まる「洗いすぎない」スキンケア術」
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK2100I_R20C14A1000000/



朝はぬるま湯で洗ってみようかな。
お風呂も気になるところだけ石けんで。
いろいろ試行錯誤して、
自分に合うやり方を見るけるのがいいのだろうな。










漢方6日目。食事のこと。

病院でもらう薬はたいていが「食後」服用を指示される。



漢方は「食間」。
これは、空腹時に飲めという意味で、
意外とタイミングが難しい。



起きてすぐに白湯で飲む。



お腹が空いてきたな、そろそろお昼食べようかな。
と思ったときに白湯で飲む。
漢方は飲んで30分ほど食べ物を摂らない方がいいので
それから仕事をしたりしていると、
食欲のピークがちょと過ぎる。



そこから料理をして食べようという頃には、
なんだかがつがつ食べるぜ、という気分がおさまっている。
ちょっとゆっくりとお茶を飲みながら、
意識して咀嚼している自分に気がついて、少し驚いた。
いつもあんなにばたばたと気が急いて、
がつがつと早食いしていたのに。



夜もそんな感じ。



間食も減った。



甘いものも好きではないし、
もともとそんなにおやつ食べたりしないのだけど、
漢方を飲むと思うと、
「今食べたらまた空腹にするのに時間がかかるな」
となんとなく制御していたりする。



少し体が軽くなった気がして、
体重計に乗ると1・5キロ減っていた。
というのは、昨年末から正月を超えて過食が加速し、
カニシーズンということで熱燗も飲み過ぎて、
なんと3キロも肥えてしまっていたのです。
それが、半分戻っていたというわけ。



まだあと過剰についてしまった1・5キロが残って居るけど、
こうして「戻る」ということが実感できたのがなにより嬉しい。



もう年だしなあ、新陳代謝も悪くなってるし、
これからどんどんぶくぶくぶくぶくと肥えていくのかのお(遠い目)。



と、やや諦めみたいなものを感じていたのが、
食生活が乱れていたんだなと、よくわかって、
まだまだ改善の余地があるような気がしています。



思ってもみなかったことなので、
漢方に対して、ますます安心感というか、
自分に合っていそうな気がしています。








漢方5日目。お酒と喉の関係。

近所のコープさんが建て替え休業のため、
日々の買い物はバスに乗らないと行けなくなった。



ただ、最近、バスなら5~6分。徒歩でも20分弱の平野に
西神戸で強いスーパーが登場したので、
ここのところはもっぱらそこに通っている。



こじんまりと、どこか昭和を感じる懐かしいような棚のつくりは、
選びたいものの数がないこともあるけれど、
なかなかエッジの効いた品揃えで、
特に魚の充実度には毎回目を見張る。



よほどの目利きがいるのか、そういう魚屋が入っているのか、
生の蛸や鮮度のいい赤なまこ。今ならブリや牡蠣もいい。
そしてまたしてもズワイガニ。もちろん生。



昨日も鳥取の港で揚がった紅ズワイガニが498円。
もちろん通常のズワイよりべしゃっとした身は淡泊な味。
でも、十分いける。
なにが?
日本酒が。



ここでナマコがあるときは、大好物の相方用に必ず買うので
昨日の晩ご飯はナマコの甘酢和えと茹でズワイになった。
十分いけた。
なにが?
日本酒が。



というわけで、二日酔いから復活した身にしみわたるポン酒。



さすがに盃を持つ手がおのずと制御されたようで、
今朝はすっきり。



ただ、はじめてはっきり分かったが、
お酒を飲んだ翌朝は喉が乾燥して違和感がある。



これは、日本酒なのか、その後に飲んだ芋焼酎なのか。
あるいは両方なのか、量の問題なのか。
熱燗はいいけど、ソーダ割りが響くのか。



などなど、疑問は尽きない。



追って調査したいと思う。
そうか、そのためにはまた飲まねばならぬのか。



酒飲みは、かくしてなんだか、必死やなあ。



今朝も白湯で漢方。
漢方は独特の苦味と甘味と香りがある。
わたしは、わりとこういう味に強いのだが、
次第に、好ましくさえ感じている。
なんだか大人っぽい漢方の味が口中に広がると、
妙にほっとする。









漢方4日目。真央ちゃんで飲み過ぎる(言い訳)。

今週末に控えたお祝いの席でバンド演奏をするので、
熱が入った練習を終えてから、三宮ののんちゃん本店で鴨鍋。



これは非常に熱燗が進む罪作りな一品で、
久しぶりに(たかが3日だけど)ビールの泡が喉を落ちるのがたまらんし、
冷え切った体にしみわたる熱燗はいくらでも入る。



というわけで、すっかりええ気分になって帰宅したら
ソチ五輪のフィギュアスケートの女子フリーが始まったので
焼酎のソーダ割を片手に見始めると、
浅田真央選手にやられて、VAT69の水割りまで飲んでしまった。



ほんとうに心が震える素晴らしい演技でしたね。



滑り終わった瞬間の顔を思い出すだけで、
また涙が溢れます。



そして、今朝は頭ずきずきの二日酔い…。














漢方3日目。きっかけになったのは肌のアクシデント。

特に意識しているわけじゃなかったけれど、
気がつけば、この3日はお酒を飲んでいません。


単純に体調がすっきりしないということが、
あるのでしょうけれど。



そもそも、漢方医に興味を持ったのは、
同年代の友人から話を聞いたのがきっかけ。



彼も親しい、そして信頼のできる方から紹介を受けたそうなのだが、
それまでにもその彼とは「加齢による体質の変化」について
話をしたことがあったので、なんとなく気になっていました。



