父との関係。

兄と弟と相談して、父のところには毎週1度必ず誰かが顔を出すことにしている。

昨日はその当番の日だった。もちろんそれ以外にも用事があると足を運ぶ。父のところには、週に2度リハビリの先生が、週に1度はマッサージの先生が来てくれるので、家族に限らずいえば、だいたい毎日誰かが父のところに行く段取りになっている。


父は今年の1月からロングと呼ばれる施設入所をしている。ショートステイというのは在宅介護からの短期入所で、いわば短期間限定の仮住まいとすれば、ロングというのは、完全に居を移すという感じで、父はこの先の人生をロングの入所先で暮らすことになる。

昨年2月、母が亡くなったとき、父は母の入院中だけのショートステイで実家近くのホームにお世話になっていたが、母がいなくなったことで、実家に戻っても一人では生活ができないため、ケアマネージャーさんと相談して、特例的にショートの継続を繰り返して、結局約1年をそこで過ごすことになった。ふらついてよく転倒する父は、24時間誰かがすぐに駆けつけられる状態と、基本的な生活の補助が必要だ。

不甲斐ないことに、うちは誰も父を引き取ることができず、また、母が生前、自分がいなくなっても父を引き取るなと繰り返していたのもある。私たち3人きょうだいもみんな、父と同居できる自信はまったくなかった。脳梗塞の後遺症による半身麻痺という障害だけではなく、父はいろんな意味でなかなかの難物だからだ。むしろ、身体の障害ではなくその性格で、みんなが父との暮らしに怯んだという方が正しいだろう。

私も今もってまったく父と一緒に暮らせるとは思えない。そもそも、母も兄や弟も、家族で一つ屋根の下で暮らしていた頃から、父のことが重かった。異常なまでの支配欲というか、すべてを自分が決めたい、行動を把握したいという束縛ぶりで、子どもを伸び伸び育てるという方向の対極にあるような教育方針だった。

子どもたちは大人になり、家を離れてある程度自由になれた。母はその後も父に縛られ続け、そのうちに半身麻痺の障害を持ってからは、母はもう父を捨てることはできなくなってしまった。

その数年前から、母は父と別れたがっていた。もともと性格がまるで合わない。母も少し変わったところがあるが、無邪気で朗らかな正義感に満ちたよい人だ。父も根本的には悪い人ではないし、面倒見がよく、お調子もののところがあり、外ではそれなりに人望もあったように思う。しかし家のなかに入ると、自分のルールを押しつける非常に面倒な人だった。大雑把な母のやることのほとんどが気に入らず、だからといって昭和の男感満載で家のことを手伝うでもない。

と、私もいつまでも愚痴っぽいなと自分で呆れるが、とにかく素敵なお父さんでもおおらかで安心できる優しいパパとかいうのでは、まったくなかった。

また追々書くつもりだが、母のこと、母の亡くなった後のことで、いろんなことがありすぎた。当初は、父のことをもう親として特別に思えないのではないかと苦しかったこともある。

母の1周忌が過ぎたいま、私が父と接している様子を1年前の自分が目にしたら信じられないかもしれない。親はやっぱり大切というきれいごとを言うつもりもない。1年経って好きになったわけでもない。今も複雑な思いがある。疎ましい気持ちもある。でも、この人は私の親なのだ。それは変わらないのだということを、受け入れられるようにもなっている。

ドラマのように劇的な出来事があったなんてこともない。一度だけ、父に黄疸が出て、胆管がんの可能性が出て手術をすることになったとき、母の死後半年もたっていないのに父まで失うのか、このままでは自分は後悔すると思ったことがあった。あのことがなかったら、もしかしたら、父へのその後の思いは違ったのかも、とは思う。

父を失うかもしれないと思ったとき、自分は父を愛していることを知った。とか、父を初めてかけがえのない大切な存在だと思った。ということもない。ひどい話だが。

ただ、私はまだこの人ときちんと向き合ったことがない。それをしないままに果たして自分はこの先の人生をしっかりと歩くことができるのだろうか。できない。

そう感じた。

抽象的なことばかりの投稿になってしまいました。このあたりのことは、簡潔に書くことはまだできません。そして、今後、繰り返し書くことにもなると思います。

曇天は苦手だ。また晴れた日に父について書いてみようと思います。

父とは結構仲良くやっています。母が生きている間にこうしていれば、彼女の負担を減らして、もう少し楽にできたはずなのに。そのことの後悔ばかりです。

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