寄合場くるくるには、誰に集ってもらうのか問題。

ふとした思いつきで始めた寄合場くるくる。

とりあえず動いてみるという当初の目標は順調にクリアできているけれど、正直、動いてみなければ自分が次に何をすべきなのか、まったくわからない。

というよりも、遠い射程であれやこれやの夢のような計画はあるけれど、今いる場所とそこの間には少なくない時間があることもわかっているし、それが真っ直ぐ一本道であるとも思っていないほどには、それなりに年を食ってきた。

結果として「やりたかったこと」に辿りついたとき、振り返ると想像もしていなかった道筋がそこにあり、そもそも「やりたかったこと」は思いもしなかったことだったりもする。

だから面白いんだけど。

なんてことを、ゆるい歩みの言い訳にもしつつ、ぼちぼちと進んでいるところ。

今日、たまたま目に入ったツイッターの投稿で、保育園に落ちたから保育園を作ることにしたというクラウドファンディングのプロジェクトを目にした。
https://twitter.com/mimimizuho/status/966513086919135233


読んでいて、唐突に、寄合場くるくるで自分がしようと思っていたことで、ちょっとした軌道修正が必要なんじゃないかと気づいた。

寄合場くるくるは、高齢の方と他の世代がごく自然にないまぜになるような場になれば、と思っている。

そのために、積極的に高齢者にアプローチしていかなければならない。でも、近所の家のドアホンを鳴らして、ここにはお年寄りがおられますか、こんにちは、と声をかけるわけにもいかないし、道を歩いていてナンパするわけにもいかない。


ではどうすればいいのか。高齢者の居場所つくりをされている方にお話を聞くと、高齢の方が高い関心を持つのは一も二にも「健康」。だから自分たちも健康体操を開催したりして、そこに茶話会のようなおまけをつけるのだと。

健康体操。

たしかに良いのはわかる。でも、そういうのはあえて今さらのように私たちがやらなくても、きっとすでに皆さん積極的になさっていることだろう。うちの両親も健康公園を散歩する日課を持っていたが、何よりも切実な「健康」の必要部分は、バーチャルにしか想像できない私たちに出る幕はないのではという気持ちもある。

そうではないアプローチの仕方がきっとあるはず。

人は、自分が何を知らないかを知ることが、いちばん難しい。ご高齢の方が足りていないことに気づいていないこと。それを見つけないといけないのだな。

そうであれば、もしかすると、ご本人ではなく、周りの人の方にこそ見えているのではないだろうかということに思い当たった。

例えば、足の少し動かしにくいお母さんのそばにいる娘さん。気持ちは元気だし、年寄り扱いなんてされたくないけれど、若い人たちと同じようには過ごせないと活動範囲が狭まりがちでもてあましているお父さんのご家族。

そういった、ご高齢の方のそばにいる人に話を聞くことで、その先にいるお父さんやお母さんの困ったことや求めていることに、つながるのかもしれない。

つまり、ご本人に話を気かなきゃ、アプローチしなきゃ、と思い込んで、でも世代間の大きな溝を感じてどうしたものやらと立ちすくんでいたけれど、もっと身近にあふれている自分たち(アラフォー)世代に、ごく普通に話を聞いていけばいいのではないか。

それなら普段からしていることじゃん。

ああ、なぜ私は自分でわざわざハードルを上げていたのだろう…。がっくし。

寄合場くるくるに、ご高齢の方がおられなくても別にいい。ご家族やご近所さんなど、近しいところにご高齢の方がいる人に集まってもらって、何か困っていることはないか。それを聞いていけばいいのだ。

できることがありそうなら、一つずつ考えていけばいい。そうか。そんなシンプルなことなんだな。ずいぶん回り道をした気がするけれど、これも寄り道したから気づいたことなのだろう。たぶん。

さておき、「高齢者の方」「ご高齢の方」とかいう表現の仕方、自分ですごく違和感があるけれど、まだどう定めて書けばいいのかわからない。もどかしい。高齢者と表現した途端、顔がなくなる気がする。これについての課題、引き続き考えていきます。悶々。





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