また今度、教えてね。いつか行ってみようかな。



そんな感じだったのが、少し切実になったのは、
肌のアクシデントが起きたことです。



極度の乾燥肌で、子どもの頃から冬になるとかさかさ粉拭いたり、
化粧をするお年頃以降も、
化粧品はとにかく「乾燥肌用」しか目に入らない。


と、気にして生活していたこともあり、
慢性的にかさついてはいるけれど、
極端な問題はなかった…はずなのに。



2週間ほど前のことでしょうか。



まぶたの上がウロコみたいにぼろぼろ剥がれて、
眉間のあたりやほお骨のあたりも皮がめくれている。
そして、ひりひり痛い。



特に思い当たることもなかったので、
かなりショックを受けて、ただ、とにかく油が足りないのかと
アロエ軟膏を塗りこんだり、ちょと高級なクリームを塗りこんだり。



でも全然改善の気配なく、気持ち的にも不安が募るばかり。



仕事が立て込んでいることもあり、なかなか行けなかったけど、
人に勧められて結局、皮膚科に駆け込むと、
「目の周りは皮膚が薄いので、まあ、よくある炎症ですね」
ということで弱めのステロイドを処方していただいて、
塗ってみると、即効お肌がぴかぴかに!



す、す、ステロイドすげー。



あまりの効能になんだか怖くなってきて、
こんなに激しく効く薬は相当強いに違いない。
肌が慣れたらもう戻れないかも。
そんな噂も耳にするし…。



こういう即効薬ではなくて、
そもそも肌が自分の力でメンテナンスできるように
基礎力をつけないと、またこうしてトラブルに遭遇するのでは?



そもそもそれは、肌というより、体全体に関係するのでは?

 

というところでも、自分の体についてもう少し知りたい。
それには、これまでとは違う観点から「体」を知りたい。



そういう気持ちがむくむくと起きて、
漢方医にかかってみたいと思ったのでした。



何か体の不調があったとき、
それはその「患部」ではないところに多くの原因がある。
そして、その原因は一つではなく、複数が絡み合っていることが多い。



ということは、耳鳴りを発症したときに体が感じたことでした。



長くなったので、それについてはまた改めて。
そういえば、漢方は食前に飲むことが多いのですが、
そのせいか、食べ過ぎにも少し影響があるような気がしています。
それもまた改めて書きます。











漢方2日目。睡眠サイクルのこと。

うちは相方も同じような仕事をしていて、
編集やライター稼業の人間は総じて夜が遅い。



ちょっと遅くまで仕事をしていることを自虐的に、かつ
誇らしく思っているような気配があるのだが、
ひとつには「締切」の存在も大きい。



編集者の仕事は、いわば現場監督のようなもので、
誰かの仕事を次に繋ぐ指示を出したり、
上がってきた仕事を少し整えたり。



つまり、誰かがした仕事を「待つ」ことが仕事の大半。
たいていの人は、日中に仕事をするので、
それを待つと夕方以降に忙しくなるというのが編集なのです。



ライターは、日中に仕事をしたらいいのに、
締切ぎりぎりにかかることが多いので、
ずるずる夜にひっぱって、遅くなるという悪循環。


って、この説明ではライターと編集者の関係に矛盾出るけど、
なぜか世間はそういう感じで循環することが多いのです。



というのは、まあ言い訳のようなもので、とにかく
うちは二人とも夜が遅い。



たまにお互いに仕事が早く終わっても、
晩ご飯を食べる=飲むということなので、
ずるずるずるずると何時間も飲んでて遅くなる。


単に飲んで喰ってしたいだけのだらしない性分というのも大きい。
というか、ほとんどこれだ(おいおい、冒頭の話はどうなる!)。



ここ数年は、2時3時に床につくことが慣例化しており、
起きるのはまちまちだけど、睡眠はしっかりとるので
8時9時までは布団の中で惰眠をむさぼっている。



この惰眠がどうやら駄眠で、
わたしは眠りが非常に浅い。
間隔を開けて目を覚ましては寝てという間に
間断なく夢を見ているような気がする。



特に、この1年ほどは、3年前からの腰痛が常態化しており、
朝の起き抜けはいつもいちばん腰痛が激しく、
だいたい5~6時に猫に起こされるときには、
起き上がるのに一苦労。猫のかりかりを皿に入れるのに
腰をかがめて呻くといった体。



そんな朝はそんなに爽快ではない。



でも1日の始まりがそういうのってなんだか勿体ない気がしている。



さて、わたしの漢方医となってくれたK女医は、
大変に丁寧な分かりやすい言葉選びで診察をしてくれたのだが、
その際に、就寝~起床時間にも言及され、
また詳しく書くけど、少しアドバイスをくれた。



東洋医学の考え方では、簡単にいうと
人間の体は寝て起きるときに、臓器も順に目を覚ます。



気管支喘息を持病に持つわたしは、そもそも呼吸系と
喉と鼻が弱いのだが、わたしの今のサイクルでいくと、
どうやらその弱い器官が起きたい時間に、
わたしはようやく寝たところ。
なので、あんまりうまくかみ合ってない。
話を聞くほどに、そこに問題が集中していることにも驚いた。



とはいえ、相方との共同生活でもあり、
頑なに自分のサイクルを守って暮らすことは難しいし、
そうしなきゃいけないと思うと、それが自分を縛って苦しい。
そういうのはとてもストレスフルだ、とはさすがに学んだ四十路。



ぼちぼち、できる範囲で少しずつずらしていけたらと思っている。


それで、ひとまず大きなくくりとして、
「午前1時までに就寝する強化月間」という大風呂敷を
大きく、でも適当に広げることにした。



一昨日は12時半過ぎに布団に入り、寝付きが悪いので
結局寝たのは13時半過ぎてたと思うけど、
翌朝(昨日)は7時頃にぱちっと目が醒めた。
爽快な気分は昨日のブログのとおり。



が、しかし、昨日も熟睡できていたのではないようで、
確かに夢をたくさんみた記憶もあるし、
日中に眠たくなって、外出先から戻って遅めの昼ご飯を食べたら
どどどどどーんという暴力的な睡魔に
後頭部を殴られたように気絶(ただの昼寝)。
1時間ほどだけど、起きたらちょとぼんやり意識が回復していた。



