なかにし礼作詞『石狩挽歌』。
一昨日くらいに相方と山田錦を飲んでいると、
NHKでなかにし礼さんの歌特集を放送していた。
あたしの憧れのひとつに「作詞」というものがあり、
言葉が「歌われる」ということは「読まれる」というのと
また全く違う興奮があるとぶるぶるきたのが、
なかにし礼さんの『兄弟』を読んだとき。
ドラマ化もされたみたいなのでご存じの人も多いだろうが、
なかにし礼さんの実兄との関係を書いた自叙伝作品で、
なかにし兄、相当に困った人のようだった。
すべての人間関係においてそうであるように、
家族間でも「困った人」はつまりお金にルーズな人で、
なかにし兄は結果としてなかにし家族に迷惑をかけ続ける。
そんな最中、なかにし家の全財産を賭けて
なかにし兄が起死回生を狙う大ばくちを打つ。
そうでもしないと一家離散の瀬戸際。
家族は不安を抱えつつも兄にどこか期待してしまう。
簡単にいうと小豆に相場を張るように、
あるニシン漁に出資し大漁で船が戻ればうはうは大儲け
という話に乗るのである。
不安と期待を乗せてニシン漁の船が港を出る。
家族の祈りが通じたのか、ニシン漁は夢のような大漁で大成功。
そんな知らせに家族は喜び
すべてがうまくまわりはじめたと思った矢先、
ニシンを運搬する途中で、船が時化に遭う。
かろうじて届いたニシンも腐ってもはや売り物にならず、
なかにし家の全財産は海の藻くずとなったことを知る。
ただ、多額の借金だけを残して。
そのときのことを書いた詞が
「石狩挽歌」という唄になったそうだ。
浮かび上がる情景、色、不安、期待、風、怒声、静寂、涙。
もしかしてあたしの心が一番震える唄かもしれない。
「石狩挽歌」
(唄・北原ミレイ 作詞・なかにし 礼 作曲・浜 圭介)
海猫が鳴くからニシンが来ると
赤い筒袖のヤン衆がさわぐ
雪に埋もれた番屋の隅で
わたしゃ夜通し飯を炊く
あれからニシンはどこへ行ったやら
破れた網は問い刺し網か
今じゃ浜辺で オンボロロ オンボロボロロ
沖を通るは笠戸丸
わたしゃ涙で ニシン曇りの空を見る
燃えろ篝火 朝里の浜に
海は銀色 ニシンの色よ
ソーラン節に 頬そめながら
わたしゃ大漁の 網を曳く
あれからニシンは どこへ行ったやら
オタモイ岬のニシン御殿も
今じゃさびれて オンボロロ オンボロボロロ
かわらぬものは古代文字
わたしゃ涙で 娘ざかりの夢を見る
<海は銀色 ニシンの色よ>
を聴くと、ぴかぴかの銀の腹を見せながら
海面にびっしりとぴちぴちひしめくニシンたちがそこに見えて、
お腹がかーっと熱くなるように興奮させられる。
たぶん、なかにし礼さんたちがそうであったように。
<あれからニシンは どこへ行ったやら>
この一行で何もかもが劇的に変化する。
間には何も書かれていないのに、
全てがわかる。
あたしはがっくりと膝をついて、泣く。
いや、涙すらでないのだ。
ただ、静かな北の海だけがそこにある。
ああ、なんだかスナックに行きたくなってきた。
というか、はよ仕事しろって感じですね。とほほ。
なかにし礼さんの『兄弟』は
彼の作詞家人生をなぞった作品でもあるので
昭和歌謡が好きな人はぜひ!
