春恒例の持病の独り言。

何カ月か周期で訪れる
アタシハナンノタメニイキテイルンダロウ病がまた。


ひと段落しそうな仕事にフェードインして
企画書を書きながら、
読みたいかと言えば非常に読みたいが、
その内容があたしに切実かと言えば
そうでもない。


あたしはこの病気が発症すると
いつも周囲の全ての人間に
「あなたは何のために生きているんですか?」と
聞いて回りたいけど、
その問いは大人としてどうかと思うので
どうしても聞けない。



それは、人に聞くべきことではない、
ということはこの年になると薄々感づいていて
でもだから聞きたい。本当は。



あたしは、思う。



あたしの周りの人は、みな、平然と
当たり前に生きているけれど、
きっと誰もがあたしと同じ問いを抱えているのだと。
でも、人に聞かずに平然と生き続けるべきなのだと
みんな暗黙の了解的に解釈しているのだと。


あたしだって、ときどきは、適当に理由をつける。



誰かは子どものためだったり、
誰かは社会のためだったり、
誰もが自分のためだったり、
するのかしないのかわからないけれど。


でも、全部本当は違う気がする。


というより、そもそも理由なんてないのだと
あたしは思っている。


でも、理由もないのに、なぜ生きているんだろう。


とにかく、生きるために、生きるしかない。


でも、そんなんでいいんだろうか。


というような自問自答を
あたしは毎春必ず何度となく繰り返す。


今年はまだ忙しすぎてしてなかったことに
気がついたらもう初夏の気配。


本当にあたしは何のために生まれて
何のために生きて、生き続けているんだろう。


人間が誕生してから今までに
ようけの賢い人が考えてきてもわらかないんだから
あたしに新たに「これです!」なんて答えを見いだせる訳もなく、
妖しげな宗教めいた理論によろめくほど青くはなく、
ただ自分の人生にしがみついていくしかないんだけど、
人生って、張り切ってても、もやもやしてても
いつの間にか過ぎてて、
振り返ると怖くておしっこちびりそうなので振り返らない。


毎年書いてるけど、
春はほんまに苦手です。そして夏は好きじゃありません。


しかし、ほんま、人間いうのは
暇になるとろくでもないことしか考えへんね。
暑いのも同じで、ろくでもないことしか思いつかない。


アル・パチーノの『セルピコ』の中でも
大スキャンダルを暴こうとしたら
今からニューヨークは暑い夏がはじまって
犯罪率が上昇するので
ぶちまけるのは秋にしてくれと
ニューヨーク市長が言う場面がある。


そんな暑い夏のはじまりのような土曜日。
こういうときは、脳味噌をふにゃふにゃに
ビールでも飲みに行くべきなのかもしれない。


かもしれない。










この記事へのコメント

サカモ
2009年04月18日 17:55
オレも同じような病にかかります。
そんときはもう、だた、立ち尽くします。
しかし、今年辺りは立ち枯れしそうで、それもまたいいかと己を許し、しかし、もし来年生きていたら同じように立ち尽くそうと病を希望に生きております。
めがね
2009年04月18日 20:30
アオヤマさん、割込んで恐縮...。