K女医から、昼寝についても教えられていて、
できれば昼ご飯後にした方がいいくらいの調子でお聞きしていた。


とはいえ、5分でもいい。少しのんびりするということがポイントとも。
なので、昼寝をしなきゃいけないというより、
昼食後に少し体を休めて
肩の力を抜くということがベターなのかなと解釈している。



家で仕事をしていると、いろんなことをやっている。
昨日は晩ご飯を食べながら、背後でパソコンにメール着信音がして
つい受信して校正を合間に挟みながらご飯を食べてしまった。


そういうことがぜんぜん珍しくなくて、
自宅なのでゆっくりご飯を食べられるはずなのに、
区切りがなくてご飯の時間と仕事の時間がごちゃ混ぜになっている。



そういうのも、改めて昨日、意識させられたり。



漢方を飲み始めて、いきなり何か症状が変わったとか、
そういうことはもちろんないけれど、
ずいぶん、あちこちで自分の生活を見直すことになっている。
見直すというか、へえこういう生活をしてるんだ、あたし。
というような感じで。



なかなかに面白い。
















漢方医にかかる。

今月の12日に43歳になりました。



誕生日がどうという話をしたいのではなくて、
四十路も深まってまいりました。という話です。



二十代から三十代への変化と
三十代から四十代の変化はまるで異なります。



とくにわたしが女だからなのか、わからないけれど、
周りでも同じような声を耳にするし、
二十代の頃からそういう話をことあるごとに聞いていた気がします。



でも、と書きながら、あれ、このブログってこんなに改行してたっけ?
ブロックで改行だっけ?
などと迷うけれど、ま、とりあえずこのままで
(放置しているとこういうことになる)。



さておき、この1年ほどはどうにも体調の変化に違和感があり、
着いていけないというか、あまりに置いて行かれるような気がして
自分の体の変化をどう受け入れていいのかわからない。
つまり、頭ではわかっているけど、納得がいかない。
そういう変な穴にひっかかっている気配を自分に感じていました。



この先、40代の後半を控えていて、
さらにその先にもっと向き合わなきゃいけないと聞く50代が待っている。


そこまで考えたわけじゃないけど、
とある友人が漢方医に通い始めたと聞いて
びびびっときて、ご紹介いただき、早速お邪魔した次第。



昨夜から調合していただいた薬を飲み始めたのですが、
今朝の寝覚めが良かったことにとても驚いています。



ぼちぼち書いていきますが、
抱えている悩み、とまでいかないけど、気になるもののひとつに
眠りが浅いということがあります。



昨夜も熟睡できたというわけではないけれど、
毎朝目を開けたときに感じる、あの重たいような
まったくクリア感のないどよんとした気配がないことに
驚いた今朝でした。



それで嬉しくなってここに書いているのでありますです。



こうした体のことや漢方医にかかることなどについて、
少しずつメモ代わりに書きます(ちょうど良かった)。
読んでくれる方には脈絡ないかもしれませんが。



朝に弱いわたしにしては、
朝からこんなにすっきりした気分というのは
本当に驚きなんです(しつこいけど)。
いや、ほんまに。




画像


●加味逍遙散
●□姜□甘湯(□部分は中国語で打てない)
●□附子末
の調合内服薬







魚上氷(うおこおりをはいずる)の頃。

この冬は雪がちらつくことは少なくないけれど、
神戸で積もるのはほんとに珍しい。



相変わらずばたばた落ち着かない日々ではあるけど、
雪が溶けたら春に少し近づくように、
わたしももろもろの荷物を少しずつ下ろせそうな。



友人の佐藤友亮さんが最近開設したHPの文章を読んだら、
なんだか自分の大切な場所でもある
このブログを思い出して、ちょっと一服したくなりました。
http://hotel-asahigaoka.com/



生きていると必要なものや場所を確保するために
必死になってしまうけれど、
よく考えたら、それが必要かどうかは自分にも確証はもてないもの。



何が大切かなんてわからないんだよなあ。
そんな当たり前のことに、ちょっと我にかえったり。



あんまり心を固くしないように、
生きていきたいものです。



さて、仕事に戻ります。





画像


きものブログ、始めちゃいました。

まるで放置新聞なこちらのブログで書くことなのか!


というツッコミは甘んじてお受けいたすですよ。



だってもう誰かときものの話を一日中していたいほどハマっているのに、そのむらむら欲求不満を解消できないんですもん。


かといって、こちらで書くのは違う気がするのです。



きもの以外のあおやま人格だってあるもん!と誰に叫んでんだか。



ともあれ、そういう事情でこちらはご興味がある方オンリーでどぞ。



長いブログ人生では初めてになりますが、プロフで顔出しまでしちゃった。



そんなやる気に満ちておるのでありまふ。



「きものって大変?」
http://iyaiyacyotodake.cocolog-nifty.com/edoyaaiko/










言えること言えないことのメモ。

人はなぜ、あることを言いたくなくて、あることは言えるのか。


他人からみると、どうにも理解しがたいケースが多い。


損得だけではない何かがある気がする。


わたし自身を含めて。


バイヤスがかかることを恐れているのかな。


わたしがわたしである前に、何かにされてしまうことは、とても哀しい。






かさばる女。

30代後半をむかえた頃だったろうか。


肩に感じる鞄の重さが突然気になった。


ただ大阪のオフィスのパソコン前に座り、メールを返したり、朱書きを入れたりするだけの日の、つまり鞄には移動の間に必要なものだけしか詰められていないはずなのに、なぜこんなにも鞄の肩紐がずしりと重いのだ。


財布、手帳、ファンデーションのコンパクトをいれた小さなポーチ、移動の間に読む文庫本。あとはハンドタオルとティッシュくらいか。


そんな程度なのに、なぜか鞄はいっぱいいっぱいに膨らんで底が重みでしなっている。


いまだによくわからない。わたしは荷物が多いのか、そうでもないのか。でも、なんだかいつも余計なものばかり持ち歩いてしまっているような、自分に対するもやもやが消えない。