めっちゃくちゃ面白いですよ。
それと、ニシン漁は昭和30年代を最期に
日本ではもう行われなくなったんだけど、
歴史をみるとすごく興味深い。
http://www6.plala.or.jp/AKAIWA/nishinrekishi1.html
あたしは実は北海道はおろか、
北にはほとんど列島を上がったことがなくて、
新潟に一度だけ前の仕事の出張で訪れたくらいなんだけど、
日本の昭和の歌を聴いていると、
わかるようでわからないけどなんとなくわかるような
という風景によく出合う。
あたしの中の北の光景は、歌の中にあるのかもしれない。
NHKでなかにし礼さんの歌特集を放送していた。
あたしの憧れのひとつに「作詞」というものがあり、
言葉が「歌われる」ということは「読まれる」というのと
また全く違う興奮があるとぶるぶるきたのが、
なかにし礼さんの『兄弟』を読んだとき。
ドラマ化もされたみたいなのでご存じの人も多いだろうが、
なかにし礼さんの実兄との関係を書いた自叙伝作品で、
なかにし兄、相当に困った人のようだった。
すべての人間関係においてそうであるように、
家族間でも「困った人」はつまりお金にルーズな人で、
なかにし兄は結果としてなかにし家族に迷惑をかけ続ける。
そんな最中、なかにし家の全財産を賭けて
なかにし兄が起死回生を狙う大ばくちを打つ。
そうでもしないと一家離散の瀬戸際。
家族は不安を抱えつつも兄にどこか期待してしまう。
簡単にいうと小豆に相場を張るように、
あるニシン漁に出資し大漁で船が戻ればうはうは大儲け
という話に乗るのである。
不安と期待を乗せてニシン漁の船が港を出る。
家族の祈りが通じたのか、ニシン漁は夢のような大漁で大成功。
そんな知らせに家族は喜び
すべてがうまくまわりはじめたと思った矢先、
ニシンを運搬する途中で、船が時化に遭う。
かろうじて届いたニシンも腐ってもはや売り物にならず、
なかにし家の全財産は海の藻くずとなったことを知る。
ただ、多額の借金だけを残して。
そのときのことを書いた詞が
「石狩挽歌」という唄になったそうだ。
浮かび上がる情景、色、不安、期待、風、怒声、静寂、涙。
もしかしてあたしの心が一番震える唄かもしれない。
「石狩挽歌」
(唄・北原ミレイ 作詞・なかにし 礼 作曲・浜 圭介)
海猫が鳴くからニシンが来ると
赤い筒袖のヤン衆がさわぐ
雪に埋もれた番屋の隅で
わたしゃ夜通し飯を炊く
あれからニシンはどこへ行ったやら
破れた網は問い刺し網か
今じゃ浜辺で オンボロロ オンボロボロロ
沖を通るは笠戸丸
わたしゃ涙で ニシン曇りの空を見る
燃えろ篝火 朝里の浜に
海は銀色 ニシンの色よ
ソーラン節に 頬そめながら
わたしゃ大漁の 網を曳く
あれからニシンは どこへ行ったやら
オタモイ岬のニシン御殿も
今じゃさびれて オンボロロ オンボロボロロ
かわらぬものは古代文字
わたしゃ涙で 娘ざかりの夢を見る
<海は銀色 ニシンの色よ>
を聴くと、ぴかぴかの銀の腹を見せながら
海面にびっしりとぴちぴちひしめくニシンたちがそこに見えて、
お腹がかーっと熱くなるように興奮させられる。
たぶん、なかにし礼さんたちがそうであったように。
<あれからニシンは どこへ行ったやら>
この一行で何もかもが劇的に変化する。
間には何も書かれていないのに、
全てがわかる。
あたしはがっくりと膝をついて、泣く。
いや、涙すらでないのだ。
ただ、静かな北の海だけがそこにある。
ああ、なんだかスナックに行きたくなってきた。
というか、はよ仕事しろって感じですね。とほほ。
なかにし礼さんの『兄弟』は
彼の作詞家人生をなぞった作品でもあるので
昭和歌謡が好きな人はぜひ!