自問自答はするけど自分で答を持つと反芻の坩堝に嵌って抜け出せない事シバシバ。
だから生きる為の理由は必要かどうかわからない。
そう考える事がが逃げてるか否かもわからない。
逃げる時は全速力で呑むことが多く、そんな呑みの後は反省することが多い。
そんなことの繰り返し。
別の坩堝に嵌るだけか...。
それやったら呑もう、うん呑もう。
masakuro1231
2009年04月19日 00:15
うちのマキは私の肩にとまって「まきはどこ?」と言います。
「マキはここやろ?雅子ちゃんの肩の上」と返事をすると「「まさこちゃんはどこ?」って言います。哲学的問答やなあって思う瞬間です。
気まぐれ猫
2009年04月19日 21:05
はじめまして
私も、以前「生きてるって何?」と言う、生きる目的みたいなものを失った時期が有りました。最近は、それほど病的なまでに
「何のために?」と思う様な事はなくなりましたが、それでも危うい中で生きているのは確か。でも、確実にわかってきたことは、仕事は「結果」が全てだけど、人生は「プロセス」なのだ、だから結果はどーでもいいのだわ、だってみんな「死ぬ」と言う結果が有るだけなのだから。だから、何やってもいい、何かの結果を残さなくてもいい、逆に失敗したり、落ち込んだり、嬉しかったり等の、たくさんの経験をしたらいいんだわ、と、そんな考えに行き着いています。でも、こういうのはなかなかねぇ・・・
あっこ
2009年04月19日 23:18
同じく!!!です。まさに。本当に私はなんのために生きるためにうまれてきたんだろう。病に かかります。何にとりかかるにも 億劫になる。最近は忙しいからあまり この病にかかる頻度が少ないけど、かかります。確かに誰かのためにいきてるわけではない・・・けど。結局いまだ答えはみつからず、人はつくられたわけだから、きっと死ぬためにいきてるのかな?多分。なら、今日はよかった~~と 思える一日を過ごさねばと、思いついてはこの病から開放されるのです。
 今日見たテレビで、人生どれだけ無駄を過ごしたかで楽しい老後を過ごせると言ってた。そうなんだ!ってことは 無駄はないってことかな?と、少しうれしくなりました・・・ま、正しいかどうかは、老後に期待。
aya
2009年04月20日 17:19
こんなおちゃらけた生活をしている私ですら、ごく稀に、”私ってば、なにしてるんやろ?なんのために生きとるん?”と穴に落っこちそうな、ぞわ~とした感覚を覚えることがあります。穴の底の風景の心もちで、空を見上げたりもします(実際の穴底からだとかなり風景は違うけど!)。そうすると、ま、ええか、とちょっと元気になります。一緒に寝転んで空みながらウダウダとしゃべって、そんな風に思えたらいいですねー(ようわからんけど、一応、ちょっぴり励ましてるつもり)。
エフ
2009年04月20日 18:48
私も『何でまた生まれてきたんだろ~』とグルグルと考えすぎて凹んで、ダメ人間になるときがあります。そしてそのスパイラルをかなり引きずります。ある日気づくとスパイラルを抜けてるんですが…。

でも、そう考える時があるってことは、その真逆の時もあるんですよね。人間の永遠の課題?宿題?なのかもしれません。(偉そうなこと書いてすいません)
ナカフニャ
2009年04月21日 19:07
お久しぶりです。今日は雨ですね。
ビールでも飲みましょう。
きりりと冷えた白ワインも良いですね。
ご近所ですし!
松永
2009年04月21日 19:17
姫始めがあって
とつきとうかに
人生の始まり

そんなテレパシーを
強烈に受けていた
ヤクザもんの
仏の目の手相も
陰りが出たかな?

ミヒャエル・エンデのモモは
十月十日に
訪れる筈ではなかったの?

無粋でした!
TOSHI
2009年04月22日 07:38
そんな時に漫画を読むのです。
「あかんべ一休」や「石の花」といった坂口尚の重い目も良いですし、哲学を笑かす「聖☆おにいさん」もまた良しです。あと少年向けと思えない様な芯を持つ「鋼の錬金術師」も良いですね。
ああ、人生訓としては「燃えよペン」もお薦めです。
あおやま
2009年04月22日 10:23
サカモさん、同じでしたかっ。ちょっと感じてましたが…(うぅ)。

めがねさん、呑んでまた後悔することしでかしました(泣)。

masakuroさん、まきちゃんに教えを請いたいです…。

気まぐれ猫さん、はじめまして。<人生は「プロセス」なのだ>は人生ノートに大至急書きこみました。深いです…。

あっこちゃん、こんだけ無駄に生きてたら、相当老後は楽しいの? およよ、であります。
あおやま
2009年04月22日 10:27
ayaさん、生き方、見習いますっ。

エフさん、本当にふっとこういうのきますよね。グルグルスパイラル、怖いです…。まだ片足つっこんでます。うぅ。

ナカフニャさん、呑んだら呑んだでアカン方向いっちゃいました。もう、いや、ほんまに…。スカッと呑めるようになったら、また一緒に遊んでください!

松永さん、陰り出まくりです。というか、もとから陰ってるっという話であることに我に返ってひっくり返って、頭打ちました。人生が痛いです。

TOSHIさん、「あかんべ一休」「石の花」読んでみます!


2009年04月22日 20:08
悩みや苦しみをなんとかしてくれるんは、トキしかなぇじゃろぉのぉ、、、

コージ画伯、最後に誘ぉた女史にまでふられ、寂しゅぅひとりぼっちで来てくれちゃったんじゃが、いつものごとく、マイワールド、周囲に炸裂!素晴らしき哉
あおやま
2009年04月24日 01:42
テツさん、こないだはせっかく画伯とらんでぶー&パスタの幸せであったのに、残念でしたっ。だって、急なんだもーん(笑)。

お二人の会話、想像しただけで、いっぱいいっぱいであります(笑)。また限定開店麺屋、馳せ参じます!!

この記事へのトラックバック