同じようなもやもやを感じるときは他にもある。


近所のスーパーに、冷蔵庫になかった牛乳を買いに走ったら、帰りになぜか両手にずしりとビニール袋を提げて帰路の坂道を上っているときだ。


1階で牛乳を買う前に、猫のかりかりが切れていることを思い出し、ばたばたと2階の生活雑貨コーナーに立ち寄ると、いつも買う蛍光材無配合の洗剤が安くなっていてカゴに入れる。と、すぐ横のトイレの流せる掃除用シートも安いことに気づく。そうだそうだ、いつもはコンビニで買う炭酸水だけど、スーパーからいったん自宅を通り過ぎて買いにいくのは面倒なのでこれも…。


牛乳がまだ入っていないカゴなのに、1階に降りる階段ですでに片手にずしり。


わたしの人生、なんかすごくかさばっているよなあ。


何かが余分な気がするけれど、どれが余分で、何が本当に必要なものなのか、まるでわからない。


必要な気がするものだけを選んで生きているつもりなのに。


40を過ぎてから、さらにその思いが強まっていて、でも、相変わらず何に対してもやもやを感じているのかは分からない。


できれば何も持たずに歩いていたい。必要なものはポケットに入る程度なはずだから。


わたしは普段ほとんど誰かに憧れることはないけれど、そんなふうに生きているように見える女性には、ほんとうに憧れる。


アフリカのサバンナとか遠い異国の村ではなくて、街のなかで、普通に暮らしている女性で、何も持たずに生きている人がいるんだろうか。


もしいたら会いたい。話を聞いてみたい。







じぇじぇじぇっ。

HNK連続テレビ小説『あまちゃん』に毎朝にんまりきているあおやまです。



突然ですが、一昨日、左の掌をざっくり切りました。



ゴミをまとめようと袋をぎゅうぎゅう押したら、鋭い痛みが一瞬走り、血が噴き出していました。



それで、思わず、じぇじぇじぇっっと叫んだのであります。



血がすごかったので、すぐに台所で洗い流そうとしたら、ばっくり割れた肉が目に入りお尻がきゅーっとなって気絶しそうになりましたが、これはヤバそうとすぐに病院に走ることに決めて、意外と冷静に近所の外科を検索すると、めちゃ近所の整形外科がヒットして、そういや、あそこがあった!整形外科だけどいいや!と駆け込んで、救急で診ていただいたらかなり深く切ってて、6針縫って全治2週間。



すぐに水道水で洗ったのが良かったようで、幸い化膿することもなく、その後の経過は良好。



ちょうど親指の筋肉のあたり(掌のふっくらふくらんでいる柔らかい場所)を切ったので、親指は力を入れると痛いけど、ほかの4本指は比較的元気まんまんで、基本は右手勝負ですが、それなりに生活できています。


自宅から病院までは下り坂きんちゃん走りで5分くらいなのですが、血が止まらないので、とにかく左手を高く掲げて必死のぱっちで走りました。自分の姿を想像したら、まるで『ダイハード』のブルース・ウイルス。ちょっとわらけました。



さておき、昨年末には、雨の日に滑って転んで尾てい骨に軽くヒビが入って合気道を2カ月お休みしました。



3月になって、ようやく完治したと思った頃に、インフルエンザ。治ったかと思えば、持病の扁桃炎をこじらせ気管支ぜんそくでぜいぜいひゅーひゅー。ようやく落ち着いて、合気道に復活して張り切っていたら、またこの怪我。


むかしのわたしなら、お祓いに行かねばっっ。とか思っただろうけど、まあ、生きていたらそういう時期もあるんだろうな。というか、きっと何かが自分のなかでうまく回ってないんだろうなと思える大人にようやくなりました。はい。


それはそうと、10日ほど前に麻雀で国士無双を上がって、その後の半荘も親っぱね連打で字一色を上がった人を押さえて勝ったことがありました。ちょっと気持ち悪いようなツキ具合だったので、今回の怪我でちょうどトントンかもかも(笑)。


ちょうど取材も来週に入っていて、今週は驚くほどのんびりできているので、本当に幸いこの上ない。ついてます。ってほんまか?

画像

まあ、ぼちぼちちょうどいい塩梅と思うことに。


そうそう、何で切ったかというと、割れたワイングラスでした。同居人が前日に捨ててたこと、後から思い出しました。なんでもがさつな性格を直さなきゃいけないようです。うぅ。


こつこつ。

昨年末から、仕事じゃない書きものをこつこつと書いているが、ほんと書いてみないと分からないことばかり。


だけど強く思うことがないと、まず書いてもみられない。



久しぶりに「書かねば」という、強く、そして根拠ない確信のようなものに突き動かされながらも、暗中模索で苦しいけど止められない。



わたしの前には、それを形にしなければならない文章が既にある。



それはすぐそこにあるのか、ずっと遠くにあるのかはよくわからない。大きいのか小さいのかも。


けれども、間違いなくそこに「既に」ある。


生み出すのではなく、誰にも分からないかもしれない。でも、間違いなくそこにあるものを、言葉に迷い生きることにとまどいながら掘り出すこと。そこにあることを間違いないと思うのは、この世でたったひとり、自分だけ。不安だし、怖いし、面倒ですらある。


でも、逃げられない。


それがわたしにとって書くということ。他に置き換えることはできない。


以前は、そういうものは自分のなかにあるのだと思っていた。でもそうではない。わたしの先にそれはある。そこにわたしは含まれているけれど、わたしはあくまで一部でしかない。時間も空間も複雑に絡み合う今をわたしは生きている。その今の先にそれがあるような気がしている。



という世界でもがいている。













謹賀新年。

うっかりしていたらもう2013年。


こんなふうに呑気に年を越せることが
幸せなんだろうなあとしみじみ…とはしていなくて
やっぱり当たり前のようにお正月を迎えてしまいました。


でも、ちょっとだけ、いつまでも家族が
健康で普通に暮らたらいいなと実感しています。



皆さんも良いお正月をお迎えでしょうか。


わたしは数年前にけっこうへこむお正月を迎えたのですが、
その一年が悪いということもなかったです。

だからお正月が良くても心地悪くても
まあその一年はどうなるかわからないので
気にせずに過ごしていけたらと自分でも思ってます。


思うほど、思うようにはならない。


なるように、どうなるのかな2013年。


皆さんにとっても、良いと思える一年になりますように!