めっちゃくちゃ面白いですよ。
それと、ニシン漁は昭和30年代を最期に
日本ではもう行われなくなったんだけど、
歴史をみるとすごく興味深い。
http://www6.plala.or.jp/AKAIWA/nishinrekishi1.html
あたしは実は北海道はおろか、
北にはほとんど列島を上がったことがなくて、
新潟に一度だけ前の仕事の出張で訪れたくらいなんだけど、
日本の昭和の歌を聴いていると、
わかるようでわからないけどなんとなくわかるような
という風景によく出合う。
あたしの中の北の光景は、歌の中にあるのかもしれない。
この記事へのコメント
おんぼろろおんぼろぼろろ・の直後のダトゥトゥトゥダトゥトゥトゥというタイコに脱国境音楽家的には「燃え(萌えぢゃなくてぇ)」でした。
このお年でこのキュートさ。頭盛り盛りヘア
でかわええなーと拝見しておりました。
「兄弟」はビートたけしさんが兄役で壮絶な
ドラマを視聴しました。
コピーは「死んでくれてありがとう」でした。
銀座の「銀巴里」というお店でシャンソンの
訳詩をされたり、フランス文学にも
モーツァルトにも造詣が深いなかにしさん。
「赤い月」「さくら伝説」では、
「血」「絆」「情念」などを感じます。
なかにしさんも、自分の血と骨を削って書いた
作詞。いのちが確かに宿るはずです。
PVを見なくとも、あおやまさんがそこで見た
情念の北の海はどんなものよりもドラマチック
で胸を打ちますよね。音楽、詩とは今更ながら
すごい力があるのですね。
あおやまさん!是非作詞なさってほしいです。
超余談ですが、なかにし先生はカルーセル真紀
さんらと共にうちのダンさんの新年の麻雀仲間
でもあるのです。(^^;;
<おんぼろろおんぼろぼろろ・の直後のダトゥトゥトゥダトゥトゥトゥというタイコに脱国境音楽家的には「燃え(萌えぢゃなくてぇ)」>というのに、さすがっうむむな感じです(憧)。
しかし、雰囲気とかそういうのじゃなくて、骨まで愛して的な昭和歌謡の奥深さって(なんじゃそら)、震えますね。ああ、Kazinhoさんとまた新世界で飲みたいなあ。あの日はなんか、昭和歌謡の佳き日でした(じーん)。携帯はもう落としたくないけど…(笑)。
しかも「兄弟」のドラマもご存じでしたか、さすがです(笑)。
私のテーマのひとつに(なんの?笑)「満州」もあるので、「赤い月」もうむむとなったのですが、作詞家・なかにし礼ではやはり「兄弟」がうひーとなりました。そうそう、ドラマのコピーは強烈でしたよね。
mint2さんのおっしゃるように「情念」なんですよね(しみじみ)。本当に音楽、詩とはすごい力があるのだと思います。久しぶりに聴いて、ぐっと込み上げました。そんな風な言葉を生み出せるよう、精進して生きたいものです(嘆息)。
そしてそして、「超余談」を読んで、椅子からずっこけた拍子にミルクティまでひっくりがえしてボロンチョさまのあおやまでありましたが、なんとダンさんはなかにし先生と麻雀仲間だなんてっ!!!
きたむらのお座敷すき焼き級に、強烈なトピックスですぅー。
羨ましいと同時に、あおやまは日活ロマンポルノの『時には娼婦のように』を主演したなかにし先生の裸体を観ておりますので、なぜかひとり頬を赤らめたのでありました。
http://yummyao.at.webry.info/200711/article_10.html
カルーセル真紀さんとともにというのも、バック転3回に値する衝撃なのであります。ダンさん、ええなあー(羨)。ていうか、ダンさんもすごい人なんやろうなあー。それで、誰が強いんか興味津々であります(笑)。
なんとこの石狩挽歌のイントロのトランペットが響き渡る
・・・今でもそれを思い出す。・・・・
光景を想像いたしました。
いつか訪れてみたいです。
情景描写に拘りすぎるあまり、
それまでの作詞家(西条八十、川内康範、
なかにし礼、山上路夫、、、)が拘ってきた
人間の感情の表現が少なすぎると、思ってしまいます。
未だに阿久悠を歌謡曲の本流扱いするのには疑問です。
なかにし礼ですが、
若い頃に別れの朝 を聴いて震えたのを覚えています。
ちぎれるほど手を振る、、、
他にも、あなたならどうする、
恋のハレルヤ、手紙等々歌謡曲において彼の言葉選びのセンスには感心してきました。作詞活動から身を引いたのは、
彼の作風が女性蔑視に捉えられるようになったのか?、、、。
はじめまして。コメントありがとうございます。
作詞って本当に深いですね。
しみじみ。