キム・ギドク監督「サマリア」。

原稿鍋が煮詰まって苦みとえぐみが出てきたので、
ちょっと気分転換にやってきました。


昨夜、映画好き兄弟の営む
北新地のなんでこんな美味しいねんありえへん韓国料理店、
というかもはやオカムラ料理を出す店というべき「喰海」で交わした
グラン・トリノな会話をもぐもぐと反芻しながら、
そういえば薦めてもらって観ていた「サマリア」の感想を伝えるのを
忘れてたことに気づく。



キム・ギドク監督作品で、
あたしは他のを見てないので監督としては
どうちゃらこうちゃら~という話はできないけど、
かなり面白かった。



「どんな話?」



と聞かれる度に、援助交際をしている女子高生がいて…


「ああぁ~(ははーん)」


という会話を繰り返してきたけど、
そういう風に想像されるようなエンコーが主題な
いわゆる今どきの物語ではなくて、
まるきり「父と娘の物語」であることが、
日本映画にない展開に感じる。


画像

(DVDのパッケージと内容も、
この通りなんだけど全然違うともいえる)



ネタバレになるから、曖昧ミーで申し訳ないけれど、
同じ話を日本映画でしたら、「うそくせー」となるはずの
父と娘がなぜかものすごくストレートに「あり得る」と思えるのは
やはり韓国が儒教の国で、
普段の生活の中で家族の絆を
いつも表現しあっている国だからなんだろうか。


でも、これがアメリカ映画なら、
なんだかそれも「うそくせー」極端に物語りに感じる気がするし、
じゃあ、ベトナムなら?フランスなら?といろいろ妄想してみると
スペイン映画ならしっくりきそうに感じる。


ボルベール<帰郷>」がなぜか思い出されたのも、
親子の物語だからかもしれないけれど、
母娘ではなく、父娘というのがあたしには非常にきつく、
たぶんそれはあたしが、父娘の関係をうまくとれていないからだろう。
画像





もう四十路前にもなってくると、
ようやくあたしは娘として父にとってどうなんだろう…
などと、今さらジローに考えることもある。



あたしは「親」の経験がないので、
あくまで妄想でしかないのだが、
100億パーセントで確信できるが
父にとってあたしと言う存在は「出来が悪すぎる娘」で、
これまでに何千回となく、
我が娘ながら関係を絶ちたいような感情を持っただろう。



あたしが親なら…とこうして仮に想像しようとしただけで
腹が立つような憎たらしい娘である。


口は悪い、出来は悪い、性格悪いの悪三拍子。
その上、態度はでかい、問題多い…。



あたしが父親に対して、親孝行であり親不孝であることは
できるだけ彼から離れることなんだけど、
それはずっと父があたしに過剰に求めすぎるからだと思っていた。


「サマリア」を観たときも、そう思った。
そして、映画の父親が、羨ましくさえあった。


けれども、いま、ふっと書きながら気がついたのは
あたしも父に過剰に求めすぎているということ。


「何も求めず見守って欲しい」ということを、
あたしはずっと父に求めすぎていた。



あたしが父に求めすぎないでと思うのと同じように、
父もあたしにそのことを求められたくなかったのだ。



わ、マジで。そういうことなんや…きつっ。
泣きそうでありますっ。



もー気づかなかったことにして
忘却の彼方イスカンダルへ放り投げ、
原稿書くであります(ひぃ)。

























この記事へのコメント

yurico
2009年05月24日 22:27
>あたしが父に求めすぎないでと思うのと同じように、
>父もあたしにそのことを求められたくなかったのだ。

私は、父→母に置き換えた文章がばっちり合います。
「ボルベェール♪」の歌声が、頭に何度も流れております。。。
あおやま
2009年05月25日 01:40
yuricoさん、今日はまた観たくなって「ボルベール」TSUTAYAってきました。展開がわかってても、またまたグッときました…。ベネロペもかっちょ良すぎるし映像も震える色だし物語も面白いけれど、やっぱりあのお母さんがたまりません。ちょうど「ボルベェール♪」のときのお母さんの表情も…また泣いてしもた…(笑)。もしサマリア観ておられなかったらぜひお薦めします!すごく残る映画でした。ああ映画って本当にいいもんですね(笑)。

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