結局はひとりで生きていくしかない。という覚悟について。

いろんなことを考えたこの1週間。



たとえばたくさんの家族に囲まれていても、ひとりで暮らしていたとしても、結局は人はひとりで生きていくしかない。



そのためには、ひとりじゃないと思えるときも必要なんだけど。



いつだってひとりで生きられる覚悟や準備が必要なんだな。と気づくのが遅かった気がするけど、いまわかってよかった。



父母は無事に退院しました。問題や課題は山盛りだけど、それよりも自分のことを考えなきゃいけないんだと思います。もちろん自分のことには家族のことも入ってる。でも、あくまで自分のことというところから、考えなきゃ何も解決しない気がする。



4~6日目。尻餅怖い。

4日目。
後輩の結婚式。
教会がもじどおり祝福に満ちた心温まる時間でした。


5日目。
午前中はゲラ校正。
午後から父とこ母とこ。


で、この日は雨が降ってたのだが、雨靴履かずに歩いてたら、実家のマンション階下にあるコンクリの坂道で滑って転んで尻餅ついてしまった。


痛さのあまり、漫画みたいに目の前に☆が飛び散った(ほんまに飛ぶことを知った)。


お尻の激痛に耐えながら、両親の病院に寄って用事を済ませて、夜になってひょこひょこ歩いて帰宅。


ネットで調べると、尾てい骨骨折とか仙骨損傷とか書かれていて、どんどん怖くなってきたので、整形外科に行こうか迷う。


自宅の椅子もクッション重ねて座らないと、痛さで頭がくらくら。自宅にあった湿布で冷やしてお風呂はやめてシャワー。鎮痛剤を飲んで寝る。


6日目はどうしても外せない仕事の打ち合わせがあり、大阪のオフィスへ。


午前中に病院に行こうかと思ったけどばたばたしてて行けなかった。ただ、次第に痛みは少しずつましになってるような気がする。


椅子から立ち上がるときや、階段の上り下りが一番きつい。あと、屈んで荷物を取ろうとするときとか、お尻全体と太ももが痛い。


この紐お風呂は我慢してシャワーで鎮痛剤飲んで寝る。


7日目今日。そうか、もう1週間が経つのか…。


午前中に、前から予約していた三宅先生のところに行く。
かくかくしかじかでと事情を話すと、尾てい骨も細かくチェックしてくださって、骨折はまぬがれたようでほっと一安心。強い打撲だそうで、湿布をいただいて帰宅。


転けたときに、それをかばって着地してから体をねじったようで、それも含めて来週また診ていただくことになった。


「でも、これぐらいですんで良かったですね。ちゃんと治りますよ」と明るくおっしゃっていただいて、それだけで痛みが半減。普段からずっと体を診ていただいてる先生のこういうひと言は本当に心強い。だからやっぱり医者はかかりつけがいいよなーと思います。


さて、両親の方も少しずつ落ち着いていることもあり、こちらの事情を懸念し、病院には来なくていいと断られたため、ちょうど校正ラッシュの仕事を自宅で片付ける。


実は「寝転ぶ」のが一番痛かったりするので、クッションを重ねて姿勢よく座っているのが一番お尻が穏やかに過ごせるようです。


というわけで、ざざっとメモ。


尻餅ってほんと怖い(苦笑)。


皆さんもどうぞお気を付けてくださいね。







3日目。

母とこ父とこ母とこ。


だんだんと慣れてきたのは、移動時の車の運転。初日は正直、おっなかびっくり過ぎておっくうにすら感じたが、15年ぶりとはいえ、その前の10年ほどは毎日ハンドルを握っていたのだから、体がいろんなことを覚えていた。


特に、車庫入れは昔から得意だった。ぱっと見に、これは無理かと思うような縦列も結構するするとハンドルを操って、よく友人の車の車庫入れなんかも手伝ってたくらい。


ああいうのは向き不向きで、わたしは車を含めた身体感覚というか、なんとなく範囲が最初から分かった。空間と車体を目に入れておけば、だいたい導線がイメージできるので、混雑した繁華街を人にぶつからないように歩けるように、車もなんとなく自由に動かすことができる。


10年前に運転していたのは、ゴルフかスカイラインだったので、両親のプリウスαはちょと大きいけれど、まあなんとかいけてる感じ。それにしても、この10数年で車に対する考え方がずいぶんと変わったことを、日々感じている。


というのはさておき、病院にも慣れてきた。匂い、明るさ、人の気配、働いている人の動き、時間的な空気感などなど、体がほどなく順応できるようになっている。


だから余計になんだかはっとしたことがある。


昨日は、何がなんやらだけれど、ひとまずどうにかで、もろもろをこなした母だが、数年前まで西洋の病院にほとんど近寄りたがらなかった彼女なので、「普通の病院」のドライな感じに今さらのようにショックがあったのを思い出したようだ。


わたしは少しでも痛いとまず病院に駆け込む派なので、病院でモノのように扱われるのに慣れている。病院とはそういうところなのだ。


自分の感情とかプライドとか、そういうものを抱えていては、患者という物体には慣れない。


わたしは、考える力のない人間になったように、思考を止めて言うがままになる。もちろんケース・バイ・ケースで、医師と一対一で話すときには少し脳みそをぐるぐるさせることもあるが、特に検査で脳みそを動かすと、傷ついたり、不安になったり、意味が分からなくて憤ったり、感情が起伏しすぎてしんどい。それでなくても、しんどいから病院に来ているわけだし。


