カツ丼の領収書。

この二日ほど体調を崩して寝込んでいたため、1か月ほど前から予約していた大腸内視鏡の検査をキャンセルさせてもらう。

申し訳ありませんと朝イチで先生にご連絡すると、検査のために脱水気味になりますから、その方がいいですよ。落ち着いてからまた検査日を振り替えましょうと優しくご対応くださった。とても良い先生でありがたい。来週くらいにまた相談することにします。

差し迫った状況での検査ではないのですが、それについてはまた改めて。

そんなこんなで、ちょうど仕事もひと段落がついていたこともあり、懸念の確定申告にようやく取りかかっています。

組織を動かしているのは人事と経理。と以前大企業の経理課長補佐を務めていた知人から聞いたことがあるけれど、わたしのしょぼい領収書の束を見返すだけで、わたしが去年していたことが手に取るように思い浮かんでくる。数字というのは正直だ。そして揺るがない。

いちいち思い出しても意味も時間もないので、1時間ほど無心に領収書の割り振りをしていたが、とある束で心が乱れて、逃げ出すようにこのブログに逃げ込んだところ、というのが今。

それは昨年1月の束だった。

そごうでやたら惣菜を買っていたり、タクシーを頻繁に利用したり、普段はほとんど利用することのないタリーズのコーヒーを毎日飲んでいる。

母の入院時は、とにかく食の衰えた母が少しでも口にできるものがあればと、毎日お弁当箱に惣菜をつめて、美味しそうななだ万のスープを持ち込んだりしていた。

またほとんど楽しみのない病院生活のなかで、わたしと一緒にコーヒーを飲む時間を楽しみにしてくれたので、病院内のタリーズで2人分のコーヒーを買って、病室で話をしながら飲んだ。母はコーヒーの味よりも、「娘とお茶を飲む」ことに喜びを感じてくれていたようだ。あまりにささいな楽しみであることに胸が苦しくなるのだが。

1月31日、私は病院併設のレストランでカツ丼を食べている。カツ丼だぜ。ちょっと笑える。

このときのことはとてもよく覚えている。母の弟が京都から駆けつけてくれて、その叔父と二人でレストランに行ったのだ。

先生に呼ばれて、会いたい方がおられたら今のうちに、という状況で叔父がいちばん仲の良い姉である母に会いに来た日だった。

自分が死ぬとは思っていない母は、息子二人にも気を使って、私はいいから仕事に行きなさいと見舞いを断っていたが、駆けつけた弟の顔を見るなり、名前を呼んで号泣した。「わたし、こんなになってしまった」と。

兄と弟と私は、母には本当のことを伝えないと決めていた。母が治療して回復して退院したあとの暮らしだけを希望に入院生活を耐えていたからだ。母の希望を奪うことは、彼女の生きる気力を削ぐことになるだろう。そのことが怖かった。

医師や看護師も、嘘はつけないけれど、治りますよね、私頑張るから先生お願いします、という母の言葉にうんうんと頷いて、頑張りましょう、でも頑張りすぎたから、少し休めてあげましょうねと答えてくださっていた。

そういうなかで、母が本当はどんなふうに感じていたのか、私には今もわからない。ただ、叔父の顔を見た瞬間のあの悲鳴のような泣き声を思い出すと、母はどこかで予感していたのだろうとも思うのだ。その声は私の耳の奥から離れないが、叔父にはもっときつかっただろう。おじちゃん、ごめんなさい。大切なお姉さんをこんな目にあわせてしまって。

あまりに長く話すと疲れるからと、叔父と二人でレストランに行くから、少し休んだ方がいいと病室を離れて移動した。移動途中で叔父がトイレに寄り、私は先にレストランで席を確保していた。思ったより長い時間叔父は戻らず、ようやく戻ると、石が出たとテーブルの上に小さな固まりを置いた。トイレに行くと、尿道から結石が転がり落ちたそうだ。小さな固まりは叔父の苦しみ悲しみなのだな。言葉が出なかった。

母は中学1年で父を亡くし、当時叔父はまだ小学校に上がるかどうかの頃だった。祖母は西陣で帯を織って姉と弟3人という4人の子どもを育て上げたが、末っ子の叔父にとっては姉は母のような存在でもあっただろう。

まったく食欲などないまま、ウェイトレスさんから渡されたメニューを見て、同様に困惑しているような表情の叔父の顔を眺めているうちに、オーダーを聞きに来た若い可愛らしいウェイトレスさんに私はなぜか「カツ丼」と注文をしていた。

叔父は驚いたように「ゆみちゃん、カツ丼か」。少し考え込んで、「じゃあ俺もカツ丼にするわ」とメニューを畳んだ。

なんだか二人で急に可笑しくなって、私はくすっと笑った。叔父は「カツ丼か、ええな」と大きく笑った。

叔父には、長い間伝えたかった礼をのべた。そのことは。ここに書いている。私が文章を書くようになったのは、叔父のおかげでもあることを、ようやく伝えることができた。

叔父は深く黙り込んで、とても嬉しい。ほんまに嬉しいと繰り返した。

こういうところのカツ丼って美味しくないね。私が言うと、はははと叔父が笑って、そういうもんやなと、美味しいものを食べたような表情を浮かべた。

病室に戻ると母は寝ていたが、ほどなく起きて、部屋にいる私たち二人の顔を見てとても嬉しそうな笑顔を見せた。二人でご飯を食べてきたよ。そう告げると、良かったわねとまた微笑んだ。

母はその翌日、息を引き取った。


ところで、わたしはなぜ確定申告に関係のない母の入院時の領収書まで置いていたのだろう。習慣って怖い。

あと叔父の名誉のため(そないに大層なものでもないけど)に言っておくと、会計は私がわざわざ京都から駆けつけてくれた叔父からむしり取って、叔父には後からまたお茶をご馳走してもらいました。




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