3日目。
母とこ父とこ母とこ。
だんだんと慣れてきたのは、移動時の車の運転。初日は正直、おっなかびっくり過ぎておっくうにすら感じたが、15年ぶりとはいえ、その前の10年ほどは毎日ハンドルを握っていたのだから、体がいろんなことを覚えていた。
特に、車庫入れは昔から得意だった。ぱっと見に、これは無理かと思うような縦列も結構するするとハンドルを操って、よく友人の車の車庫入れなんかも手伝ってたくらい。
ああいうのは向き不向きで、わたしは車を含めた身体感覚というか、なんとなく範囲が最初から分かった。空間と車体を目に入れておけば、だいたい導線がイメージできるので、混雑した繁華街を人にぶつからないように歩けるように、車もなんとなく自由に動かすことができる。
10年前に運転していたのは、ゴルフかスカイラインだったので、両親のプリウスαはちょと大きいけれど、まあなんとかいけてる感じ。それにしても、この10数年で車に対する考え方がずいぶんと変わったことを、日々感じている。
というのはさておき、病院にも慣れてきた。匂い、明るさ、人の気配、働いている人の動き、時間的な空気感などなど、体がほどなく順応できるようになっている。
だから余計になんだかはっとしたことがある。
昨日は、何がなんやらだけれど、ひとまずどうにかで、もろもろをこなした母だが、数年前まで西洋の病院にほとんど近寄りたがらなかった彼女なので、「普通の病院」のドライな感じに今さらのようにショックがあったのを思い出したようだ。
わたしは少しでも痛いとまず病院に駆け込む派なので、病院でモノのように扱われるのに慣れている。病院とはそういうところなのだ。
自分の感情とかプライドとか、そういうものを抱えていては、患者という物体には慣れない。
わたしは、考える力のない人間になったように、思考を止めて言うがままになる。もちろんケース・バイ・ケースで、医師と一対一で話すときには少し脳みそをぐるぐるさせることもあるが、特に検査で脳みそを動かすと、傷ついたり、不安になったり、意味が分からなくて憤ったり、感情が起伏しすぎてしんどい。それでなくても、しんどいから病院に来ているわけだし。
看護師さんが不親切な訳ではない。たいていがすごく親切だ。でも、普段は他の誰にも求めず触らせることのない自分の体にああしろこうしろと指示を出されていわば好きに扱われる、それだけで、普通じゃない。
そのストレスを抑えるために、自分がモノであるかのように感じてやりすごす。そう、やり過ごす。
母親も、昨日の様子を見ていると、意外やわたし以上に適応力があり、担当看護師さんのイージーミスで、他愛もないけど少しあれれと思うようなことが続いたのだが、笑って流してもろもろを終えることができた。
今日、昼食を食べた後に、少しゆっくりと話していて、もちろんだるさと発熱があるのだが、昨日を終えたことの安堵から気が緩んだようで、「いろいろとショックだったわ」とぽつり漏らしていた。
頼まれた雑用を済ませて、再び戻ると母は熱が上がって、寝るからもう帰っても大丈夫と力弱く呟いた。
本当に、ようやくほっとしたんだと思う。
病院を歩いていると、点滴の袋を自分で移動させながら歩いている人、開け放たれた病室の扉の向こうに口を開けて寝ている人、お見舞いの誰かと話している人、ひとりでソファに座って宙を眺めている人、さまざまな風景が目に入る。
みんなが、それぞれに違う希望と失望と現実と痛みと状況と展望を抱えて生きている。
母の、もしかすると、当たり前過ぎて、そんなことと流されるようなショックというのが、なぜか大きなショックになってわたしの体にも残っているような気がしている。
体をモノのように扱えたと思っても、心はそうとはとらえていない。
他人のわたしの体にも、母がそうであったように、心に少し遅れて体の痛みが伝わってきた。
だんだんと慣れてきたのは、移動時の車の運転。初日は正直、おっなかびっくり過ぎておっくうにすら感じたが、15年ぶりとはいえ、その前の10年ほどは毎日ハンドルを握っていたのだから、体がいろんなことを覚えていた。
特に、車庫入れは昔から得意だった。ぱっと見に、これは無理かと思うような縦列も結構するするとハンドルを操って、よく友人の車の車庫入れなんかも手伝ってたくらい。
ああいうのは向き不向きで、わたしは車を含めた身体感覚というか、なんとなく範囲が最初から分かった。空間と車体を目に入れておけば、だいたい導線がイメージできるので、混雑した繁華街を人にぶつからないように歩けるように、車もなんとなく自由に動かすことができる。
10年前に運転していたのは、ゴルフかスカイラインだったので、両親のプリウスαはちょと大きいけれど、まあなんとかいけてる感じ。それにしても、この10数年で車に対する考え方がずいぶんと変わったことを、日々感じている。
というのはさておき、病院にも慣れてきた。匂い、明るさ、人の気配、働いている人の動き、時間的な空気感などなど、体がほどなく順応できるようになっている。
だから余計になんだかはっとしたことがある。
昨日は、何がなんやらだけれど、ひとまずどうにかで、もろもろをこなした母だが、数年前まで西洋の病院にほとんど近寄りたがらなかった彼女なので、「普通の病院」のドライな感じに今さらのようにショックがあったのを思い出したようだ。
わたしは少しでも痛いとまず病院に駆け込む派なので、病院でモノのように扱われるのに慣れている。病院とはそういうところなのだ。
自分の感情とかプライドとか、そういうものを抱えていては、患者という物体には慣れない。
わたしは、考える力のない人間になったように、思考を止めて言うがままになる。もちろんケース・バイ・ケースで、医師と一対一で話すときには少し脳みそをぐるぐるさせることもあるが、特に検査で脳みそを動かすと、傷ついたり、不安になったり、意味が分からなくて憤ったり、感情が起伏しすぎてしんどい。それでなくても、しんどいから病院に来ているわけだし。
看護師さんが不親切な訳ではない。たいていがすごく親切だ。でも、普段は他の誰にも求めず触らせることのない自分の体にああしろこうしろと指示を出されていわば好きに扱われる、それだけで、普通じゃない。
そのストレスを抑えるために、自分がモノであるかのように感じてやりすごす。そう、やり過ごす。
母親も、昨日の様子を見ていると、意外やわたし以上に適応力があり、担当看護師さんのイージーミスで、他愛もないけど少しあれれと思うようなことが続いたのだが、笑って流してもろもろを終えることができた。
今日、昼食を食べた後に、少しゆっくりと話していて、もちろんだるさと発熱があるのだが、昨日を終えたことの安堵から気が緩んだようで、「いろいろとショックだったわ」とぽつり漏らしていた。
頼まれた雑用を済ませて、再び戻ると母は熱が上がって、寝るからもう帰っても大丈夫と力弱く呟いた。
本当に、ようやくほっとしたんだと思う。
病院を歩いていると、点滴の袋を自分で移動させながら歩いている人、開け放たれた病室の扉の向こうに口を開けて寝ている人、お見舞いの誰かと話している人、ひとりでソファに座って宙を眺めている人、さまざまな風景が目に入る。
みんなが、それぞれに違う希望と失望と現実と痛みと状況と展望を抱えて生きている。
母の、もしかすると、当たり前過ぎて、そんなことと流されるようなショックというのが、なぜか大きなショックになってわたしの体にも残っているような気がしている。
体をモノのように扱えたと思っても、心はそうとはとらえていない。
他人のわたしの体にも、母がそうであったように、心に少し遅れて体の痛みが伝わってきた。
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