看護師さんが不親切な訳ではない。たいていがすごく親切だ。でも、普段は他の誰にも求めず触らせることのない自分の体にああしろこうしろと指示を出されていわば好きに扱われる、それだけで、普通じゃない。


そのストレスを抑えるために、自分がモノであるかのように感じてやりすごす。そう、やり過ごす。


母親も、昨日の様子を見ていると、意外やわたし以上に適応力があり、担当看護師さんのイージーミスで、他愛もないけど少しあれれと思うようなことが続いたのだが、笑って流してもろもろを終えることができた。


今日、昼食を食べた後に、少しゆっくりと話していて、もちろんだるさと発熱があるのだが、昨日を終えたことの安堵から気が緩んだようで、「いろいろとショックだったわ」とぽつり漏らしていた。


頼まれた雑用を済ませて、再び戻ると母は熱が上がって、寝るからもう帰っても大丈夫と力弱く呟いた。


本当に、ようやくほっとしたんだと思う。


病院を歩いていると、点滴の袋を自分で移動させながら歩いている人、開け放たれた病室の扉の向こうに口を開けて寝ている人、お見舞いの誰かと話している人、ひとりでソファに座って宙を眺めている人、さまざまな風景が目に入る。


みんなが、それぞれに違う希望と失望と現実と痛みと状況と展望を抱えて生きている。


母の、もしかすると、当たり前過ぎて、そんなことと流されるようなショックというのが、なぜか大きなショックになってわたしの体にも残っているような気がしている。


体をモノのように扱えたと思っても、心はそうとはとらえていない。



他人のわたしの体にも、母がそうであったように、心に少し遅れて体の痛みが伝わってきた。




2日目。

今日が今回のミッションのいわばXデーになるのですが、無事にもろもろ終わって、ちょとほっとしました。



しかし、なかなかどどんとくるものもあり、ぬさもとりあえずたむけやま。



いや、疲れてるのか、意味がよくわかりませんが、とりあえず備忘録として更新。



昼前に電車とタクシーを乗り継いで実家に寄って、頼まれたものなどを抱えて車で父とこ、ほどなく母とこ。いろいろ終えて、心配してる父とこに顔出して、実家に戻って車を置いて、バスと電車で帰宅。



初体験のことが多かったけど、つまりこういうのは、時間をどれだけ共有するかということに限るような気がした。


というのは、あくまでわたしの実感であって、世間一般の家族がどうなのかはよく分からない。ていうか、世間一般の家族って誰なんだろう。病院には無数の風景があって、そのうちのひとつがうちの家族なんだろうけど、それらはすべてどれひとつ同じことがない。病名は同じでも、症状も異なるし、性格も受け止め方も何もかもが違う。


わたしが書くとき、自分が書くようにしか書けないのは、材料が自分にしかないもので、それは傍からみれば同じように見えるかもしれなくても、構成している成分がまるで異なるので、やっぱり違うし、その違いをできるだけようく目を凝らして言葉を当てはめていきたいと思うからです。



「時間をどれだけ共有するか」という意味も、受け取る側の解釈に委ねられる。



今日は脳みそつるつる気味なので、また明日。



ともあれ、Air Mac買うか迷ってる。ちょっと時間が空いたときに書けないのがもどかしい。












1日目追記。

まだ働き盛りと言われるような56歳という年齢で、半身麻痺の後遺症が残り、妻を主婦から介護者に変えた自分のもどかしいどうにもならない体に感じる悔しさを、娘として、近しい人間として、その悔しさはとうてい分かるものではないのだということを、18年の間、今日ほど強く感じた日はなかった。


そう、ちゃんと計算したら18年。そんなことも把握してないほどぼんやり生きているわたしは、形容詞ではなく現実に本当に何もわかっていない。



たった今、この世で一番その人のために動きたいと思うけれど、動かない。自分はなんて役立たずなんだ。



そう感じることほど、人間として辛い思いはないだろう。



父のその強い悔しさがいつまでのわたしの体を揺さぶって動けない。



ただ、書くことしかできない。






1日目。

朝から入院手続きの付き添い。


幸い個室が取れて、眺望が良いと笑顔を見せている母。


初の病院食を美味しいと食べるのを見てから、父の高齢者専門の介護付き病院へ。


なんだろう、まるで違う空気と色彩。


回復へと一丸となって取り組むぞーおー!


という意気込みがそこかしこに散りばめられている母の病院に対して、寝たきりの「余生」をそこで送っている方をはじめ、気力の破片を見つけられなかった父の介護付き病院。


という風に見えたのは、手術を控えながらもどこか開き直ったようにも見える女と、四六時中手となり足となり動いていた妻がそばにいなくなった男の様子の違いなのだろうか。


再び母の病院に戻ると、10数年ぶりに24時間付添が必要な夫から解放されて、窓の向こうの遠い空を眺めながら茶をすする女がいた。


母は自分の病気と引き替えにそんなささいな自由を得たのだと思うと、いたたまれない気持ちで、父が早速、その病院で間取りを全部変えさせたりわがままをしているということをおどけて話した。


いつも通りに威張って人をこき使う父だけど、母の話になると「一人で不安やろうと可哀想で」と感情を堪えきれずに言葉を詰まらせた。


そのことも少し迷って伝えると、母も可哀想にとためいきをついた。


生きるとは生々しい。


全然素敵じゃない。ただ、どろどろとぬるぬるとさらさらと流動的に生々しい。



そういえば、父はこんな話をしていた。



遠い親戚に痴呆の気配が始まった年老いた母の面倒を見ている息子がいて、彼が今後は自分が仕事を辞めてずっと側にいようと思うと。


そんなことは絶対にしたらあかん。そんなことは誰の為にもならん。お前が一生懸命に介護しても、誰も幸せにはならない。病院に入れて行けるときに行け。それでええ、それが一番ええ。


わたしに言ったのではない。そのことは確かにわかった。父はそういう遠回しなことはしない。だから余計に複雑な思いがした。


とりあえずまだ初日。事態は悪くない。悪くはならない。それは確信している。



なんとなく分かったけど、こういうことは、とにかく体力。



というわけで、今日はとっととお風呂に入って寝ます。


また明日。












暗い芽。

予定より少し前倒しに(珍しい!)、今週書かなきゃいけなかった原稿を脱稿。今日中に校正してしまえば、明日からは急ぎの仕事に追われることがない。ひとまず脱稿できたことになによりも安堵。



あとは、鼻水とくさみ連発の体調を、なんとか軌道に乗せて明日以降はすっきりしたいんだけど、こればかりはなんともというわけで、全身を温かくして、薬とビタミン剤を平らげて、今夜のナカノシマ大学も合気道の稽古も見送ることにする。


無念というよりほかはないんだけど。


さておき、今朝は尼崎変死事件(この名前いつも複雑な気持ちになる)の容疑者が兵庫県警の留置場で自殺したという報道に、一瞬にして目が覚めた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121212-00000508-san-soci …‬


彼女には、きちんとすべてを話して欲しかった。せめて、その責任だけでも全うして欲しかった。彼女の死により、精神的にも状況的にも、事件にかかわらざるを得なかった人間が背負うものがどんどん増える。そんなふうに残された人間が痛ましい。


留置場での自殺の経緯については、きっと本当の詳細は明らかにならないだろう。これだけの大事件。しかも「私がすべて悪かった」と犯行を認めている人間が取るものとして予想される行動だろうし、それなりの対処はしていただろうけど、それでもやってのけた被告の方法。真似する人が出て困る手口だろう。


彼女には死んでも言えないことがあった。死を選ぶ方がましだということ。


詳細はもちろんわたしには分からないけど、事件取材に当たっていた方から小耳に挟んだ限りでは、明らかにその筋の人間が絡んでいるし、彼女自身、事件の闇に光が当たり始めてから、身の危険を感じていたのかもしれない。


なおさら自殺の可能性があったのにさせた県警は、本当にあほかと思う。


前にグリコ・森永事件などの未解決事件を指して、作家の高村薫さんがこんなことを話されていた。


「未解決のままに事件を残すことは、わたくしたち市民にとってよくない。だから未解決事件をゆるしてはいけない」


この言葉を初めて耳にしたとき、ぼんやりとしか意味が分からなかった。


高村さんは、事件そのものもそうだけれど、事件が与える余波に懸念を抱いている。曖昧に放置した暗い芽は、かならず暗い木として成長し、暗い実をつける。その暗い実を食べた人間はわたしたちに暗い現実を突きつけるだろう。


今回の尼崎で起きた変死事件も、きちんと事実を明らかにして解決することが、わたしたちにとってもいい、というかそうしなきゃいけなかった。


社会的な問題を多く孕んだ事件であることを、何より明らかにしてほしかった。



追記:
書いてから、長袖Tシャツで首つって、という報道を目にしました。
なおさらだけど、確か繋いでそういうふうに使えるようなものに対しては、厳重な警戒をしていると前に何かで読んだことがある。報道が真実だとしたら、余計に警察のずさんさに呆れる。

自殺願望を口に出していたとされる。もう家族に会えないという理由で。
そういうことも含めて、少しでも公にして欲しかった。本当のことを言うとは限らないけど、言わないことから何かしら救いが見つけられたかもしれない。
残された人たちが、呪縛から解かれることがあるとしたら、そらだけが救いだけど、それでは本当にやりきれない。












なりゆき。

風邪というなの電車に乗ってはや1週間弱。


今年の風邪はしつこいと聞いていたけど、ほんとに。ひきはじめがスローなブギ過ぎて、これはもしや風邪ではないのでは、と気が緩んだところに「おかんとセキと時々くさみ」というノリで襲ってきた。


みんなしつこい、といっていたけど、どちらかといえば「粘り強い」ウイルスなんだなと感じながら、激しくくさみを連発する今日この頃。


ようやく小冊子を脱稿してひと段落。今年の夏頃から手伝ってる単行本のリライトも終えて、今は別冊子の原稿締切の真っ最中。これを抜けたら、年内はかなり余裕ができるので、安心して病院通いができそうです。


父と母の病院を行き来するので、その間に空く実家の車をつかうことになった。 18歳で免許を取ってから、新卒アパレル時代も、あの神戸の震災後も車でポートアイランドに通勤していたので、かれこれどっぷり10年ほどは運転してたけど、大阪の出版社に勤めるようになると車に乗る時間もなくなり、大切な相棒だった赤いゴルフと別れたのがもう15年も前になるなんて…遠い目。


15年ぶりに運転するプリウスくんは、噂通りの優等生だけど、鍵穴がなかったり、もはやあたしの中のクルマ概念を超越してる気もするが(オーバー)、しばらくはのんびり付き合ってもらいたい。

母の入院にともなって、結局、父も入院することになった。リハビリ設備のある専門病院。


父は24時間そばに人がいないと危ないから、普段の生活ができるけど、周囲の負担を考えて父がそれを選んだようだ。


というわけで、わたしは介護という介護の任にはつかず、二人洗濯ばあやになり、あとは交代に食事に付き合うという感じだろうか。


そんな話をしていたら、仕事仲間もちょうど彼女の父親が急な手術で入院することになったと言う。 お父さんの病院に行くとちょうど、看護婦さんが「体をふきますね」と タオルを持ってこられた。

「娘がふきます」


お父さんはそれを制して彼女にタオルを渡させたそうだ。

「え~。やってもらったらいいいやん!!」

とも言えず、父の体を拭く。 が、しかし、適当に拭いてたら「しっかり拭きなさい。お風呂に入れないんだから、ちゃんとすみずみまで拭きなさい」と叱られる。


世間からみてかなり「出来のいい娘」である彼女ですら、「どこまで やねん!!」と切れそうになったとか。


親子でも、「もう見たくない」って場所もあるよね。


そういう彼女の言葉があたしにはまだリアルじゃないけど、そういう時がくるのだろうか。


なんて考えながら、両親の入院までに仕上げておかないといけない原稿に戻るです。




(備忘録)バランス。

いささか乱暴な言い方だけど、あたしは年下の面倒な女がなにより面倒くさい。



年下の男はそうでもないのは、弟がいるからかもしれないが。



考えてみれば、多くの男が、年下の面倒な男を面倒くさがり、年下の女を可愛がるので、この世はバランスが取れている。


なので、あたしが年下の面倒な女を面倒くさがっても何も問題はない。



あたしだって、年上の女には面倒がられているに違いない。



あたしにあんまり自覚がないのと同じように、年下の面倒な女のほとんどに自覚がないようだ。


思い出しただけでも面倒なんだけど、なんで思い出すかというと、なんでだろう。


いろいろ考えてみたい。


取り扱いの感覚。

卵を扱うのは難しい。


産まれたばかりの鶏卵には血や羽などがへばりついていて、その生々しさを消費者に届けるまでに拭わなくてはいけない。



力を入れすぎると殻は驚くほど簡単に割れてしまうし、撫でるようでは動物の気配は取れてはくれない。



力加減が重要なのだ。その感覚は、教えられなくても分かる人もいれば、何度教えても割ってばかりの人もいる。



そんな話を、以前に単行本のお手伝いをした芸人の方から聞いたことがある。その方の実家は鶏卵屋で、彼は若い頃に実家の商売を手伝っていたのだ。



わたしは言葉を扱う商売をしていて、言葉も卵とよく似ているとその話を聞いたときに感じた。


自分の中から産まれたての言葉は生々しい。その言葉を扱うには、生々しさを生かして殺さねばならない。



生々しくほのかに温かいその言葉を、掌にのせて力を入れすぎず抜きすぎずに、包み込むように。そして、そっと相手に差し出すのだ。



また思う。言葉には差し出し方がある。それは力加減のようなもの。



いつの間にか割れた卵のような言葉を気づかずに相手に差し出していることもある。



しばらく経って、掌にへばりついているものに気がついたとき、初めて言葉が割れていたことに気づく。



乾いた卵の痕跡は、妙に生々しい。





取り戻したい言葉。

大切な人のひとりである平川克美さんは、著書にもあるが、ご家族を立て続けに看取るという経験をされた。



「看取る」という言葉には、看病をするという生前の時間から、死に水を取る行為まで含まれていて、平川さんはその前者の経験を丁寧に言葉に紡いでおられる。


それがこの1冊になっています。


画像

『俺に似たひと』(医学書院)




お父さまとの別れの際、わたしはお通夜にうかがわせていただいた。


新幹線から在来線を乗り継いだ駅から10分ほど歩いた会場に少し早めに到着すると、平川さんが「おう」と手を上げて迎えてくれた。


この度はご愁傷さまです…という言葉をそこそこに、わたしの口から「でも、ほっとなさったんじゃないですか」という言葉が出た。



出たあとすぐに、違う、そうじゃない、と後悔した。



闘病生活を遠くから断片的に見聞きしていたわたしには、平川さんのお父さんももうほっとしているんじゃないかなという思いがあって、そのお父さんの気持ちを受けて平川さんも同じ思いなんじゃないかな。そういう絡み合った想像の向こうにこの言葉がわたしの口から飛び出したのだが、そんなことわたしの想像でしかなくて、その想像のもとになる材料なんて、平川さんと平川さんのお父さまの二人の時間のごくごくごく一部の風景でしかない。



そんなわたしに、あんな言葉を言えるはずがない。



言葉ではなく、その言葉を発するわたしの態度の粗暴さが恥ずかしすぎて、わたしは自分自身にひどく絶望した。



平川さんはきっとそんな言葉を覚えてもないだろうけど、わたしの中にはずっとある。取り戻したい。でも、取り戻すとかそういうものじゃない。



言葉は消えない。発した人のなかで一番消えないのだと思う。










父は「老人」なのか。

朝から家族のあちこちから電話が鳴りまくる。


来週後半から2週間ほどの入院が決まった母についてはひとまず、という感じで、実家にひとり残される父をどうするかの方が母の手術よりも迷う案件となっている。



基本的には娘であるわたしが実家に通うことになっていたが、父は完全介護というか、生活に補助が必要なので、日中はなんとかなるけど、夜が心配なのです。


以前にも夜中にお手洗いに立った際に転倒したことがあり、何もなければ大丈夫だけれど、何かあったときに誰かが側にいないのは危険だし父も不安だろう。



昨日、今日といろいろ話した結果、10日ほどはしかるべき施設に泊まりがけステイすることに落ち着いた。



そうなるとなったで、娘としては父が不憫に思えて仕方がない。



障害者となってからはましになったが、シャチョー体質の彼に果たして長期の共同生活は耐えられるのだろうか。ワガママはおさえられるのだろうか。周りの人に迷惑かけたり、嫌われたりしないだろうか。



なによりも、その周りの人はみな「老人」であり、そのなかに父が溶けこまないことよりも、溶けこむことをわたしは恐れているのだと気がついた。



父が名称としての「老人」として扱われ、それを父が受け入れようとしていることを想像しただけで、言いようのない不快感と憤りとやり切れなさを感じる…という自分が、いかに「老人」をそういうふうな対象としてみているのかと恥ずかしく、いたたまれない。



父と母のあっけらかんとした態度と行動を見聞きする度に、わたしはまだ若く未熟だと思い知る。



老人は無力かもしれないが、力はなくとも年月を積み重ねてきた人間は強い。不憫だなんて誰かを思うようなわたしの方が憫まれるべき存在なのだろう。